【往復書簡】自分に無茶振りをしよう。

上の壇珠さんの記事へのお返事です。

おはようございます!!突然ですが、人間って暇になると変なことをやりますよね!!最近の私はコアリズムに目覚めました。コアリズムとはダンスをベースとした家庭用エクササイズなのですが、やってみたらすごかったです!!踊りって楽しいですね!!私は猛烈な猫背なのですが、ダンスによって背筋が鍛えられ、姿勢がよくなりました。腹筋を鍛えまくるために腸内環境も改善された感が強く、踊ることによって気持ちも前向きになり、終了後には汗びっしょりになるために、非常に爽快です!!これは素晴らしい!!

壇珠さんは、コロナ騒動のおかげで気づけたことってありますか?私は、家の裏の雑木林にたぬきとリスがいることを知りました。庭の木をささっと登る個体が目に入り「あれ、猫かな?」と思ったらリスでした。家にいる時間が長く、雑木林を眺める時間が増えたことによって気づけた出来事でした。小さな命に触れると、どうしてこんなにも心は和むのでしょう。先日、ツイッターでヴェネツィアの水路をクラゲが悠々と泳ぐ動画を見ました。引き潮と観光客の減少によって水質が大幅に改善し、様々な命が戻ってきているのだそうです。これを見たときはなんだかとても嬉しかったです。日本の川にも川魚が戻ってくる日が来るのかなと思うと、未来が楽しみになりました。

わたしは、わたしたちがチョット落ち込んでいるときにも、元気を落ち込みに回して使うことで落ち込んでいるのだと思います。もちろん自分が本当にがっくり来ているときに「元気だよ」と言えるかどうかはわかりませんが、でもそれでも心臓が動いていて代謝が行われていてかなりの部分では普段と同じだし、そんな落ち込みの最中にも火事になったりしたらすごい勢いでタンスを担いで逃げられると思うと、やっぱり元気なのだと思うのです。

元気を落ち込みに使う!!すごい!!本当にそうですね!!どんなに落ち込んでいても熱湯をかけられたら絶叫するし、夕日を見たら「うわあ」って言っちゃう気がします。もしかしたら、元気と自信は似ているのかもしれません。自信がない時は「自分には自信がない」という思いに自信を使っているのだと思います。自信は、常に我が身にある。問題は何に使うかであって、元気も自信も勇気も希望も、いつだって自分の中にあるのだと思います!!

コアリズムをやると「生きているって楽しい!」と思います。この「生きているって楽しい!」という感覚は、一体どこから来たのだろうかと考えます。コアリズムをやる前はなかったものが、コアリズムをやった後に外側からやって来たのでしょうか。違う気がします。「生きているって楽しい!」という感覚は最初から自分の中にあって、それは飛び出す瞬間を待っている。それが、たまたまコアリズムを通じて出てきただけなのだと思います。元気も自信も勇気も希望も、ある人とない人がいるのではなくて、出す人と出さない人がいるだけだと思います。出す出さないは自由。ただ、それがないとは言わせない。全部ある上で、それをどうするかは各人の自由なのだと思います。どうせならば、自分は出したいと思うタイプの人間です!!なぜならば、そっちの方が「生きているって楽しい!!」と思えるからです!!

圭吾さんは、他の人のことなんか本当に忘れて自分のことに夢中になったときにこそ、自分をとおして逆に人類の凄さを発見してしまうということがありませんか?!わたしは、自分になにか面白い発見があったときはいつも、「人間ってすげえ~!」と思います。自意識が働いて「自分ってすげえ」と思うのではなくて、いつも「うわーー人類ってスゴいじゃんヤバいじゃん」という感覚になります。

あります!!あります!!ありまくります!!全部これです!!最近の私は味噌汁作りにはまっているのですが、毎回味噌に感動します。なんだこれ美味すぎじゃねえかと思います。ごはんとの相性も抜群です。汁にするのがもったいないとごはんに直接載せたりもします。発酵とか、人類の叡智はやばいです。叡智。素敵な響きです。叡智に触れると感動します。ごぼうを最初に食べようとした人にも感激します。「お前よくやったな」と思います。それくらい食べるものがなかったからなのかもしれませんが、ピンチはチャンスとはまさにこのこと。追い詰められると人類は叡智を発揮しますね。主語はいつだって人類です!!この往復書簡も、完全に自分を追い詰めるために書いています!!自分に言い聞かせて、人類全体に轟けと願っています!!

