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【映画のパンフ 全部見せ】No.10 『セーラー服と機関銃(1981)』と『セーラー服と機関銃 完璧版(1982)』
私がはじめてファンというものになったのは薬師丸ひろ子さんであった。
同時に今作の相米慎二監督を知り、こちらもはじめて監督作品で映画を観るようになった(この後で『翔んだカップル(1980)』を観た)。
公開当時映画館を観客の列が3周とかしていて、朝早く行ったにも関わらず映画館に入れたのは夕方であった。映画がはじまって、スクリーンで薬師丸ひろ子のアップのシーンになると「バシャバシャバシャ!!!」と凄まじい数のカメラのシャッター音が鳴り、ストロボが光って、せっかくのアップなのに真っ白のスクリーンしか見えなくなったりした(きっと写真も真っ白だったであろう)。
『セーラー服と機関銃(1981)』が1981年年末の公開で、次の年の夏にカットされた20分が追加されて『セーラー服と機関銃 完璧版(1982)』が公開された(TBS系で放送された薬師丸出演ドラマ『装いの街(55分)』が併映)。
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感象派としての薬師丸ひろ子--阿久 悠
薬師丸ひろ子のレコード「セーラー服と機関銃」を聴いた時の印象ーーー大げさにいえば衝撃ーーーを書かなければならない。
一言でいえば背中がザワザワしたということで、もっと正直にいえば少々の嫉妬を感じた。
饒舌よりさらに饒舌な寡黙という特性はここでも生きていて、聴く側が無限に増幅して行く作用を促される。
作家が嫉妬を感じ、背中がザワザワするような印象を受ける歌というのはめったにあるものではない。ぼくの経験では、吉田拓郎君の「旅の宿」を最初に聴いた時感じただけである。
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きちんと大地に足をつけて 相米慎二(監督)
ボクが現場で彼女に要求したことは、大地に足をつけて芝居をする〈薬師丸ひろ子〉であってほしいということだった。なだめ、すかし、怒りながら、無理を要求した。表にそ れが出てくるまで、くり返し、要求した。彼 女自身も辛かったはずだが、手を抜かないでやりとげてくれた。ありがとう。
『セーラー服と機関銃 完璧版(1982)』パンフには、相米慎二監督と薬師丸ひろ子の写真が多く掲載されている。
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ある、スター誕生 大林宣彦(監督)
相米監督は《翔んだカップル》 に続いての長廻しの手法をあえて踏襲した。これはそもそもがドキュメンタリーに効果的な手法であり、その結果として、誠に興味深いことに、この虚構の美学の世界からはみ出した、ひろ子の生のままの生理をも、映像に定着してしまったのである。そこでひろ子は、たんなる女優を遙かに越えて、スターとなった。映画の中にしか存在し得ない、大スタ—としての輝きをその身に大きく纏った。それはあくまでも「映画」のスタイルにこだわり続けた、相米監督をはじめとするこの映画のスタッフの、ひとつの勝利の姿であったのだろうと思う。
『セーラー服と機関銃 完璧版(1982)』のパンフは薬師丸ひろ子の写真集のようであったのを今回はじめて知った。『セーラー服と機関銃(1981)』のパンフ内容は12ページで、『セーラー服と機関銃 完璧版(1982)』のパンフは、なんとその倍の24ページもある。これはうれしい。
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