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ホームをレスした話(6)

素晴らしい出会いは人生を肯定する。

永遠に忘れることはないであろう、最大の喜びに触れる機会が訪れた。私のブログを読んでくれている男性から、ある日、一通のメールが届いた。このメールは、私の人生を大きく変えた。生きていて良かったと思える瞬間の中には、これまでの日々がまるごと報われるような、強い肯定の喜びがある。

男性からのメールには、このようなことが書かれていた。

私は今24歳で、現在所謂ニート状態です。父親の方針で学校に行かせてもらえず、かといって家庭内で教育を受けた記憶はありません。13歳頃まで静岡県に住んでいて、父親が逮捕されたことをきっかけに千葉県に引っ越してきました。執行猶予の判決を受け、拘置所から戻ってきた父親は以前にも増しておかしくなり、15歳の夏に母親と弟と共に逃げ出すまで、酷い虐待をされる生活が続きました。

私のもとには、不登校や引きこもりの人達、闘病生活を送る人達や身近な人間を失った悲しみを抱えている人達から、今でも定期的に連絡が届く。そのすべてに返信をすることはできていないが、この男性からのメールを見て、私は「何か強烈に惹きつけられる力」を感じた。男性のメールは更に続く。

今なお傷を引きずっているのか、自分でもわかりません。しかし私の目には社会は厳しく映ってしまい、今まで働いたことはほんの僅かです。それでも憂鬱をくぐり抜けながら、何とか今まで生きています。インターネットや本を通じて、いろいろな文章を読んできたつもりですが、坂爪さんの言葉にほど惚れたことはありませんでした。まるで太陽のような希望です。お礼を言わせてください。本当にありがとうございます。言葉の中に世界があって、そこには自分の居場所もありました。
少しでも人生が変わる可能性があるなら、私は傷ついてもいいと思えました。ぶつからせてください。坂爪さんの手助けになるようなことがあれば、私に何かやらせてください。お金も能力もありませんし、大変ぶしつけなのはわかっています。お力になれる時がありましたら、ご連絡をください。よろしくお願いします。 電話番号 080-××××-×××× メールアドレス ×××××@××××

自分の言葉で書かれている、素晴らしい文章だと思った。ぶつからせてくださいと本気の思いで伝えてくれる彼に、こちらも「しっかりと返したい」と心底思った。私は、多分、こういうやり取りを心待ちにしていたのだと思う。電話をする。男性が電話に出る。挨拶を交わす。私は、要件を伝える。

ご連絡をいただきありがとうございます。メールを読みました。突然ですが、今夜は時間はありますか?今日の夜から、東京の駒澤大学駅近くの会場で、出演する予定のイベントがあります。もし良かったら交通費や参加費などは私が負担をするので、実際にお会いして話ができたら嬉しいです。と。

男性は了承をしてくれた。電話を切る。駒沢大学駅に着き、男性と初対面を果たす。共に歩き、共にイベント会場に向かう。男性の態度、男性の語り口は非常に柔和で、とても優しい表情をしていた。道すがら、私たちは様々な話をした。男性の名前は三森正道と言った。三森さんが話す内容のひとつひとつがあまりにも衝撃的で、私は、何度もぶっ飛びそうになってしまった。

