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愛される人間ほど退屈になる。

熱海駅前にアジールという喫茶店がある。誤解を恐れずに言うと、熱海の接客は愛想がない。コンビニに行っても、都会ほど「ありがとうございます」と言わない。私は、そこを気に入っている。楽だし、エコだ。先日、アジールに行った。私が入った直後に満席になった。夏休みだから、県外からの客が次々と来る。東京から来たっぽい男性客が店に来た。若い女性店員が「満席です」と告げる。この店員の素晴らしい所は、こちらでお待ちくださいとか、あと何分かかりますとか、一切説明しないところだ。男性客は「それだけ?」みたいな顔をしながら、店員に尋ねた。あと何分くらいで空きますか。若い女性店員は言った。わかりません。男性客は苛立ちをあらわにしながら「長いこと店をやってたら、大体どれくらいで空くかわかるでしょ」と言った。若い女性店員は、それでもなお「お客さん次第なので、わかりません」と言った。その通りだ。その通り過ぎる。結局、男性客は思い切りイライラしながらその店を出た。

私は、客席からその様子を眺めた。男性客の気持ちもわかるが、お前(男性客)だって長いこと生きているのだから、席があとどれくらいで空くかなんとなく想像できるだろうと思った。自分の頭を働かせることなく、店側に奴隷になることを要求し、自分の思い通りに動いてくれないと怒る。これは、幼稚に過ぎると思った。私は、こっそり「ブラボー」と喝采を送った。愛想のない女性店員だが、彼女が嫌な奴という訳では全然ない。時折見せる優しさが愛しい。同じく、熱海に甲という定食屋がある。高齢のご主人一人で切り盛りしているために、店が混むと注文してから手元に来るまで一時間以上かかる。私は、それがたまらなく愛おしい。ご主人が怠惰な訳ではない。交通事故に遭って以来片足の自由を失ったために、動きはスローリーだが顔面は真剣そのものだ。料理が完成した時は、まるでこどもが工作を完成させた時のような歓喜の笑みを浮かべながら「はい、どうぞ」と差し出す。その時の顔が好き過ぎて、私は毎回通う。定食はだいたい千円前後だが、タダ同然だと感じる。この喜びが千円は、安過ぎる。

甲のご主人に怒る人もいる。遅いとか、早くしろとか、怒鳴る客もいる。私は「なんて器の小さい奴らだ」と思う。同じ環境でも、喜びを感じ取る人もいれば、フラストレーションを感じ取る人もいる。甲の常連客は、昼間から酒を飲む。「ビール!」と大声で注文したあと、自分で冷蔵庫からビールを取り出し、自分で食器棚からグラスを取り出し、自分で注いだビールを飲みながら「料理はゆっくりでいいからね」とご主人に告げる。常連客の顔は、一様に幸せそうだ。店員にやらせるより、自分でやる方が俺の店感が出る。結果、愛おしくなる。家で飲めば安く済むのに、彼らは高い金を払ってその店で飲む。それが損なのかと言えば、そんなことはない。私たちは全員、甲のことが大好きだ。アジールや甲に行く度に「ちゃんとするとは何だろう?」と考えさせられる。アジールの店員は、多分、一般的な意味ではちゃんとしていない。だが、私はそこがとても落ち着く。怒る客は、一般的にはちゃんとした理由を盾に怒る。だが、彼らは一様に苛立ち、殺伐としている。

世界全体に『画一化の波』を感じる。みんなができることは自分もできないと恥ずかしいと思い込まされて、ちゃんとするように仕向けられる。その結果、世界は豊かになったのかと言えば「なんとなくギスギスしている」と感じる。色々な人がいた方がいい。色々な場所があった方がいい。そうじゃないと息が詰まる。自殺者が増える理由も頷ける。私たちは、タイなどのアジア諸国に行く度に「日本もこれくらいのんびりすればいいのに」などと思う。そんな風に思っておきながら、いざ、日本で同じ対応を受けると「なっとらん!」と言いながら怒鳴る。怒鳴らないまでも、心に苛立ちを抱える。不思議だ。言っていることとやっていることがめちゃめちゃだ。頑張らないでいいと思う部分と、もっと頑張れと思う部分の矛盾に引き裂かれ、心も体もボロボロになっている。私たちは、多分、何かを頑張る力よりも「やっといた方がいいことを、やらない力」を磨き上げた方が、より一層自分を生きることができるのだと思う。画一化の波を感じた時、グッと堪えて、やっといたほうがいいことをやらない。やらないことで、非難を浴びたりぶん殴られたりすることもある。それでも尚、やらない。アジールの店員のように「わかりません」を繰り返す。そのことによって怒鳴る人間もいるが、救われる人間もいる。私のように、喝采を送る人間もいる。

私たちはあまりにも評価を恐れ過ぎる。会社で働く人は上司の顔色を恐れ、店をやる人は客のレビューを恐れ、無難に、無難に、当たり障りない道を選ぶ。結果、世界がどんどん窮屈になる。私は言いたい。他人の評価なんてゴミだ。好かれる奴ほどダメになるし、愛される奴ほど退屈になる。評価が悪くてもいいじゃないか。レビューが低くてもいいじゃないか。それは決してダサいことではない。逆だ。それでも尚、自分を貫く人間が一番カッコいい。色々な人がいた方がいい。色々な場所があった方がいい。どこに行ってもマクドナルドとガストしかない世界は地獄だ。週末はイオンモールに行く世界は地獄だ。みんなと同じになる必要はない。自分は自分であり続けることが、結果的に誰かを救う。やっといたほうがいいことを、やらない力。誰かからの期待を察し取っても「俺からは行かない」とグッと堪えて、あえて、何もしない。そのことで幻滅されたり嫌われることもある。それでも尚、自分からはやらない。自分から奴隷になる真似をしない。誤解を恐れずに言いたい。愛される人間ほど退屈になる。愛されない道を選べ。誤解される道を選べ。愛されたとしたら、勝手にしやがれだ。勝手に冷蔵庫からビールを取り出して、勝手に食器棚からグラスを取り出して、勝手に幸せになりやがれだ。

坂爪さん

昨日は、日曜礼拝に参加させていただきありがとうございました。

坂爪さんと、参加されたみなさまと、熱海の自然に囲まれた空間でともに過ごした、心地よい体感がしっかりと残っています。

僕にとってはとても大切な体感です。

今日は仕事がたくさん溜まっていて、焦る気持ちが出てきましたが、まずは自分の気持ちに従って、堂々と鶴を折って燃やすことから始めました。自分の時間で生きた自分を素晴らしいと思いました。

またお会いできることを楽しみにしています!

おおまかな予定

8月1日(火)京都府京都市界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

8月27日(日)日曜礼拝&わたり食堂【0円食堂】
https://note.com/keigosakatsume/n/n87cc274ca81e

連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com

SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z

バッチ来い人類!うおおおおお〜!