「これから」の自分自身のスタンス
「〜したい」っていうエネルギーと「〜すべき」っていう外圧
小さな赤ちゃんを見ていると、
「なんて自分の欲望に忠実なんだろう。」ってよく思う。
遊びたいおもちゃ、食べたいごはん、読みたい絵本が明確。
「う〜!!!!あ〜〜!!!!」と喃語で自分の主張を何度でもしてくる。
できなかったときは、大泣き。しばらくは泣き止む様子はない。
それほど、自分で、自分のしたいことがわかってる。
〜したい、で溢れている。
一方で、大人は「〜すべき」の世界観にとらわれてしまってることが多いのではないかって感じる。いいたいこともいえない世の中だろうしね。
ポイズン!
「〜したい」の内面からのエネルギーよりも「〜すべき」な世界観、自分の内面ではないところで作られたモノに動かされてしまうことは、息苦しい。
自分の場合は「公務員だから」からはじまった。
世の中にも、会社員だから、社会人だから、男だから、女だから、お兄ちゃんだから、お姉ちゃんだから、、、につづく、ある意味暴力的な枕詞から繰り出される世界観ってありませんか、ないですか。
こうした枕言葉たちも、ふりかざしている人はよくわからないまんま扱っていることも多いし、絶対に間違っていないと信じている場合も。
誰かにふりかざされた結果、誰かにまたふりかざす構造が出来上がっていて、部活で上級生にしごかれた下級生が上級生になったときにまた下級生をしごくっていう構造と一緒かな。
圧に弱い人もいる。
ふりかざしが横行した結果、自分のことがよくわからなくなっていく。
僕もその一人、だった。
強烈に感じたのは、上司の「公務員とは、こうあるべき」という名の圧飲み。もしかしたら社会人とはこうあるべきっていうことでもあるかもしれない。
例えば、飲みに誘われたら断るなとか、いくら飲んでも次の日には朝1番にいけ、とか、お酌はこうしろとか、細かいことくらいしか覚えてない。
けど、こうあるべきがつよすぎて、違う見方もあるんじゃないですかっていう意見を少しでもいうモノなら、十かえってくる。上司が持っている見方が絶対に正しくて、そこから外れることができない。
段々ツラくなってきて、相手が正しいと思っていることをいったり、賛同していればいいっていう結論にいたった。
そんなことを繰り返していると、自分の考え方がわからなくなっていって。(これ文章でいうと数行くらいですけど、毎週の飲み会は3年は続いてた。回数でいえば、150回くらい。)
例えば、普段の仕事でも、コミュニケーションの相手のことを先回りするようになっちゃったんです。電話をすることが怖くなっちゃって、税金のことだから「絶対」相手は怒っている!っていう妄想したり。
飲み会でも、二次会の場所を押さえてないと怒られるだろうから、今のうちに電話番号を調べておこう、とか。
電話番号を調べるのは悪いことではないけど、二次会の場所を押さえてないと怒られる、って先回りするようになっちゃってるって怖くないですか。
その上司との関係性が「普通」になって、あれ、僕ってどんな風にコミュニケーションしてたっけ?ってわからなくなっちゃったんですよね。
もっと一人一人の可能性が最大になって、
生き生きする世界になったらという願い
自分と同じように息苦しさを感じてる人、感じてた人っていると思うんです。
他人が押し付けてくる考え方とか、誰が作ったかわからない価値観とか、常識に従わなきゃいけないとか、立場優先とか、いろんな言い方があると思うのだけど、自分の外側にあるモノが強くて、自分の内側にあるモノにフタをするような、させられるような、優先できないような息苦しさを感じている人。
この状態って、人の可能性が本当に小さくなってる気がするんですよね。
自分の場合、他人の押しつけに圧倒的に影響されて、現実のあり方まで変わってきてた。息苦しさを感じているときの自分って生き生きしていなかったし、自分自身がつまらなかったし、ずっとどこかでモヤモヤしていた。
今思えば、
自分が自分をブロックしてたし、
上司も上司で、こうあるべきにとらわれていたように思えるし、
その二人をとりまく世界も、何らか良い方向に向かう影響を作れなかったのかなって。
人って心から喜べることをしたり、自分の内面にあることを素直に出せたりしたら、自然に自分のチカラを発揮するし、絶対生き生きする。もっともっとそのまんまでいいやん、ありのまんまで。
厳密に考えて、ありのままでいくと、、
赤ちゃんみたく「あっっ〜〜〜!!!」と自分の主張だけを通してしまうことになるから(笑)
内面を大事にしながら、世界とどう仲良くできるのか、下記に書いた3つの大事な視点から、実験を繰り返しながら、調和できるところを探せれたらいいなって。
人が自分自身の可能性を最大にして、生き生きするために大事な三つのこと
自分自身の内面と、自分をとりまく他者との関係性、そしてもっと大きな社会や世界の繋がりの調和があって、一人一人が可能性を感じながら、生き生きしていくことがしやすくなるんじゃないかな。
この三つの視点を持ちながら、僕自身も模索しています。
だから、立場を気にせず、自分の言葉をそのままだせるスナックみたいな場所を目指していて、無条件に応援してくれるおばあちゃんみたい人でありたいなって。
自分自身が「〜すべき」の世界観に支配されて、「〜したい」を取り戻していったように、一人一人が可能性を感じながら、生き生きしてほしいって心から願ってる。まずは、読んでくれた人の心のスペースが、少しでもできますように。
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