ホームをレスした話(7)
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ホームをレスした話(7)

現状を打破するには、自分が恐れていることをやることだ。

家なし生活は続く。出会う方々から、食事や寝床だけではなく「物資提供」も受けるようになっていた。ある日、東京在住の男性がスーパーカブという極めてキュートな原付を譲ってくれた。同時に、別の女性が寝袋を、別の男性がテントを譲ってくれた。三種の神器を前に、私は、神様的なサムシングから「これで生きろ」と言われているような気がした(ので実践をした)。

アウトドアなんて未踏の領域だった。が、実際に試してみたら素晴らしかった。適当な公園にテントを張る。多分違法なんだと思う。最初は死ぬほどドキドキした。誰かに見つかったら虐殺されるのかななどと思って震えた。が、冷静に考えると「怒られる程度で済むだろう」と思った。怒られる時は、潔く怒られたらいいのだ。いきなり刑務所にぶち込まれる訳ではない。

私のふるさとは新潟県で、そう言えば、海岸沿いには野営に適した洞窟がある。洞窟で暮らし始めたら絵的にも面白いかなと思い、新潟に原付を走らせた。道中、気に入った場所があれば、そこにテントを張って眠る。自分の好きな場所が、そのまま、今日の自分の寝床になる。野営を続ける生活は「地球が自分の家である」という感覚を与えてくれた。この感覚は新鮮だった。

新潟に着く。適当な浜辺を見つける。今日はここにテントを張ることに決める。各種SNSから「今日はここで眠ります」と投稿をする。と、地元の方々が、救援物資を片手に遊びに来てくれた。ある人は本を、ある人はライトを、ある人は食料を、ある人は焚き火の道具を、ある人は楽器を、ある人は踊りの技術を携えて来た。私は幸運者だ。空間が、途端に彩りを帯びた。

我々は、焚き火を囲みながら食べたり踊ったり語った。焚き火を囲むなんて久しぶりだった。燃える炎を眺める時間が、これほどまでに豊かだとは知らなかった。簡素な食事でも、外で食べるとこんなにも美味くなるものかと仰天した。夜の海を眺める。心地よい波音が響き渡る。球体状に広がる星空を眺めながら、ああ、足りないものはなにもないと思いながら眠りに落ちた。

小鳥のさえずりで目を覚ます。時刻は朝の五時手前。少しずつ明るみを帯びはじめた空が、一日のはじまりを告げる。テントを出る。東の空が、なんだかどえらいことになっている。大慌てで原付に乗り込み、朝日が昇る方向に走る。山間から朝日が顔を出す。その瞬間、これまで薄暗かった空一面がぶわぁっと大きく照らし出される。黄金色の朝日と、白い雲のコントラスト。

自然界の雄大なグラデーションを前に、言葉にならない感動がこみ上げた。なんだこれは。美しいとはこのことか。毎日、世界ではこんなにも素晴らしい営みが行われていたのか。これまでの日々、こんなにも素晴らしい景色を見逃し続けていた愚かな自分を、ポカポカ殴ってやりたい気持ちになった。昇る朝日に立ち会うこと、これ以上に豊かな瞬間はあるだろうかと思った。

洞窟に向かう。日本海側は日が沈む。毎日、海に沈む夕日を眺めることができることのうれしさを思う。同時に、なぜ、自分は若き日々を新潟に暮らしながら、夕日を見逃し続けていたのかと思った。なぜ、夕日や朝日を眺めることを「非日常」として捉えてしまっていたのか。なぜ、自分の愛するものを「日常にするため」の舵を取らなかったのかと、鮮烈な違和感を覚えた。

もしも、自分が心から愛しているものがあるならば、それを日常にしてもいいのだ。夕日が好きならば、たまに見るのではなく「毎日見てもいいのだ」という当たり前のことを思った。ら、目から鱗がポロッと落ちた。これまでの日々、自分の生活のうちのどれだけが「自分の好きなもの」で構成されていただろうか。仕方がないから仕事をやるとか、仕方がないから苦手なひととも付き合うとか、仕方がないからやりたくないことでもやらなければいけないとか、どこか、妥協にあふれた日々を過ごしてはいなかっただろうか。

