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宇宙は、我々が第一希望を生きない限りことごとく問題を起こす。

空洞があるから、美しい音色を響かせることができる。ギターの音色が美しいのは、真ん中に空洞を抱えているからだと思う。空洞は、消すためではなく、嘆くためではなく、美しく響かせるためにある。悲しむ姿は、美しい。

さみしいのと、さみしくないのと、どちらがいいのだろうか。熱海の暮らしはさみしい。夜はしっかりと夜で、朝はしっかりと朝だ。テレビもない。居酒屋もない。漫画もない。ペットもいない。誰一人いない。さみしさを紛らわせることのできるものがないから、毎日、正真正銘の一人ぼっちになる。

さみしさや孤独は、生きる力を奪うマイナスのものとして語られることが多い。だが、さみしさや孤独を通じてチャージをしている感覚もある。さみしさを経由した方が人との出会いを喜ぶことができる。一人ぼっちを経由した方が自然との繋がりを喜ぶことができる。長い夜を経由した方が朝の訪れを喜ぶことができる。空洞があるから、美しい音色を響かせることができる。

今日、熱海に遊びに来てくれた女性N様が興味深い話を聞かせてくれた。N様は、今年の三月に鍼灸師の資格を獲得した。四月から鍼灸院で働き始めたのだが、雇われるというスタイルに違和感を覚えて、四ヶ月働いて辞めた。辞めると告げた時は、上司も「もっと融通を効かせるから頑張ろうよ」とか「Nさんの働きたいスタイルに合わせるからなんでも相談して」と優しかったが、それでもN様が辞める意志を曲げなかったら、今度は手のひらを返したようにN様を冷遇をするようになった。働き始めてすぐに辞めるなんて大人として恥ずかしいとか、ここでダメならどこに行ってもダメだとか、そういう言葉でN様を罵倒した。しかし、N様は意志を曲げずに仕事を辞めた。辞めたまではよかったが、上司の言葉が耳にこびりついて離れない。一人になると「上司の言ったことは本当かもしれない」と深刻になり、悩んだ。ここでダメならどこに行ってもダメだと、こんなにも簡単に思い込まされてしまう自分に驚き、生きる自信を失い、もうダメだと思いかけた。だが、それでも鍼灸師という仕事は続けたかったので、友達に相談をした。すると「この場所を使いなよ」と、無料でスペースを与えられることになった。細々と仕事をリスタートしている間に、また別の人が「この場所も使っていいよ」と空間を提供してくれた。結果、N様は仕事を辞めても食い扶持に困らなかったばかりか、圧倒的に好条件の環境で働けることになった。この話を聞きながら、幾つものことを思った。一つがダメになったからと言って、全部がダメになった訳ではないということ。ここがダメならどこに行ってもダメだという呪縛は、真っ赤な嘘(罠)だということ。そして、極め付けは「宇宙は、我々が第一希望を生きない限りことごとく問題を起こす」ということ。

一つがダメになったからと言って、全部がダメになった訳ではない。一つの仕事がダメになると、誰だって「自分はちゃんと働けるだろうか」と不安になる。どこに行っても自分はダメなんじゃないだろうかとか、自分に合う場所なんて世界のどこを探してもない、みたいなマイナス思考に陥る。だが、そんなことは絶対にない。断言する。そんなことは絶対にない。自分に合う場所は絶対にある。どのような生き方をしていたとしても、受け皿は絶対にある。一番恐ろしいものは人間の恐怖心だ。人は、飢えでは死なない。金がなくなっても死なない。人間を殺すものは、人間の恐怖心だ。恐怖心に襲われたら、どれだけ豊かな現代社会においても人間は結構簡単に死ぬ。自分に合う場所は絶対にある。これまでの考え方がまるっと変わるくらい、驚くほどにフィットする環境は確実にある。ここがダメならどこに行ってもダメだなんて呪縛を絶対に信じてはいけない。そんなことはない。絶対にない。世界は広い。想像を超えて広い。あなたが「ダメだ」と言われたまさにその部分を、他の世界では「最高だね」「素晴らしい」「君は天才だ」と両手を広げて迎えてくれる、そんな世界が絶対にある。その世界は、今、この瞬間も見つけられることを待っている。探し続ける限り、絶対に出会う。宇宙は、我々が第一希望を生きない限りことごとく問題を起こす。それは「死ね」と言っている訳ではない。断じてない。それは言い訳をするなと言っている。中途半端なことをするなと言っている。生活のためとか、家族のためとか、自分にはやりたいことがないからとか、そういった言い訳を嫌う。宇宙は、徹底的に「生きろ」と言っている。生きるとはつまり、ほんとうにやりたいことをやるということだ。宇宙は、あらゆる言い訳を嫌う。わたしたちが第一希望を生きない限り、ことごとく問題を起こして「第一希望を生きろ」と言う。問題が起こるのは、第一希望を生きるために必要だからだ。軌道修正をさせるために、問題は起こる。第一希望を生きれば、絶対にうまくいく。生活のために生きるほど、家族や恋人を言い訳にするほど、回らなくなる。

