身体の中の鉄板とかボルトとか(その4 最終回)
私の身体のことであるから、これは私がなんとかしないといけない。私が私を守らなければ、誰が守ってくれるのだ。とは思ったが、その気持ちがあることで冷静に考えることができない。もうどうしたらいいのかわからず、担当医師への憎しみだけが膨張していき、感情のコントロールができないでいた。
そこで、私はあきらめてみることにした。
「残念ながらもう、この身体は元通りにはなりません」、「もう私の肩は、元のように動かなくなりました」大変残念ではありますが。
ショックではあったが少し冷静になれた。テレビゲームでゲームオーバーになった後みたいに、悔しい気持ちはあるけど落ち着いてはいる。
なんとか心臓のドキドキも落ち着いたところで、ふと思った。
「今になって、金属を取り出さない手術でしたって言うの、ありえなくないか?」であった。
そんな手術のやり方があるのか。それってこの病院ではあることなのか。私がテンパってて覚えてないだけか。よし聞きに行ってみよう。
病院の受付で私の話を聞きながら、受付の人は少し引いていた。別の男性の人が出てきて「今日は日曜日ですので、担当できる人も少ないので、できましたら平日に来ていただけないでしょうか」だったので、「あ、はい、聞いていただけるならちゃんと話しますので」とその日は帰ってきた。
どうせ話すならちゃんと整理しとおこうと、今までの経緯を事故や手術や診察のことを、明細を見ながらパソコンでまとめてから、自分と相手の2部だけプリントアウトした。
次の日は担当の方2人と整形外科の看護師の方の計3人が私の話を聞いてくれた。私はまとめた文章を読むと言う、なんだかプレゼンみたいなテンションで、まるで他人ごと見たいにスラスラと話した。
でも、大事なことは言い忘れたらいけないので、最後のページに書いておいた。
「私の希望することは、骨折する前のように腕が動くようになることです」とか「この問題でこちらの病院に物申すとか、誰かを処分して欲しいとかはありません」というのは大事なので書いておいた。
おそらく結果は「他の病院で診てもらってください」で終わりだろうと思っていた。組織ってのはそういうもんだと思っていた。でもまあ、自分で引っかかったことを組織の中の人に言うことができたのだから、もうそれだけでいいような気になっていた。
そこで一つの言葉が頭に浮かんだ。「罪を憎んで、人を憎まず」である。
たぶん担当医師に対する憎しみに振り回されていたら、こういう行動はできていなかった。なんだかあえて、自分をあきらめることで、動くことができた。
これは泣き寝入りではないような気がした。今回のような行為は患者が絶望してしまうので、許されることではない。でもそれを行った担当医師の存在は、分けて考えたのであった。
今回のような件ではそれが通用たかもしれないが、もっと命に関わることであったら、そんな考えができるかどうかわからない。でも今回は担当医師に対する憎しみからあえて離れるとことで少し冷静になれて、病院でこの件をお話するようなことができたのであった。
年明けにでもまた、新たな気持ちでどこかの整形外科で診てもらって、できたら紹介状を書いてもらって、身体の中の金属を取り除くように動いてみよう。そう思ってたら病院から電話があった。
整形外科の看護師の方からであった。少し声がうれしそうなのが気になった。「別の医師が診てくれる話が進んでいます」と言った。私はそれはよかったとは思えなかった。なんだかドラマの見過ぎかもしれないが、手術で全身麻酔の私に、問題を訴えられた元担当医師がトドメを刺すイメージが頭をよぎった。
少しうろたえつつその不安を電話の看護師さんに伝えた。「そういうことはないですよ」と少し笑っているような声であった。安心した。
私がなにか悪いことをしたわけではないので、なんで私が元々居た病院を去らないといけないのだ、そういう気持ちも少しはある。でも私が病院に話をしてから、動いてくれた人がいたんではなかろうか。それなら私も逃げ出さずにそのまま同じ病院に行けばいいではないか。
それから2日後に整形外科の看護師さんから電話があって、正式に別の担当医師が今後私の肩を面倒見てくれるとのことであった。
一度はあきらめた左肩である。元の担当医がどうなったかは気になるが、あえてまた同じ病院に行ってみようと思う。なんかそっちの方が面白そうだから。
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