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ガザ侵攻に思う~バビロンよりもジェリコの壁を思い出せ

イスラエルのガザ侵攻に対して、心を痛めている人も多いのではないでしょうか。
ロシアとウクライナの戦争よりも更に遠い出来事のようにも思えますが、ロシアとアメリカ双方の介入が衝突すれば、第三次世界大戦だって起こりうるような大問題です。

おそらく私だけではないと思うのですが、今回のガザ侵攻がハマスのテロを直接の契機としつつも、それだけが原因ではないと考えています。
第一次世界大戦におけるイギリスの三枚舌外交、ナチスドイツによるホロコースト、これらの悲しい記憶が影響していることは間違いないでしょう。
加えて、旧約聖書にはユダヤ人に対する迫害の歴史が残されています。ガザを兵糧攻めにするその心には、バビロンから兵糧攻めにあったときの記憶が今なおあるからのように思えてなりません。

そこでは「あわれみ深い女たちさえ、自分の手で自分の子どもを煮て、自分たちの食物とした。」とあります。
同じ目に遭わせたい、今こそ我らの恨みを思い知れ、そんな悲痛な叫びが聞こえてくるような気がするのは、私の思い過ごしでしょうか。しかし、ナチスがユダヤ人を人間として扱わず虐殺しようとしたのと全く同じように、イスラエルのギャラント国防大臣が、パレスチナ人を「ヒューマンアニマルズ」と呼んだことも併せて考えると、あながち的外れではないように思われるのです。

ユダヤ教徒が実際に使っているのは旧約聖書ではなくタルムードですから、記載されている内容は少し違うかもしれませんが、聖書には「ジェリコ(エリコ)の壁」というエピソードも載っています。

ここでは、壁をなんと武器を使わずに崩したというのです。

イスラエルがパレスチナに対して分離壁を作ったのとは真逆です。

一方で聖書には「彼らをゆるすな。男も女も、幼な子も乳飲み子も、牛も羊も、らくだも、ろばも皆、殺せ」という一文もあります。

結局、どんな信仰を持とうと、解釈し、選ぶのは人間です。
であれば、罪を憎んで人を憎まず、江戸の敵を長崎で討つようなことはせず、ジェリコの壁を思い出してほしい、そう、切に願って願ってやみません。

それでは、また。

世界や自分自身をどのような言葉で認識するかで生き方が変わるなら、敬意を込めた敬語をお互いに使えば働きやすい職場ぐらい簡単にできるんじゃないか。そんな夢を追いかけています。