わたしは女の人は、自然にしていると、上の圭吾さんの表現をお借りしますと「ハンマーで殴る力」があると思っていて、それを発揮するのをためらわないほうが循環を生み出すものと思っています。別にハンマーで殴る力は汚い言葉を使うとか怒るとかいう必要はなくて、ニコニコしながらもできることだと思います。無理やりにまとめてしまうと、もし自分の真っ直ぐな思いであるならば、それが誰かに思いっきり身の引き締まる思いをさせるかもしれないという心配などどこ吹く風と言った風情で、躊躇しないでやってしまうほうがいい感じがします。それがたとえ、ハンマーでなにかを叩き割ることになるのだとしても。わたしはそんな人をイイ女だと思います。

完膚なきまでにイイ女です。イイ女とは、男を変身させる女だと思います。コアリズムをやっていると「パーティータイム」の大号令と同時に、激しく腰を振ることを強要されます。笑顔の女性から「あなたはもっとできる!もっとできるはずよ!」などとけしかけられると、なんというかやらざるを得なくなって化けます。これはただの仮説なのですが、女によってけしかけられた男性がたくましくなることによって、女性も「うほっ」と興奮をして美しさが増す。ここに循環の秘訣があるように思います。逆に、女性が遠慮をすると循環は滞ると思います。女性に喝を入れられることで、男は発奮をします!!男(というか私)は、刺激してくれる女性を求めているのです!!

あふれちゃんの存在って、どんなに年をとってもあるものですよね!子どものころは、毎日あふれちゃんそのものでいられたのに、わたしが学校に行くとあふれちゃんが隠れてしまいました。それから、嫌な仕事をするとあふれちゃんが隠れます。このあふれちゃんは無理矢理に出すことができないので、この部分で人は自分に嘘をつくことができないのだと思います!!

わたしたち人間は、複雑に考えなくてもあふれちゃんを大切に生きるだけでいいのかもしれない、などと思います。圭吾さんは、夕陽の他にどんなものであふれちゃんが出てきますか。わたしも夕陽であふれちゃんが発動します!あとは朝日、嵐、海、山、圭吾さん、好きな人、好きな香り、ゲーム、好きな動画、アスレチック、遊園地、音楽、踊ること、釣り、キャンプ、アウトドアライフ、畑、収穫、食べ物を採ること、楽器、人前、動物や鳥や虫や魚など、般若心経、好きな漫画、好きな映画などです!

んむおう、本当に同意です!!同意!!同意の嵐です!!自分の「好き」が生み出すエネルギーって半端ないと思います。またしてもコアリズムネタで恐縮ですが、体を思い切り動かすと「うおおお、生きてやるぜえ」という前向きな意思が湧き上がります。非常に健康的で、習慣として最高だなと思います。運動後の食事は通常の食事より数倍美味しく、メシを美味く食うために仕事も頑張って食料を調達してきてやるぜ的なガッツも出ます。コアリズムをやってうまいメシを食べられたら人生の90%程度は満ち足りるので、別にフルタイムで働かなくても生活コストを下げて1日4時間働けばどうにかなる生活に移行すれば、人生バラ色なんじゃないのかとさえ思います。現代病の9割は運動不足が原因だと思います。気持ち良い汗を流せたら、金がなくても案外幸せになれると思います。現時点では9時間労働が普通とされていますが、実際は働きすぎだと思います。4時間で十分だと思います。それ以外を自分の「好き」に捧げる方向に使えば、確実に世界は好転します。