二ヶ月前、美容業界で働く女性Y様と出会った。彼女は、最近までとある病院で働いていた。しかし、人間関係が最悪で二ヶ月で辞めた。その後、友達の紹介で次の職場を見つけたが、働き始めるまでに半年間の猶予ができた。その間、飲食店をやっている友達のお店をバイトで手伝ったりしていたのだが、日に日に不安が募った。自分は仕事に復帰することができるのだろうかとか、生活リズムもボロボロだし真っ当な社会人になれる気がしないとか、前の職場よりも人間関係が悪かったら職場を変えた意味がないとか、悪い想像ばかりを膨らませた。そして、軽い鬱の症状を訴えはじめた。会う度に、彼女は「結婚をして専業主婦になりたい。自分には勤労意欲と呼べるものが欠けている。働きたくない」と愚痴った。先日、彼女と再会した。鬱が悪化していないといいなと思ったが、心配は無用だった。めちゃめちゃ元気そうなY様は「転職して大正解!」と声高らかに笑った。その職場は、人間関係も最高で、思いやりに満ちており、仕事も大変と言えば大変だがやりがいがあって全然ストレスがない、職場もみんな可愛くていい子ばかりで毎日仕事終わりに飲み歩いている、みたいなことを楽しそうに語った。そして、つい数ヶ月前まで「専業主婦になりたい」と嘆いていたはずのY様の口から、驚きの発言が飛び出した。それは「もしも結婚することになっても、絶対に共働きがいい」という発言だ。まったく逆の発言が、同じ人間から出たのだ。これは希望だ。人間が口にする言葉なんて、数ヶ月で簡単にひっくり返る。

不安や恐怖の浸透率は物凄い。油断をしていると簡単に飲まれる。自分はダメだとか、生活のためには嫌なこともしなくちゃいけないとか、なんのために生きているのかわからないとか、こんなんだったら生きていたいとは思わないとか、簡単に闇に落ちる。だが、宇宙は「死ね」とは言っていない。言い訳をするなと言っている。中途半端なことをやるなと言っている。本当は満足なんかしていないのに「満足しました」とか言うな、と言っている。変な嘘をつくなと言っている。受け身になるなと言っている。欲しいものは獲りに行けと言っている。欲しいものがなんとなくこっちの方に来るように仕向ける、みたいなことをするなと言っている。第一希望を口にしろと言っている。叶うか叶わないかは別問題、大事なことは第一希望を実際に口にすることだと言っている。拒絶される恐怖に負けるなと言っている。欲しがることはみっともないとかお前は言うけれど、第一希望を口にできない人生の方がよっぽどみっともないことだろうと言っている。ほんとうに好きなことをやらないで済ませるための言い訳は、絶対にしてはならないと言っている。宇宙は、我々が第一希望を生きない限りことごとく問題を起こす。宇宙は、咲けと言っている。咲け。咲け。咲きやがれこの野郎。咲くのは大変だ。萎れている方が楽だ。だが、咲くことは楽しい。萎れたままでいる方が退屈。生きるということは、咲くということだ。花が咲く喜びに包まれることだ。宇宙は、第一希望を生きることの他に、やることなんてないと言っている。

おおまかな予定

9月13日(火)静岡県熱海市界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

9月25日(日)日曜礼拝「空しさと希望」@静岡県熱海市
https://note.com/keigosakatsume/n/nddf0bdcb82b1

連絡先
keigosakatsume@gmail.com
LINE ID ibaya

SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

あげたお花の数 10/1000

バッチ来い人類!うおおおおお〜!