家を失ったいま、自分にとって必要なものは「いま、必要なもの」だけになった。人間が一人生きていくために必要なものは、多分、それほど多くはない。食べるものがあって寝る場所があれば、基本、人間は生きていける。では、なぜ、家があった頃はあんなにもしがらみにあふれていたのかと考えたら、それは、頭意識が生み出す「いつか」にあふれていたからだと思った。

タンスの中には「いつか」着るかもしれない服の数々。押入れのなかには「いつか」使うかもしれない品々の数々。頭の中では「いつか」必要になるかもしれない貯蓄や結婚や老後のこと云々。未来と引き換えに、現在を犠牲にしている数々の感覚。それらがなくなったいま、私が生きることができるのは「いま、この瞬間」だけになった。そして思った。富豪も貧民も、聖者も愚者も、生きることができるのは「いま」だけだということを思った。

人間を殺すものは、飢えではなく「飢えに対する恐怖心」なのだと思った。事実、私も、家があった頃は「いまは家があるから、仕事があるからいいけれど、最悪の場合は路上生活者になるかもしれない」という不安が常にあった。が、実際、恐怖が現実になった(実際にホームをレスして路上生活者になった)ら、それでもなお、人間は図太く生きていけるものだとわかった。

恐怖心が人間を殺す。が、恐怖心の外側には「自分の知らない世界」が広がっている。路上生活者になったことで、私は、朝日の素晴らしさを知り、焚き火の素晴らしさを思い出し、自然の素晴らしさを日々に取り戻すことができた。神様は、富豪にも、貧民にも、等しく「恵み」を用意していた。

海も無料。夜空も無料。焚き火も無料。音楽も無料。自分の心が素晴らしいと感じるものたちは、どれもお金を必要としないものたちだった。この感覚は、私に、大袈裟な言葉になるけれど「世界に立ち向かう勇気」を与えてくれた。今後、自分の身の上になにが起きたとしても、これらの恵みが奪われることはない。だから、きっと、大丈夫。そのように感じることができた。

という訳で、名もなき男の洞窟生活がはじまった。が、この生活は一瞬で終わった。最大の理由は「洞窟暮らしはあまりにも寂し過ぎたこと」だったのだけれど、他にも「風呂がわりに海で泳いでいたら、離岸流に巻き込まれて危うく死にかけたこと」も、音速で終幕を迎える要因のひとつになった。

溺れた時は本当に焦った。常日頃「いつ死んでもいい」などとうそぶいておきながら、実際、溺れてみたら懸命に懸命に懸命に生きようとする自分を見た。岸辺に向かってどれだけ泳いでも、肉体は沖に流されるままだ。これは死ぬなと思った。が、岸辺ではなく横方向に泳ぐことで、どうにかこうにか窮地を脱した。岩礁に打ち上げられ、呼吸を整える。その瞬間、なによりも強く思ったことは「生きててよかった…!!!(涙)」ということだった。

生に執着しない、などと言えたら格好良いのだろうけれど、私は「所有物が少なくなるほど、事実、生に対する執着は高まっていた」ように思う。物質や世間体に対する執着は消せても、生きることに対する執着だけは消せなかった。矛盾するようだけれど、いつ死んでもいいという思いは、「その瞬間まで、絶対に生きてやるぜ」という生きる意思でもあった(ように思う)。

と、まあ、洞窟暮らしは一瞬で終わった。一瞬で終わったことに悔いはなかった。むしろ、自分のこういうところが好きだと思った。実際にやってみたけれどダメだった場合は、すぐに次に行くところ。過去に固執をしないところ。切り替えが妙に早いところ。そこが(短所でもあり)長所だと思った。

私は、そもそもで移動をするのが好きなのだ。一箇所に留まっていることや、誰かや何かが訪れてくれるのを待っている受け身的な生き方は、多分に多動症的な自分の性質に合わない。だからこその家のない生活であり、引き寄せの法則ではなく「押し寄せの法則」を大事にしたいのだと、自分の心を震わせてくれる他者との出会いを求めて、私は再び移動をはじめた。

ら、奇跡が起きた。

(つづけ・・・)

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坂爪圭吾

バッチ来い人類!うおおおおお〜!

あるのか、ないのか、戦力ガイ!
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