そして・・・私も壇珠さんとまったく同じものにあふれちゃんが出ます!!ここに「圭吾さん」と書いてあってドッキリしました!!ありがとうございます!!小生、照れてなにも言えねえっす!!私も正々堂々壇珠さんと言いたいです。常に限界を突破してくる壇珠さんにあふれちゃんです。人間関係ではついつい「このひとにはこれくらいがちょうどいい」などと思って限定的なやりとりを交わしてしまったり、嫌われることを恐れて自分をセーブしてしまうことがあります。しかし、この往復書簡は「どれだけ限界を超えられるか」の勝負であるため、終わりがありません。永遠に遊べる遊びです。さみしくなることがありません。往復書簡というでっかい焚火に、人生で起こる一切合切をどりゃあと投げ込み「燃ーえろよ、燃えろー」とわちゃわちゃしている感じです。全部がネタです。生きている限り、燃え続けます!!

小さな頃、私は海外の人々が怖くて仕方がありませんでした。髪の毛は茶髪だし、目の色は変だし、身長は高いし、よくわからない言語を喋るし、とてもじゃないけれど同じ人間とは思えませんでした。似たような形をしているけれど、同じ人間というよりは「宇宙人」を見ているような感覚でした。しかし、ある日、テレビか何かの映像で世界中の人々が夕日を眺めている場面を見ました。そのとき、私は強烈な安心感を覚えたことを思い出します。国は違えど、人間の心の中には「夕日を美しいと思う心」が共通してあるということ。このことを知ったとき、私は「なーんだ」と強い安心感を覚えたのです。表面的には違う部分がたくさんあっても、多くの人々は夕日を美しいと思い、寒い日にお風呂に入れば幸せを感じ、空腹の時にあたたかいスープを飲めば幸せを感じる、体を動かせば前向きな気持ちを感じる。なーんだ、みんな似たようなもんなんじゃないかと思ったとき、安心を覚えたのです。

違いに目を向けると断絶が生まれますが、我々人類、生きていれば腹も減るし運動をすれば筋肉痛にもなる。朝日や夕日を美しいと思う心があって、小動物に心を慰められたりもする。みんなにはお父さんとお母さんがいて、誰もが赤ちゃんだった時期があり、奇声を発しながら狂ったように野原を駆け回っていた時期があり、誰かを好きになったり、好きな人との別れがあったり、それなりの悩みを抱えながら年齢を重ね、最後の最後には土に還る。「生まれてきて、生きて、死ぬ」という点で見れば全員がフェアであるというこの一蓮托生感に、私は勝手に「おお同胞よ!」的連帯感を抱きます!!

わたしの観察する限り、今の世界でかなりたくさんの人が「冷静なのがかっこいい」と思っています。冷静なのが賢い。冷静な方がデキる。冷静な方が大人。で、その逆はダサくて、馬鹿で、自分を抑えられない子ども、という感じです。まあ冷静になろうよ。とりあえず落ち着け。興奮してるとIQ落ちるぞ。と、熱くなっている人を見下します。だからみんな、怒っていても興奮していても出さないで我慢をしている。こういう空気が現実社会にもSNSにも充満していて、わたしはそれがCO2以上に地熱を上げている気がします。人間が無理にクールを装うので、そのために内側のストレスが高まって、それは暴飲暴食だったり衝動買いだったり過剰な消費だったりを招いて、地熱を上げているという無理やりな直感型理論です。その逆に、我々がスカッと怒ったときや伝えたいことを熱く伝えたあとに見たくなるのは夕陽や花や木や海です。山に入ったり、散歩をしたり、音楽を聴いたり、静かに身体を休めたりしたくなります。エコです。身体に熱を溜めないほうがエコです!!無理やりふうですが、これがわたしの直感です!!

