そんなことは気にするな。
真っ白な高級車に着物姿で女性A様が熱海に来た。最初、夜の帝王が来たのかと思った。時間ができたから、熱海の家でのんびりさせて欲しいとA様は言った。私の正しい使い方である。到着早々、A様は畳の上で横になった。邪魔をしちゃ悪いなと思って、お茶を淹れたり、料理をしたり、掃除をしたり、私は私のことをやった。居間の方から、涙をすする音が聞こえた。A様は泣いていた。涙の理由は聞かなかった。誰だって、人知れず涙を流すこと、自分でも原因のわからない涙があふれてくることがある。
二時間くらい何も話さず、A様は横になったり窓から景色を眺めたり、お茶を飲んだりした。私は、ギターを弾いたり、本を読んだりした。日が沈む頃、A様が「何か食べに行きますか」と言った。スッキリした顔で、よく通る声で。家の近所の食堂に行き、A様はミックスフライ定食を、私はナポリタンを注文した。食事をしながら、A様はポツリポツリと話した。自分でも、なぜ、涙が出てくるのかわからなかった。風が吹き、鳥が鳴き、遠くで電車が通る音と、ギターの音が聞こえる。全部あると思った。自分がいると思った。そう思ったら、涙が止まらなくなったのだと、A様は笑いながら言った。
頭と心は、反比例の関係にある気がした。頭の中がいっぱいになると、心の中がからっぽになる。頭の中がからっぽになると、心の中がいっぱいになる。罪悪感や虚無感、退屈や倦怠や幻滅、自己否定や欲求不満など、私たちを疲れさせる感情はたくさんある。それらを頭の中だけで処理すると、疲労はどんどん蓄積する。頭の中ではなく、心の中に落とし込んで、重心を頭から腹に移動させると、罪悪感や虚無感はゆっくりと回収されて行く。罪悪感や虚無感の奥にある、淋しさや、切なさや、愛しさに気づく。
A様は「家にあるものの全部が、大事にされているように感じた」と言った。その言葉を聞いた時、思った。もしかしたら、A様は、今、あまり大事にされていないのかもしれない。強い人は、優しい人は、周囲を大事にすることは多くても、周囲から大事にされることは少ない。実は傷ついていることに、気づいてもらえることは少ない。顔は笑っているけれど、心は泣いていることに気づいてもらえることは少ない。頑張れば頑張るほど、周囲から喜んでもらえるが、満たされることのない真っ暗な闇も深くなる。誰にも見えない所に、悲しみが蓄積する。
A様は言った。坂爪さんといると落ち着く理由がわかった。坂爪さんは介入しない。一緒にいる時も、一人にさせてくれる。大きな木のように、何も言わないで、余計なことをしないで、そこにいてくれる。坂爪さんが自然だから、一緒にいる人も自然になれるのだと思う。それを聞いた時、私も、同じような人たちに助けられて来たと思った。介入しない。一緒にいても、一人にさせてくれる。そんな人たちの存在が、私の存在を肯定した。何者かになれないことが苦しいのではなく、何者かになろうとすることが苦しいのだと思う。自分のままでいられないことが、自分に安心できないことが、苦しいのだと思う。自然な人たちは、言葉ではなく、存在で語る。そんなことは気にするな。そんなことに縛られるな。役に立つとか、役に立たないとか、そんなことで人間の価値は決まらない。俺はお前に出会えて嬉しかったよ。何もなくても、俺はお前に会えて嬉しかった。涙が出るのは、悲しいからではない。出会えたことが、嬉しいからだ。出会えたことが、喜びだからだ。