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【映画のパンフ 全部見せ】ポール・バーホーベン監督5作品、No.29,30,31,32,33 『トータル・リコール(1990)』『氷の微笑(1992)』『スターシップ・トゥルーパーズ(1997)』『インビジブル(2000)』『エル ELLE(2016)』

ポール・バーホーベン監督の魅力の1つ目と言えば、観てて引いてしまうほど “ブラックで生々しい” 描き方をするところでしょう(何故か男女が同じ更衣室を使ってるというのもあるが)。
例えば『ロボコップ(1987)』では、ロボット警察官を開発している会社のフロアで、2足歩行の初期型ロボットを社員にお披露目のシーンで、試しに犯人のふりをした若い社員が銃を捨てて降参しても手違いでロボットが止まらず、肉が飛び散るほど撃たれてしまいます。

これが『スターシップ・トゥルーパーズ(1997)』ではお話までもが “ブラックで生々しい” ことになっているように感じます。
他の惑星から地球を攻撃してくるバグズ(頑丈な虫みたいな生き物)を青春ドラマみたいに「根こそぎやっつけようぜ!」などと意気込んで敵の惑星に乗り込むと、全然簡単にやっつけられるレベルの敵でも数でもなくて、仲間が次々にバラバラに切り刻まれていく。まず、ここが見た目に “ブラックで生々しい” のです。
さらに重ねて、「舐めてかかっていったら、逆にエラい目に遭ってしまった」というのが思わず笑ってしまうほど “ブラックで生々しい” お話となっています。


ポール・バーホーベン監督の魅力の2つ目
と言えば、“結局のところどっちが正解なの?” (どっちが真実、どっちが正義、誰が犯人など)というのをあえてハッキリしない描き方をするとこではないだろうかと私は思います。

例えば『トータル・リコール(1990)』は、地球で毎日単調な生活をしていた男が、仮想現実を見せてくれるリコール社へ行って「秘密諜報員として火星を旅する」というコースを選んでみたら、本当にそんなことをしていた過去を思い出してしまって、実際に火星に乗り込んでいく。そんなお話です。
今作では「自分は実際に火星に行って、自分の謎を解き明かしている」というのが本当なのか、「自分はリコール社で椅子に座って、仮想現実を観ているだけ」というのが本当なのかが、最後まで “結局のところどっちが正解(どっちが真実)なの?” かがハッキリとは描かれていないように見えるのです。


『氷の微笑(1992)』
でも “結局のところどっちが正解(誰が犯人)なの?” というのがあります。
男が全裸で両手を縛られ、31箇所もアイスピックで刺されていたところからはじまるお話である。今作は犯人が資産家でミステリ作家としても活動している美しい女の、キャサリン(シャロン・ストーン)なのかどうかが最後まで描かれません。刑事ニック(マイケル・ダグラス)と愛を交わすキャサリンですが、「絶対に彼女が犯人だろう」と思わせておきながら、彼女がハッキリ犯人と言えるシーンは描かれていないのです。


『インビジブル(2000)』
は面白い作品ではありますが、透明人間の実験が見た目生々しいのはあっても、“結局のところどっちが正解なの?” というポール・バーホーベン監督らしさは、あまり感じられなかったのでした。


『エル ELLE(2016)』
“結局のところどっちが正解(どっちが正義)なの?” が心地よいお話だと思います。
いきなり主人公の女性が(性的)暴力を受けても、警察の力を借りずに自分の手で犯人を追い詰めるように探していく姿を見ていると、「男から暴力を受けたこの女性は被害者なのか?、それとも加害者だったから恨まれて仕返しをされたのか?」というのがだんだんわからなくなってしまうのです。


ポール・バーホーベン監督の “結局のところどっちが正解なの?” という見せ方だと、見る人によって全然逆の受け取り方もできてしまいます。

しかし、はじめはこの描き方は無敵なのかと思ったのですが、『スターシップ・トゥルーパーズ(1997)』ではちょっと違いました。

『スターシップ・トゥルーパーズ(1997)』を私は「ブラックに戦争を風刺したSF娯楽作品」と受け取りました。しかし、どっちが正解(戦争という行為が善か悪か?)みたいなことを、誰が観てもわかりやすくは描かれていなかったということで、人によっては「戦争をやるのは正義の行いだ」みたいに受け取られてしまったようです。
それで、映画の批評家さんが「人気のある若者を出演させて、戦争を讃美しているような作品はおすすめできない」ような流れになってしまって広まり、結果興行収入が伸びなかったというのがあったらしいのです。
観る前の情報によって作品が決めつけられたようになって観てもらえないなんて、そんなのは残念すぎます。


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