最初なんでキュアーを好きになったのだろうか。
私の場合は、もちろん音楽と映像もあるが、どこか生きていることに自信なさげで居心地がわるそうなロバート・スミスの姿を見て好きになったのだ。
だから、成功して浮かれているような姿は見ててつらかったし、「生きてるって素晴らしい」みたいな明るい曲もそんな好きじゃなかった。
なにしろ『Disintegration』の思わぬ大成功からのキュアーからは『キュアーらしさ』が感じられなかった。
じゃあ『キュアーらしさ』ってのは何?となるが、
・太陽の光というより深夜のチカチカした蛍光灯の灯りが似合う
・死という正体不明なものへの不安や恐怖なんかが根底にあったりする
・音的にはダークで混沌としていたり、明るくてもどこか奇妙な雰囲気
そういう『キュアーらしさ』がこのアルバム『ブラッドフラワーズ:Bloodflowers』には久々にちゃんとあった。
私がこのアルバムをはじめて聴いた時、もう二度と会えないかと思っていた友人が約束も予告もなくフラリと現れたような気がした。不意打ちをくらったような感覚で、少しうろたえてしまった。
「いい」か「わるい」かで言うと、泣いてしまうほど「いい」のであった。
そう言えばキュアーにはアルバムを聴くというより、アルバムの世界に入り込むように『何度も何度も聴き込む』というのがあった。そうして徐々にその世界が見えてくる。はじめには見えなかったものが、だんだん細部まで見えてくるのである。
このアルバム『Bloodflowers』もなにかひとつの世界を曲ごとに断片的に見ているようであり、何度も聴くとより見えてくる。
●アウト・オブ・ジス・ワールド:Out Of This World
実際ロバート・スミス自身がシングル曲3分30秒ルールをやっていたし、せっせと浅はかなポップソングを作っていたと思うのだが、今回のアプローチはそうではないらしい。
●メイビー・サムデイ:Maybe Someday
私らファンだって、二度とらしくないことして欲しくないし、無理に演じ続けて欲しくないのだから、もうそんなこと続けることないのである。
自分たちにしか出せない音で、自分たちのアルバムを作ってくれたらいいと思う。
▼『トリロジー・ライヴ:The Cure: Trilogy』
『The Cure: Trilogy』は2002年にドイツのベルリンで収録した、The Cureのライブアルバムビデオです。
『ポルノグラフィティ』(1982年)、『ディスインテグレーション』(1989年)、『ブラッドフラワーズ』(2000年)の3枚のアルバムを、毎晩順番に全曲演奏し、アルバムに収録された曲順でライブを行った「トリロジー・コンサート」を記録している
できたら『Faith』も入れて欲しかったが、もうそんな贅沢は言いません。あの頃のダークでカメラに向かって笑いもしなかった(カメラの方を見もしなかった)『Pornography』のキュアーが見られるだけで私は幸せです。『Disintegration』も全曲だなんて夢のようです。
●39
燃え尽きたなら「私は燃え尽きた」と唄えばいいじゃないか。そうやって今の自分をそのまま出すのは素晴らしいことではないだろうか。そのままの自分をさらけ出すのも『キュアーらしさ』と思う。
●ブラッドフラワーズ:Bloodflowers
この『Bloodflowers』はアルバムの最後の曲。
キュアーの活動は最初のアルバムから21年、スタジオアルバムは今回の『Bloodflowers』で11枚目である。
ほとんど出し切ってネタ切れしていてもおかしくないのに、まだこんなしっかり世界観のあるアルバムを出してくるところに驚いた。
時代はサブスク(サブスクリプション=定額聴き放題)になって、CDの売り上げではどれだけそのアルバムが聴かれているのかがわからなくなった。今では順番にさかのぼってCDを買っていくようなこともしない。
私はヒットしているからキュアーを聴きはじめたわけではない。「なんだこの音楽は!」「なんだこの映像は!」「なんだこのユラユラ踊る男は!」という驚きから聴きはじめた。
初期から聴き続けているキュアーファンはこの『Bloodflowers』は好きだと思う。何度も聴いたりしていると思う。これからも何度も引っ張り出しては聴いたりすると思う。
これが『キュアーらしさ』が出てる音楽だと堂々とお勧めできるアルバムを、ここにきて出してきたというのが嬉しい。
ここに2022年NME Awardsでのロバート・スミスのインタビュー記事がある。
そのままでいいから自分たちのペースでやっていって欲しい。
待ってます、待ってます。
私は生きてる限り楽しみに待ってます。
<キュアーのアルバム紹介 了>