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【映画のパンフ 全部見せ】No.4 『ブリキの太鼓(1979)』

私にとっては「観て人生が変わった」と言っていいような映画。
今作のパンフに出会った(なんと2冊あった)のは岡山市の古本屋の万歩書店(である。私は今回はじめて行ったのだが、本の世界がこんなにも奥深い世界であるとは知らなかった。邦画映画のパンフだけで軽く両手を広げたほどの幅の棚の上から下まで4、5段ほどあって、横の棚には同じくらい洋画のパンフがあった(ほぼ100円)。まるで異世界に入ったような感覚でしびれた。
赤い線と太鼓を叩くオスカルのヤバい表情。赤い線はブリキの太鼓の色と形からであろう。超々素晴らしい。(ポスターがあれば欲しくなる)

パンフの表紙より


私がはじめて今作を観た時の衝撃はどう表現したらいいのかわからないくらい。それをうまくパンフレットの中で映画評論家の南俊子さんが表現されていた。

興味深くも戦慄的な  
映画評論家 南 俊子


 なんて面白いんだろう。凄いんだろう。圧倒される。堪能する。感動する。と既成の言葉を並べたてるのは,歯がゆくもどかしく,あらためて,ぞくぞくするような興奮にかられ,一方で深い充足感を味わって,私は一種の至福に身をひたした。
 さて,どんなふうに書こう。この映画の力強さ,深遠さ,みどとな象徴的リアリズム,特異な映像美学,ドイツの表現主義の魅惑。ブラックユーモアの鋭さ,エレルギッシュな猥雑さ,それでいて知的な優雅さ,劇しくてシニカルで,そのくせ人なつこくて,せつなくて明るくて,度ぎつくて明晰でー観る者は,笑い,驚き,振り回せれ,引きずりこまれ,酔い,ずしりとこたえる重みと痛みに,だが,ふしぎな昴揚感を覚えるのである。

パンフの7ページより


公開当時はどんな様子だったのだろうか、ちゃんと受け入れられていたんだろう
か。そんな内容が解説のページに書かれていた。

パンフの2ページより

1979年のカンヌ映画祭は「地獄の黙示録」と「プリキの太鼓」のどちらがグランプリをとるかで連日火のような論戦がつづいた。

<ル・モンド>紙のシャン・ト・ハロンセリは書いている。
<「プリキの太鼓」にはグランプリにふさわしい すべてがそなわっている。歴史的現実に根ざした主題のオリジナリティーとテーマの豊かさ,冴えきった演出力,すぐれた俳優たちと,なかでも,辛練で悪魔的な,証言者オスカルを演じきった驚異的なダーヴィット・ベネント。……この映画にはすべてがある 。政治的メタファー(オスカルは20年間冬眠をつづけていたドイツの罪の意識の象徴)と解釈することもできるし,スウィフト流の諷刺のクロニクルとも考えられる。

狂暴さとやさしさがあり,苦悩と錯乱,巨大な黒い笑いと不条理のセンスがある。シュレンドルフはグラスの小説のもつ叙事詩的な構造とリズムを見事に映像化した。くりかえして言おう。この映画こそグランプリにふさわしい。>

結果的には2作品ともにグランプリを受賞したが、「黙示録」は映画が完成したことが<事件>であったとすれば,「ブリキの太鼓」は映画そのものが <事件>だったといえよう。

パンフの2ページより


一度見たら二度と忘れられない主人公のオスカル。彼についての記述がパンフにいくつかあった。

パンフの8ページより

主役オスカルの驚異的な演技のダーヴィット・ベネントは、撮影当時12歳の少年で,ミュンヘンのオペラ劇場でドラムの勉強中をシュレンドルフに発見された。

パンフの2ページより

原作についてダーヴィットについて
フォルカー・シュレンドルフ


 ダーウィットは霊媒だ。原作を充分に理解していた。私達は何度も彼に本を読んてきかせ,彼はいく度も質問を繰り返し,あらゆるシチュエーションに溶け込むことができた。オスカルが3歳の時には,いかにも子供らしく顔をケーキだらけにしてセットに現れ,オスカルが18歳の時には,自分が観察した大人の真似をして,青年らし く振舞った。オスカルに恋人ができら頃には,一日中相手役の側を離れず,更衣室で彼女のスカートの中にもぐり込んだりした

 そして,彼はいつでも自在に役から抜け出せた。オスカル・マツェラートとしててはなく,ダーヴィット・ベネントとして太鼓を叩く。オスカルと自分自身の距離を設定するために太鼓を叩くのだ。太鼓はふたりを結ぶ絆であると同時に,距離を保つための防壁でもある。

パンフの10ページより


このパンフも(『サウンド・オブ・ミュージック』も)句読点の点=『、』がすべてカンマ=『,』である。それとやたらとカンマが入るのであるが、できるだけそのまま引用しています。

パンフの10ページより

「四枚のスカート」の下のダンチヒ
評論家 川本三郎

 「ブリキの太鼓」は, 小人という「異常」の側からナチスいう「正常」仰ぎ見るという皮肉な構成をとっていて,見るものは,次第に小人の側にひきよせられていき,最後にはナチスという「正常」を哄笑(※1)できる仕組みになっている。ここでは「正常」と「異常」が逆転しているのである。
(※1 こうしょう_どっと大声で笑うこと。)

パンフの9ページより

「ブリキの太鼓」の脚色について
ギュンター・グラス


 彼(監督のシュレンドルフ)がこの作品のもつ叙事詩的スケールを理解しているのは確かだった。さらに,彼には原作を忠実に映画化するのではなく,新たな方向へと発展させ,文学の方法を映画の方法へ置き替えようとする勇気がある。
 原作のエピソードと情景のすべてをそのまま映画化するのが不可能なのは,明らかだった。いくつかの章を割愛すべきことは解っていた。そこでシュンドルフはいくつかの案を示し,私は彼に自分の観点を説明した。そこからさらにいくつかの改変を加え,最終段階では,私はセリフづくりの作業に積極的に参加した。

パンフの10ページより

パンフの最後のページには原作者のギュンター・グラスが監督のフォルカー・シュレンドルフに贈った(主人公)オスカルのデッサンが載っている。スゴく良すぎて載せれないので、よかったらPDFの方で見てみてほしい。

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