愚かさと切なさと物悲しさ。
私の兄は今の妻と出会って二週間で結婚した。兄は変で、自分でやっている会社のホームページに「俺は恋愛ではなく結婚したい」と書き、自分と同じ心境の女性を募集した。驚いたことに一人の女性から連絡が届き、二人はガストで初対面を果たした。二週間後、本当に籍を入れた。間近で見ていた私は「まじか」とビビり、人生の可能性や人間の可能性に戦慄した。兄は変だ。新潟高校を卒業した時、卒業アルバムを学校に捨てた。今で言うコミュ障だが、彼は東大に進学した。上野千鶴子のゼミにどうしても入りたかったらしく、彼は猛勉強をした。我が家から東大生が出るとは思わず、中卒の父と中卒の母は戦慄した。せっかく東大を出たのに、卒業後、兄は変な会社を起こしてしっかりと両親を落胆させた。私は、兄の生き方に震えた。間近に変な人がいると、変な形の勇気を貰う。
最近兄が本を出した。会社をやっているからそれにまつわることなのかと思ったら、昆虫図鑑だった。帯には福岡伸一大先生の推薦文まで書かれてあり、なぜ、こんな本を出す経緯に至ったのか尋ねたら「自分で出版社に売り込んだ」と言った。兄のバイタリティが謎だ。兄は昔から爬虫類が好きだった。実家には異様な数の爬虫類がいる。亀。蛇。蛙。トカゲ。イグアナ。なんでもござれだ。だからこそコミュ障になったと言えるのだが、兄の「自分の好きに突き進む力」は尊敬に値する。少し前に書いた本の帯には、昔から敬愛していた漫画家・日本橋ヨヲコ先生にイラストを描いてもらっていた。コミュ障が何かを強く望む時、一般人には出せないエネルギーを爆発させる。兄は私を罵倒する。お前の生き方はクソだ。俺みたいにアカデミックスマートな人間になれ。そんな感じのことを言うのだが、先日、兄の奥さんに会ったら「我が家は私の稼ぎでもっています」と言った。兄の奥さんは看護師をしている。兄は、大量の本を出したり結構メディアにも出たりしているのだが、金にならない仕事ばかりをしている。俺に何かあった時は兄に金の無心をすればいいと思っていたが、案外、兄は頼りにならないことが判明した。坂爪家の男たちは終わっている。
親戚一同が集まる時、坂爪家の社会性が問われる。普通、他者と会う時はそれなりに愛想笑いをしたり社交辞令を言うものだが、坂爪家の一族は全員それができない。坂爪家以外の人間がまともな話をしている時、坂爪家の誰かが口を挟むと途端に変な空気になる。私が「来月クロアチアに行くんだ」と言ったら、普通の女子たちは「いいな〜!」とか「魔女の宅急便のモデルになった街だよね」みたいなことを言うが、兄は「クロアチアにはレアな昆虫がいる」と言い出す。父も変だ。クロアチアって日本がサッカーで負けた国だろと、突然怒り出した。お前はそんな国に行くのかと説教された。新潟で理髪店を営む父は、原チャに乗って釣りに行く。工場用のヘルメットを愛用しているため、厳密には道路交通法に違反している。ヘルメットの額の部分に床屋のシールを貼っている。床屋の矜持があるのだとは思うが、笑えて、泣ける。私は基本的に家族のことが大好きだが、ふるさと独特の切なさを感じる。ユーモアと物悲しさは紙一重と言うが、紙一重どころの騒ぎではない。同じだ。彼らには100%の面白さと100%の切なさを感じる。自分を含め「こんな風にしか生きることができなかった」という切なさ。彼らが彼らを生きるほどに、笑えて、泣ける。俺がしっかりしなきゃなと思うには思うが、実際にしっかりすることはない。最後まで、愚かなまま。止めることのできない愚かさがある。
母は、麻雀とボーリングとパチンコに狂っている。自ら「不埒な母」と名乗り、俺(母の一人称は俺)は遊びに行ってくるぞと吠えながら家を出る。山形の田舎で育った母には学がない。教養はないくせに、芸術関係には妙に詳しい。なんでそんなに知っているのかと尋ねると「たまたま」と言う。偶然、詳しくなったらしい。子育てが一段楽した時、俺も何かやることを見つけないとなと思った母は、押し花を始めた。花を愛するマインドは、母から継承している。母は、一応私のブログを見ている。会う度に言われる。お前は、みんなから愛される限り生きて、誰からも愛されなくなったら死ぬんだね、と。私は「わかってるな」と思う。さすが母。死ぬことも含めて、私を自由にさせている。親子関係にありがちな問題が、坂爪家にはない。母は私を捨てている。私も母を捨てている。関係性を捨てた訳ではない。期待を捨てている。所有権を捨てている。コントロールを捨てている。だから、我々の間にしがらみはない。坂爪家一族の人間性は最低だが、関係性は最高だ。
坂爪家で一番やばいのは姉だが、姉は旧姓が坂爪だったことを隠して生きているので控える。坂爪家の帝王である姉からは「悪事はばれなきゃ悪事じゃない」と箴言を授かり、小さな頃から「感情が揺れた時は笑え」と垂訓を受けた。新潟にいると切なくなる。家族も切ない。夕日も切ない。目に映るすべてのものが、西日に照らされて切ない。この切なさに耐えられなくなって逃げる。高校卒業後、私は新潟を逃げた。関東にこの切なさはない。ほっとしながらも、同時に「逃げてるな」とも思う。故郷に行くと自分のルーツを叩きつけられる。切なさと愚かさと物悲しさ。お前はここで育ったのだと、新潟から言われているような気持ちになる。様々な国々を見てきたが、新潟の愚かさと、新潟の切なさと、新潟の物悲しさは群を抜いている。坂爪家に、ありがちな家族のしがらみはない。あるのは、愚かさと切なさと物悲しさだけだ。
バッチ来い人類!うおおおおお〜!