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やめろと言われてもやめない。

東京在住の女性N様に誘われて行った翡翠原石館が常軌を逸していた。翡翠の魅力に取り憑かれた館長が私財を投げ打ち、世界各地から石を集めた。商売するためではなく、純粋な蒐集のためだ。巨大な翡翠をくり抜いて翡翠風呂を作ったり、座ると体が冷えるから女性は絶対に座らない方がいい翡翠の座布団を作ったり、気が触れていた。狂い方がよかった。尋常ではない重さの原石を運ぶ際、脆い橋は壊れてしまう。だから、館長自らが道中の橋を補強しながら運んだ。原石が埋まっていると言われている伝説のある土地を買い取り、巨額を投じて採掘したら本当に原石があった。など、スケールが大きい。やり過ぎちゃっている人は最高だ。たまらなく好きなものに突っ込む人の姿を見ると、自分も好きに突っ込もうと思える。道楽は、生活が破綻してからが本番。それを体現している。

翡翠原石館には縄文土器も弥生土器もあった。縄文土器が素晴らしいことは言うまでもない。だが、弥生土器がよかった。これまで、弥生土器は「縄文土器に比べ、洗練されている分弱々しい」と思っていた。だが、全然そんなことはなかった。静けさの中に、とんでもない凄味があった。これはもう、じかに触れないとわからない。弥生土器の迫力に、私の思い込みは粉砕された。価値観は、守るためではなく壊すためにあるのだと思った。縄文もいいが、弥生もいいぞ。世界にまた一つ好きなものが増えた。無料に近い値段で、館長は蒐集を公開している。彼は、決して占有をしない。石も触り放題だ。自分の好きなものを見つけて、周囲の人々と共有する。人間として、理想の姿だと思った。館長の「俺は石が好きで好きでたまらないんだ」という思いがひしひしと伝わってきて、元気になった。好きの力は、生きる力になる。自分の好きを誤魔化すと、私たちは、死にたくなる。

館長は、幼少期から石を家に持ち帰り、母親から怒られていた。それでも館長は石を家に持ち帰り続け、母親から怒られ続けた。怒られ続けても、それでもやめなかった館長を讃えたい。普通、怒られたらやめる。だが、館長はやめなかった。館長がやめなかったおかげで、私は、翡翠風呂に入ることができた。何かを好きになることの素晴らしさに触れ、自分も好きに突っ込もうと思うパワーを貰った。私たちは、いつの間にか自分の好きなものを手放してしまう。生活のため、人から変だと思われないために、画一的で、平均的な生き方をするようになる。みんなが好きになるものを好きになり、みんなが見るものを見るようになる。館長の生き様は「そんな生き方は退屈だろ」と言っているように思えた。「俺を見ろ」と言っているように思えた。「俺たち人間はこんな風にも生きることもできるんだぞ」と言っているように思えた。私は馬鹿だから、馬鹿を見ると嬉しくなる。俺だけじゃなかったと思って嬉しくなる。俺ももっと馬鹿になろう、もっと破綻しようと思う。

私たち人間には情緒がある。情報ではない。情緒だ。情緒は脆い。情報の濁流に飲まれると、あっという間に流されてしまう。だから、大事に扱う必要がある。情緒が不安定になることは悪いことではない。それは、命の叫びである。情緒は情報を求めない。情緒は解決されることを求めない。情緒は、寄り添う情緒を求める。情緒の話がしたいのに、情報の濁流に飲まれて即死することがある。情緒の話は、静のある人としかできない。早口の人間や、日常に忙殺されている人間と、情緒の話をすることはできない。彼らは、情緒を情報に置き換える。そんなことを考えてどうするのと言われたり、こちらのマイクを奪い、あちらの言葉に言い換えられたりする。静のない人は、人の話を聞く、人の話を最後まで聞き切るということができない。静が死んでいる人は、情緒が死んでいる。そして、ここが一番重要なポイントだと思うが、情緒が死んでいる人ほど、心の底ではどうしようもなく情緒を求めている。大量の情報を背負わされた身体は、慢性的に疲れている。疲れた身体は、手っ取り早く楽になれる道を求める。インスタントな快楽を求める。だが、心は、情報の濁流に飲まれる前の情緒を求めている。動に支配される前の静を求めている。消費ではなく情緒の純粋な発露を求めている。情緒を鎮める情緒がなければ、自分に殺されてしまう。動を鎮める静がなければ、自分に殺されてしまう。