坂爪「学校に行っていないっていうことは、国語とか、算数とか、そういう教育は何も受けていないってことだよね?日本語はどうやって覚えたの?」
三森「日本語は、二歳年下の弟と話すことで覚えました。家にはテレビもあったので、テレビを見たりしながら、教科書と呼べるものなどはなにもないので、何となく漂う雰囲気から、何となく覚えました。日本語を読むことやメールを打つことは出来るようになったのですが、日本語を『書く』ことは出来ません。いまでも、自分の名前と住所を書くことができる程度です」
坂爪「おおお…すげえ…(驚愕している)。これまでまったく誰とも会うことがなかったのに、よく、勇気を出して私に連絡をしようと思いましたね。どうして、坂爪圭吾(私)に会ってみたいなんて思ってくれたのですか?」
三森「それは、メールに書いた通りなのですが、坂爪さんの言葉のなかに居場所を感じたからです。まるで太陽のような存在でした。そして、坂爪さんの文章を読みながら、いつしか『坂爪さんに連絡をしなければいけない』という衝動が、自分の内側から湧いてくるのを感じるようになりました」
坂爪「うん」
三森「ある日、シャワーを浴びていたとき、ふと、坂爪さんに送りたいと思うメールの文面が浮かびました。あ、これはもしかすると連絡をできるかもしれないと思い、お風呂からあがって、メールの文章を実際に書き始めました。すると、自分でも驚くほど、すんなりと文章を作ることができました」
坂爪「うん」
三森「それでも、実際にメールを送るのは本当に勇気が必要なことでした。2〜3時間をかけてメールを書き上げた後も、実際に『送信する』をクリックするまでに、また、しばらく時間がかかりました。正直に言えば、もう、このまま送信するのをやめておこうかとも思いました」
坂爪「うん」
三森「でも、この時に、坂爪さんが『傷つく前に傷つくな』と言っていたことを思い出しました。実際に傷つく前に、傷つくことを恐れて、何かを実行することを恐れてはいけない。そう、自分自身に言い聞かせて、『傷つく前に傷つくな、傷つく前に傷つくな、返信が来なくたって構わないじゃないか』と勇気を振り絞り、思い切ってメールを送りました」
坂爪「あはーん!もう、うれしい!」
三森「こ、こちらこそうれしいです!」
坂爪「うれしいからクオカードあげちゃう!クオカード知ってる?」
三森「え、えっと、ごめんなさいわからないです」
坂爪「だよねー!コンビニとかで使えるカード!あげちゃう!」
三森「あ、ありがとうございます!」

このようなやりとりを交わしながら、私たちは駒沢大学駅近くのイベント会場まで歩いた。この時点で、私はすでに猛烈に感動していた。何に感動していたのかを、具体的に言葉にすることは難しい。三森さんの存在そのものに感動したのか、三森さんが奮い立たせた勇気に感動したのか、その両方なのか、とにかく「自分の心が強く揺り動かされている」ことを感じていた。

イベント会場に到着をする。ここで、私はこの日一番心が動かされる体験をする。会場の入り口で「この男性は私の友達です」と受付の女性に告げる。と、彼女は、何も書かれていない一枚の紙切れを差し出しながら「ここにニックネームを書いてください」と笑顔で言った。紙切れを見ながら戸惑っている男性を横目に、私はハッとした。

この男性にとって、ニックネームというものは存在しない。一切の学校教育を受けていない三森さんには、同級生と呼べる存在もいなければ、通常の意味での友達と呼べる人間もいない。受付担当の女性は、困っている男性を目の前に「みんなからはなんと呼ばれているのですか?」と笑顔で尋ねる。しかし、彼には「みんな」というものが、はじめから存在していないのだ。

なにかこう非常に複雑な気持ちになった私は、咄嗟の判断で『みっつ』というニックネームを考案した。そして「よし!今日から君はみっつだ!この紙に『みっつ』って書きな!」と、無駄に威勢の良い声で命名した。みっつは「わかりました」と微笑を浮かべ、ペンを持ち、丁寧に、ゆっくりと「ミッツ」と書いた。片仮名であれば、文字表を見ないでも日本語を書けるみっつは、一枚の紙切れに大きな(少しだけ震えた)文字で「ミッツ」と書いた。

続けざま、受付担当の女性は「もしよければ、一言自己紹介も書いてください」と言った。「自己紹介、ですか、、、」と言いながら、みっつは戸惑っていた。そりゃあそうだよね、と私は思った。今までの人生で自己紹介をする機会なんて無かっただろうから、自己紹介をしろと言われも何を書いたら良いのかわからないよねと思った私は、「こんなものは真剣に考えなくてもいいんだ。自分が好きなものでもなんでもいいから、適当に書けばいい。何か好きなものはある?」と尋ねた。すると、みっつは「好きなものならばあります」と言って、霧が晴れたような表情を浮かべながら、サッとペンを取り出して、紙切れの隅っこの方に、小さな文字で『ファミリー』と書いた。

私は、それを見た瞬間、何かもう、自分のボギャブラリーでは到底言葉にすることが出来ない強烈な感動を覚えた。想像してもらえるだろうか。実の父親から虐待を受けて育ったと話す彼が、もっとも大事なものはなにかと問われた時に『家族』と書いた。湧きあがる強烈な感情をどうにかこうにか抑えながら、私は、みっつに「どうしてファミリーって書いたの?」と尋ねた。