素晴らしいお言葉をありがとうございます!!削れるところがありません!!おっしゃる通りすぎてハゲます!!私の頭が削れます!!うおおおおおおおおおお!!熱く生きるために、小生からの提案があります!!それは「自分に無茶振りをしよう」という提案です!!女性の場合は「お近くの男性に無茶振りをしてみよう」という提案です!!私が思うに、男性がもっともいきいきとするのは女性に振られた時だと思います。私の場合、28歳の時に同棲していた彼女から振られることで(ホームレス生活を体験して)ブレイクスルーを果たしました。家がなくても生きられるかを試したことで、自分で言うのもあれですが価値観がひっくり返る体験をたくさんしました。自分を崖から突き落とす。小さな悩みでうじうじしかけた時は、もっと大きな悩みに自分自身を突き飛ばす。ダイエットで10キロ痩せるとか、未経験からダンサーを目指すとか、バク転するとか、能動的に流刑をするとか、内容はなんでもいいです。いまの自分が「これは無理だ!」とか「できるはずねえ!」と思うことを、自分(あるいは、お近くの男性)に挑戦させる。新しい体験をすることで新しい自分に出会い続ける。そんな人生はエキサイティングでパラダイスです。自分に無茶振りをするなんて、どうでしょう!!!

壇珠さんは「あれは自分に無茶振りをした体験だったなあ」と、懐かしく蘇ってくるエピソードってありますか??僭越ではございますが、私が家なし生活で獲得した叡智をひとつお話させてください。かつての私は「なんでも自分一人でできて当たり前。誰かに頼るのは半人前のすることだ」という価値観で生きていました。だから、問題が起きても自分だけで抱えてしまうことが多く、結果的にパンクをして重苦しい日々を過ごしていました。しかし、家がなくなった(当時はお金も仕事もありませんでした)ことを通じて「誰かに頼らざるを得ない」状況になり、正真正銘のSOSをぶちあげることができました。すると、世界は自分が思っていた上に優しいことがわかりました。食事をご馳走してくれたり、寝床を提供してくれたり、見返りを求めずに「面白そうだから」という理由だけで、様々なものを恵んでくださる方々と出会うことができました。これらの体験を通じて、私は「どうにかするじゃない。人生は『どうにかなる』なんだ」と思うようになりました。自分一人だけの力ではなく、生きると言うことは「自分と、自分以外の人々によって織りなされる、総合芸術みたいなものだ」と思うようになりました。自分の力だけで生きていると思うとは思い上がりも甚だしい。自分は、生きていると言うより生かされているのだ。だからこそ、人生の主語は「自分」だけではない「人類」になるのだ。どうにかするという考え方は、自分本位過ぎる。無限の網の目の中で、どうにかなっていくのが人生なのだ、と!!

小生、いくつになって無知に飛び込む馬鹿野郎でありたいです。自分が知っていることよりも、自分が知らないことに自分の命を捧げたいです。冷静フェイスで「人生とはこういうものである」と学者ヅラして能書きを垂れるより、未体験ゾーンを発見しては「うおおおおおおおおお!!」と特攻を重ねる実践者でありたい。私が思うに、人間は挑戦をしているときにもっともいきいきする生き物だと思います。同時に、挑戦している人を見ると応援をしたくなる生き物でもあると思います。自分一人が生きられる人生の幅には限界がありますが、自分は誰かの代わりに生きていて、誰かは自分の代わりに生きているのだと思えたとき、人生の幅はグッ!と拡張をします。自分の挑戦は自分の挑戦でありながら自分だけの挑戦ではない。自分の体験が人類全体の体験になるのだと思えば100万馬力でございます。自分に無茶振りをすることが最高の脳トレであり、最高のアンチエイジングであります。などと書いていたら自分も挑戦しなければならない気持ちがメラメラ湧き出してきました!!コアリズムだけでなく今日はベリーダンスの腰振りを勉強したいと思います!!YOUTUBEで!!いやあ、無料でダンスの勉強ができるなんて素晴らしい時代だなあ!!この時代に生まれた恩恵を全力で浴びながら、共に熱く生きていきましょう!!うおおおおおおおお!!レッツダンス!!

バッチ来い人類!うおおおおお〜!