TechnoBreak
上京してから初めて入ったバンドの名前は、TechnoBreakと言うなんとも品のないものだった
18のガキンチョだった僕はそんなバンドに入ってる個性的なおじさん達が少し面白く思えてこのバンドに入ろうと思った
ボーカルのお父さん
もちろんあだ名だが三児の父で個人事業主の大工。本当にお父さんなのでお父さんって呼んでた
ギターの洋介さん
本名は山元洋一。当時の僕は洋介って顔に見えたんでしょう。洋介さんって呼んでた
ベースのむーさん
僕と同じ新潟出身で、歳が離れてるのに当時18歳だった僕より若く見えて魅力的だった
室橋って名字なのでむーさんって呼んでた
最初はレッチリのコピーとかしてたけど、主にオリジナル曲をやってた。
コピーバンドには何回か入ってたけど、初めてオリジナル曲をまともに演奏していたバンドだった
オリジナル曲をやるバンドに入るのは、当時の僕の憧れだった
お父さんはハツラツとした性格でとにかく大雑把で大胆だった。
歌は下手くそだし歌詞を書いてこいと言ってもまともに書いてこなかった
やってこないくせに怒るとちょっと申し訳なさそうにするのが当時の僕は腹立たしかったな
酒を飲むと何でも忘れるし、後先考えず行動する、女たらしの酒好きなおっさんだった
1番バンド名にしっくりくる、いわばコンセプトメンバーだったと思う
洋介さんは大人しかったがめちゃくちゃむっつりだった。
まず顔が変態だったのでちょっと好きだった
彼の弾くアルペジオが綺麗で好きだった
仕事でバンドに行けなくなった僕はかなり罪悪感を感じることが多かったが、洋介さんは絶対に許してくれてるような気がして勝手に心の支えにしていた
むーさんはとにかくイケメンだった
とにかくモテたし雰囲気があった
女たらしで一緒にナンパに駆り出されたこともあった。
当時の僕は童貞だったし自尊心が著しく低かったので全く何も喋れず、ただチャラ男に無言でついていくデカい男はとにかくナンパの邪魔になった
僕が少し変わったフレーズを叩くとニコっとするむーさんが好きだった
いいバンドだった
明日は洋介さんの帰郷の日だ
いずれは実家に戻ることにはなっていたようだ。
今日はお別れ会をした
むーさんは来れなかった。子供が生まれたばかりなんだ。
洋介さんが帰ってしまうのも、むーさんが来れないのも、これが歳をとるってことだ
こんなの最悪だ
悪いことだと思わないと格好つけて言いたいけど、こんなものは少しも望んでない
年月を重ねることが大切な人との別れの数と比例するなんて、こんな残酷な事はない
このバンドのみんなは、当時激務で疲れ果てる僕の1番大きな心の支えだった
このバンドに練習に行くのが楽しみだったし、みんなと会ってご飯を食べたり見たことのない世界の話を聞くのが好きだった
10個近く年下の僕をみんなは上手にあやしてくれていたと思う
今でも聞くと笑っちゃうし、何の思い入れのない人からしたら聞くに耐えない演奏動画も音源も僕にとっては最高の音源だ
好きなアーティストの新曲を聞いてるかのような気持ちになる
こんなバンドメンバーには今後絶対に巡り会えない。
僕は歳をとってしまったし、僕を包み込むキャパシティのある人はそんなにたくさんいない事をこの10年で充分思い知った
自分自身を変えようとも何回も試みたがとても辛い事だったし、第一本質的な部分はどんな矯正も通じなかった
それでもまだ僕と遊んでくれてる。このおじさん達、
ずっと元気で幸せでいて欲しい
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