みっつは言う。「好きなものと聞かれて、すぐに母と弟の顔が浮かびました。この二人がいなければ、私は、生きていくことができなかったと思います。そのどちらが大事かを選ぶことは出来ないし、どちらも自分にとってはかけがえのない存在なので、大切なものはファミリーだと書きました」と。何の照れもなく、何の衒いもなく、真っ直ぐに「大切なものはファミリーです」と話すみっつを目の前に、私は、思わず泣きそうになってしまった。

これほど純粋なものをいまだかつて見たことがなかった。みっつが「大切なものはファミリーです」と話す態度には、虐待を続けた父親に対する憎しみや、どうすることもできなかった環境に対する呪いのような感情は、何ひとつ含まれていないように思えた。ただただ純粋に「大切なものはファミリーです」と話すみっつを目の前に、私は、静謐で強烈な感動を覚えていた。

本物の美しさや、本物の純粋さに触れると、自分の中から失われていた何かが再び蘇る喜びを覚える。感動を覚えた対象だけではなく、感動を覚えることが出来る自分の心にも、同時に感動しているのだと思う。「私の心はまだ死んでなんかいなかった」と、自分の生命が息を吹き返した喜びを感じる。

この日のイベントは無事に終了し、後日、私たちは東京の目黒で再会をした。私の友人宅で開催された食事会にみっつを招き、私たちは一晩中語り明かした。前回は聞けなかったみっつの生い立ちなどの話も聞き、私のアゴは再び外れた。何よりも衝撃的だったのは、妊娠中、病院に通う余裕がなかったみっつの母親は「自宅のトイレでみっつを出産した」という驚愕の事実だった。「まじか…!」以外の言葉を口にすることが、私には出来なかった。

様々な話をしながら、私は「そう言えば、みっつは何かやりたいことはある?」と問うた。すると、みっつは「とにかく外を見てみたい。行ったことがない場所ならば、何処でも見てみたい」的なことを言った。その瞬間に決定した。家なし生活を続けていた私は、当時、全国各地で開催されるトークイベントに呼ばれていた。そこに、みっつも行動を共にすることになった。

自分の中で決めたルールのひとつに「誰かを救おうとしない」というものがある。正義感や使命感は「価値観の押し付け(暴力)」になる場合は多い。私は、他人に何かを強制したり、他人が自分と同じであることを期待したいとは思わない。誰かのためではなく「自分のため」にやっていることが、結果的に誰かのためにもなったのだとしたら、それを理想的な状態だと思う。

そして、本当の純粋さとは汚れた後から気付くのだろう。家なし生活は(楽しい部分も勿論多いけれど)それなりに過酷で、なぜ、自分はこのような生き方をしているのだろうかと疑問に思うことも少なくなかった。自分で自分を信じられなくなる瞬間はつらい。が、だからこそ、素晴らしい出会いは「これまでの日々」をまるごと抱擁するような、ああ、俺の生き方は決して間違ってはいなかったのだなと思わせてくれる、強い肯定を与えてくれる。

なぜ生きるのか。私は、まだその答えを知らない。が、それは、もしかしたら「あなたに会うため」という非常に短い言葉で表現できるのかもしれないと思った。なぜ生きるのか。なぜ働くのか。なぜ走るのか。なぜ踊るのか。なぜ生きたいと思うのか。それは、それをすることによって「あなたに会いたい」と願う、その働きによるものなのではないだろうか。その祈りが、その希望が、次の一歩を踏み出す力を与えてくれるのではないだろうか。

人間は変われることを証明したい。自分みたいな取るに足りない人間でも、変わっていくことはできるのだと、他の誰でもない「なによりも自分自身に」証明したいと思っていた。みっつとの出会いは、この思いを強化した。生きていればいいことがある。勿論、悪いことだって同じくらいあるかもしれない。が、感動には、これまでの日々を清算する圧倒的な肯定力がある。

多分、私は感動ジャンキーなのだと思う。感動が人間を動かし、感動が人間を浄化し、感動が人間を「別人に変える」力をもたらすのだと思う。だからこそ、私は「真の感動」を求めるようになっていた。表面的な感動ではない、一時的な気晴らしやごまかしで終わるのでもない、大袈裟に言えば「自分を別人に変えてしまうような」感動を、次第に求めるようになっていた。

ら、奇跡が起きた。

(つづけ・・・)

バッチ来い人類!うおおおおお〜!