【映画のパンフ 全部見せ】No.6 『マルサの女(1987)』
伊丹十三 生誕90年ということで、 午前十時の映画祭で『お葬式』と『マルサの女』を映画館で上映です。ということで今回は『マルサの女(1987)』のパンフです。
監督3作目にしての一つの到達点が『マルサの女』かと思います。映画に興味がある人や伊丹十三ファンの人の垣根を越えて、日頃そんなに映画に興味がないような人も映画館に足を運ばせるくらいの惹きつける力があって、それでいて伊丹十三独自の世界を展開する『娯楽あり情報ありのエンターテイメント映画』です。
今作は娯楽映画ではあって、お茶の間で家族みんなで見れるような当たり障りのない作品というわけではありません。
いきなりオッパイを吸っている老人からはじまりますし、脱税する側の権藤_ごんどう(山﨑努)の特殊関係人(愛人のことです)との生々しいベッドシーンなんかは「ちょっとリアルすぎないか」と容赦ない濃厚さがあります。それに対してコミカルなマルサの板倉亮子_いたくらりょうこ(宮本信子)がぶつかる。この二人の対決が中心のお話です。
このパンフはいくつもの映画へのコメントで埋まっているが、読んでいくとサラリーマンや建築業や主婦などの中に芸能人がいくつか入っているのを発見する。(梅沢富美男、畑 正憲、タモリ、篠沢教授、赤塚不二夫、泉ピン子、ほか)
なにしろ今の世の流れは “受ける=儲かる” 作品かどうかが大事であって、なにかの作品がヒットしたりすると「ヒットしたあの作品っぽいものを作って」で似たような作品が次々と作られる。
今までにない作品なんてものは求められていなくて、そういう作品は「みんなが見慣れていないのでヒットするはずもないだろう」となってて、そんな作品にはどこもお金を出したりしない。そう私からは見えてる。
伊丹十三作品というのはそういう世の流れとは全然別のところから出てきたような作品に感じる。
暗闇の映画館の中で、自分と映画が一対一で向き合う作品。娯楽でありながらワイセツでありイカガワシイ感じのある作品。そういう映画ならではの世界が伊丹十三作品には流れているようにように思う。
映画を観る環境はシネコンとかで便利になったて整ってきましたが、その反面切り捨てられたり失われたりしたものもあって、それがいったいなんだったのかを今のスクリーンで伊丹十三作品を見たら、わかったりするのかもしれないとか思う。
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