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ホームをレスした話(2)

泣く道を選ぶか、笑う道を選ぶか。

試合開始のゴングが鳴る。これは「いかに自分を笑えるか」の勝負だった。生き方のセンスが問われていると思った。ので、まずは自分の中でルールを設けた。それは「悲愴感を漂わせないこと」だった。悲愴感は湿気がすごい。湿気がすごいと魂がカビる(被害者意識とか不平や不満や卑屈になることも魂がカビる)。私は思った。明るいバカに人は集まる。これはもうバカになるしかない。作られたバカではなく、真性のバカになる必要を感じた。

各種SNSには「シェア」という非常に素晴らしいシステムがある。自分を出すという作戦が功を奏したのか、単に幸運だっただけだけなのか、私のブログ記事は様々な方々にシェアをしていただき、東京を中心に「家のない生活をはじめた変な男がいる」という伝言ゲームがはじまった。ブログには連絡先も載せてある。誰でも連絡くださいとも書いてある。これはいよいよはじまってしまったとビビりはじめていた矢先、携帯電話がぶぶぶと鳴った。

このあたりから一回人生がバグった。多分、確率変動の合図だったのだと思う。電話が鳴る。電話に出る。渋谷に来たらラーメンをご馳走すると言われる。渋谷に行く。ラーメンをご馳走になる。感謝を伝えると「こちらこそありがとうございます!またご馳走させてください!」と逆に感謝をされる。

川崎でうなぎを食べないかと誘われる。おなかはいっぱいだったけど「行きます!」と答える。川崎に着く。うなぎを食べる。うなぎを食べながら電話が鳴る。電話に出る。シェアハウスをやっているのだけれど泊まりにこないかと誘われる。即座に「行きます!」と答える。電話が鳴る。電話に出る。六本木で弁当が余っているのだけれど食べますかと聞かれる。もちろん「食べます!」と答える。そんな感じの連続で、そんな感じの連続を各種SNSから投稿した。ら、それを見た方々も「あ、こいつは呼べば本当に来るんだ」的なことを思ってくださったのか、電話は加速度を増して鳴り続けた。

需要と供給のバランスが崩壊した。電話が鳴る。電話に出る。差し支えなければ食事をご馳走させてくださいと話す優しい女性からのお電話だった。が、先約があったために「お気持ちはほんとうにうれしいのですが、先約の方がおりまして…」と一旦お断りをした。が、元来、私は気を遣いすぎて自滅するタイプの人間なので、妙な罪悪感から「が、明日でもよければ行けます!」と咄嗟に付け加えた。ら、彼女も「明日でも大丈夫です!楽しみにしています!」とのこと。このあたりから、今日の食事だけではなく明日の食事の予定まで、なんなら来週以降の食事の予定までが埋まりはじめ、気がついた時には「坂爪圭吾に食事を奢る権利闘争」的な現象が起こりはじめた。

食事を奢る権利だけではなかった。気がついたら一ヶ月先の宿泊予定先まで埋まり始め、いつの間にか「坂爪圭吾の予約待ち状態」みたいな状態になった。電話が鳴る。電話に出る。私は、さながらバイトリーダーがシフトを組むような感じで「明日は無理だけど、この日なら行けます!」などと自身のスケジュールを調整することになった。常に、腹の中では「なんだこれは」と思っていた。こうなると見越してはじめた家なし生活ではなかった。ただ、二夜連続の焼肉の味が忘れられなかっただけだった。が、蓋を開けて見たらびっくり、いつの間にか、周囲からも「売れっ子ホームレス気取りかよ」と揶揄をされる程度には、謎のスパークを遂げていた。

私は、家がなければ生きていけないものだと思っていた。東京の家賃は高い。しかし、東京で暮らすためには致し方のないことだと思っていた。が、実は、もしかしたらそんなことはないのではないかと思いはじめたのはこの頃だった。仮に、家のない生活が実現可能なものであると立証されれば、生活費から家賃分が浮く。家賃分が浮いたら、たとえば、私のようにあまり長期間同じ仕事をすることが得意ではないタイプの人間(要するにエコノミックな弱者)も、生きるハードルがグッ!と下がる。

私の場合、同棲をしていた彼女から振られたことで「これは良い機会だから、家なし生活が可能なものなのかどうか、自分を使って試してみよう」という方向に自分を振り抜くことができた。そして、実際に試してみたところ、最初の数日間だけでも「なんだかよくわからないけれどとんでもないことが起きている」という感想を抱いた。なんでこうなっているのかはまるでわからない。が、この生き方の先にはなにかがあるような気がするという、言語化されることを待っている「予感」のようなものを覚えていた。

家がなければ生きていけないどころか、家があったら起こりえない現象が起こり続けている。これはなんだ。繰り返しになるけれど、私は「家なし生活をはじめたらこういうことが起こるだろう」と先を見据えてはじめた訳ではなかった。未来の展望など皆無だった。軽い気持ちの見切り発車だった。なにはともあれ「やりながら考えよう」程度にしか思っていなかった。ら、こんなことになった。自分でも驚いた。多分、自分が一番驚いていたと思う。

これはなんだ。いま、自分に起きている現象(別名・わたしのために争わないで!状態)はなんだ。家がなければ生きていけないどころか、なんだったら「家があった頃よりも毎日うまい飯を食っている」この現象はなんだ。食事をご馳走になったり、寝る場所を提供していただき、ほぼ100%の確率で「困ったときは、また、いつでも連絡をくださいね」と言ってもらっているこの現象はなんだ。生きることとセフティネットを開墾することが、限りなくイコールになっている(生きるほどに「家」が増える)この現象はなんだ。

誤解されると困っちゃうのだけれど、私は、自分の生き方をひけらかして「どうだ、こんな生活ができている自分はすごいだろう!」とドヤ顔を決めたい訳ではなかった。ただ、我が身に起きている現象があまりにも謎で、自分でもまったく意味がわからなかったために「この現象をみんなと一緒に考えていきたい」という思いだけが強くあった。

こうでなければいけないの、一体どこまでが本当に「こうでなければならないもの」で、一体どこからが「実はまったくそんなことはないもの」なのか。家とはなにか。家族とはなにか。人生とはなにか。生きるとはなにか。どこまでが自分の勝手な思い込みによるもので、どこからが自然の摂理【普遍性】によるものなのか。乱暴にまとめると、私の関心はそこにあった。

「こうあるべき」の外側を見たい。「こうあるべき」の外側に触れてみたい。自分が抱えている生きづらさのような欠落を、残酷に、爽快に、あっという間に吹き飛ばしてくれる『なにか』との出会い。自分の命に意味を与える『なにか』。自分の命に価値を与える『なにか』。自分の命に役割を与える『なにか』。その『なにか』との出会いこそ、自分が求めているものだと感じていた。

ら、奇跡が起きた。

(つづけ・・・)

バッチ来い人類!うおおおおお〜!