好きな人に好きだと言わないから、変なふうにこじらせて、死がよぎる。好きなくせに、自分がいなくなればいいんだとか、その人を失っても平気な自分になろうみたいに考え出すから、死にたくなる。瞑想なんかするな。そいつを失っても平気な自分でいられるようになるな。思い切り傷つけ。好きな人に好きだと言えないことがこの世で一番苦しいんだよ。好きなものはキラキラ輝いて見える。代わりなんていないんだろ?とことんやれよ。理屈なんてクソ喰らえだ。好きなんだろ?自分の好きを誤魔化すと死にたくなる。台湾で露店を営むおばちゃんが、日本人観光客を見かけた時に「いちばん!!いちばん!!」と大きな声で叫びながら商品を売りつけてくるように、自分のいちばんを叫べ。死ぬ方向に舵を取るな。自分が消える方向に舵を取るな。生きようって思えるのは、好きなものに好きだと叫ぶ時なんだよ。好きを叫べよ。恋が実った瞬間は、付き合った瞬間じゃないんだよ。好きだと言った瞬間なんだよ。好きだと言った瞬間に、恋は実っているんだよ。簡単に死ぬなよ。簡単に諦めるなよ。やめろと言われてもやめない。やめることなんてできないのが本当なんだよ。本当の恋は、生活が破綻してからが本番。生活が破綻した割れ目から、人生が噴き出す。やめろと言われてやめるようならやめちまえ。好きならとことん突っ込みなさい。もっとぐちゃぐちゃになろうぜ。翡翠原石館の館長は、そんな風に言っているように思えた。

おはようございます!

機関紙、ありがとうございます✨
嬉しいです!

機関紙、第一砲を受け取り、震えました!

もらったままお礼もせず大変失礼致しました。

機関紙。
内容なのか、文字から受け取る何かなのか。
生きてる人から放たれるものの衝撃というかすごさというか、改めて感じれています。

実はこの夏コロナになり、身体のしんどさよりもメンタルがめちゃくちゃ落ち込んでしまって。

10年ほど前にも適応障害になったことがあって、その時のトラウマや恐怖がよみがえり。
死んだように生きているのが本当辛かったです。

そんな中で、圭吾さんの過去のnoteを読みあさりました。

なんだかもう涙が止まりませんでした。

こんなにも魂が震えて涙が流せるんだって。
生きてるなぁって!
生きたい私がいるんだなってわかったら急に元気が湧いてきて!

それから急に動けるようになって、片付けられなかった部屋の掃除をしたりご飯を作ったりできたんです。

そのご飯を作ってる時も食べてる時も食べてくれる家族がいることもめちゃくちゃ嬉しくて幸せで!

当たり前のようにある幸せは当たり前じゃないし、今まで全然受け取れてなかったなってわかりました。

ちょーだい!って言っていただいてるのに受け取ってなかったなぁって。

いつも読んでいる圭吾さんのnoteもやっと受け取れている感覚です🙏

長くなりましたが、今の私で受け取れる機関紙楽しみにしています😊

愛されなくなったら死ぬ。
愛せなくなってたらもっと死ぬ。
圭吾さんが生きてるのは愛してるからなんだな!ってわかりました!

愛は能動。
これからも私の人生を愛しぬきます🔥

いつも、勝手に!圭吾さんと共に歩ませてもらってる感覚でいます。
ありがとうございます!

またリアルでお会いできる日を楽しみにしています😊

長文失礼いたしました!

おおまかな予定

9月12日(火)静岡県熱海市界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

9月24日(日)日曜礼拝&わたり食堂【0円食堂】
https://note.com/keigosakatsume/n/n7826d029f90b

連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com

SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z

バッチ来い人類!うおおおおお〜!