歌舞伎の楽しみ 〜衣裳の柄〜 縞と格子
古くから着物の柄は 格子と縞が基本です。歌舞伎の衣裳にも同じことがいえます。歌舞伎の演目の中では立役、女方を問わず、その衣裳には多くの縞柄や格子柄が見られます。
今回はその縞や格子の柄についてご紹介しましょう。
一般に、複数の直線が平行に配された模様が「縞」、これが垂直なら「縦縞」、水平なら「横縞」、斜めは「斜め縞」といっています。
「格子」は縦縞と横縞を直交させてできる模様をいいます。
縞や格子の線の太さ、配列、配色などは個々の好みで、無数の組み合わせがあって、自分の趣味に合ったものを選んで着物や装身具に用いておりました。
縞は色の組み合わせや線の太さによってガラリとその雰囲気が変わってきます。
まず縦縞、この縦縞は体の線をはっきりさせ、スマートに見えることから、古くから多くの人に好まれました。 歌舞伎でもお馴染みです。
特に江戸時代は町人の男女の普段着として、時には晴れ着としても喜ばれました。享保期以降、特によく流行り、日本各地で産する綿織物に多く使われて普及しました。単純な縞でも、縦縞と横縞、線の太い細い、また色によって雰囲気はまるで違って見えるのです。
江戸人が特に好んだのはすっきりと流れる縦縞でした。そこには江戸っ子好みの「粋」が見られ、浮世絵の美人が着用した縞の姿はキリリとした意気地があって色っぽくアダっぽいものでした。
シンプルだけど美しさと強さを持って、それを着た人の身体の線をそのまま表しているといわれています。
色は藍、茶、鼠の系統が多く、それぞれのバリエーションを生み、物語る色です。
歌舞伎の代表的な役では「雪夕暮入谷畦道」の三千歳花魁と「お富与三郎」の木更津海岸での与三郎の衣裳です。
また、江戸の世話物「め組の喧嘩」のお仲、上方歌舞伎「恋飛脚大和往来・封印切」の忠兵衛の衣裳もそうです。
お富与三郎「与話情浮名横櫛」のお富の湯屋から帰って鏡に向かって化粧をする仇な姿の衣裳も縦縞です。ついでに、この時の与三郎の着物は「結城紬」の「藍微塵」です。
ご承知かと思いますが、この演目、ちょっとだけ説明しておきましょう。
お富・・・もともと深川の芸者で、木更津の博徒の親分赤間源左衛門に引か
れ、その思い者になって「姐御」と呼ばれる身分になりました。この
頃は丸髷に一面の細かい染色模様の小紋という、木更津には不似合い
の垢抜けした都会風のいで立ちでした。
「源氏店の妾宅」の幕開きでは、一目で「それ者」(粋筋の女性)と
わかる黒襟付きの藍の縦縞、黒繻子の帯、洗い髪にツゲの櫛を横に
差し、紅の糠袋を咥えて半開きの蛇の目傘、もう一方の手で褄をとっ
て登場します。
与三郎・・・とても粋な姿です。非常に細かい藍色の縞模様の結城紬、藍微塵
を着て登場します。派手さはありませんが、江戸っ子好みの粋な風情
と落ち着きが感じられます。豆絞りの手拭いで顔の傷を隠すように鼻
の先で結んで、素足に草履という遊び人風の格好です。
本来、自暴自棄でグレてはいますが、どこかに気品があって、身体つ
きに柔らかさ、武家の血を引く大店の若旦那の鷹揚さもあって、ぼん
ぼんのような臆病さも感じられます。
二人が出会った木更津海岸でのお互いの一目惚れ、とうとう二人は源左衛門の妾宅で密会します。親分が留守だと思ってお富から妾宅に招き入れられた与三郎、お決まりのラブシーンです。
ところが、デートを知っていた源左衛門の手下が親分に報告、源左衛門は急遽帰宅して密会はバレ、与三郎はなぶり殺しにされて三十四ヶ所の刀疵を負います。一方のお富も逃れて、木更津の海へ入水自殺を遂げてしまいます。
しかしその3年後、二人は奇妙な形で再会を果たすのです。
お馴染みの「源氏店」の場になります。
ところで、歌舞伎のラブシーンは「濡れ場」といっています。
「濡れ場」とは「濡れ事」から派生した場面です。初期の歌舞伎の頃には「傾城買い」の演目で、客と遊女の口説、盃事、抱擁などの技法で男女の性愛を表現する場面がありました。しかしその場面は決して露骨なものでなく、別室に入ったり、屏風を引き回すなどで姿を消し、乱れた姿で再登場してそれを暗示していました。天明・寛政の頃から写実的な要素も加わるようになって、文化文政期にはかなり卑猥な際どいシーンも出るようになりました。
さて、次は「格子柄」です。
格子柄もいわば、縞柄の一種で、江戸の庶民には広く愛用されていました。
縞とは違ったイメージを持ってまた別の美しさも持ち合わせています。そして、
縞では見られない大胆な大柄模様も使われるようになります。
歌舞伎の舞台で見られる「格子柄」の衣裳を紹介してみましょう。
これは格子縞の中でも代表的な、弁慶縞と呼ばれる格子縞です。
単の格子柄の大きさは縦一寸二分、横が一寸と決まっています。少しでも細身に見えるように工夫されたもので、真四角だと広がって見え、格子が大きすぎると無粋になると言われています。形が似ていることから、別名「奴豆腐」といい、着た役者の背をすらり高く見せる効果があります。
同じく格子縞、藍弁慶ともいっております。
「悪婆」の典型的なスタイルです。藍弁慶と水浅葱の湯具(腰巻)に「馬の尻尾」という鬘、男まさりの度胸を表しています。
「悪婆」は、性格は善良だが非道徳な行動、それも大抵は恋人や主君のためという理由で外面上はバラガキ(伝法で向こう見ず)なセリフも特徴です。ゆすり場などの歯切れのいい啖呵は聞きどころになっています。
他にもまだあります。
これは太枠に三筋の格子、「翁格子」とも「市川格子」ともいいます
よく知られた「市松模様」も色違いの正方形の縞模様を互い違いに組み合わせた紋様です。これは江戸時代の若衆方の役者・佐野川市松がこの柄の衣裳を着て大流行になったものです。
こういった独自の模様もこの格子柄に含まれております。
スジの細かい格子は概して地味な印象を与え、実直な気質の町人の着物の柄として真面目な印象を想像させて、女性の場合でも同じ印象から町屋の女房に愛用されていました。
逆に、大柄な格子のデザインは違った印象で浴衣などの単物に使われて、大胆で魅力的な柄となります。
先ほどご紹介した「菅原伝授手習鑑・車引」の場に登場する三子の兄弟の衣裳
これもかなり大胆な柄の衣裳です。
三人揃って白地に紫の「童子格子」で、丸ぐけの帯、襦袢は真ん中の松王丸だけが白地に松の縫い取り、梅王丸、桜丸は赤の地にそれぞれ梅と桜を縫い取ったものです。
有名な 「梅は飛び、桜は枯るる世の中に 何とて松のつれなかるらん」をモチーフに、話題の三つ子誕生のニュースを取り入れ、菅原道真を取り巻く三人の兄弟を舎人に見立て、それぞれの立場の違いから苦悩する様を描き出し、悲劇を炙り出した作品です。
延享3年に人形浄瑠璃で上演、その翌月には歌舞伎に移入され上演されたことからも人気のほどが知られた作品です。
さて、江戸時代に女性の間で大流行した「黄八丈」、これも格子柄の一種だといえます。
「黄八丈」はもともと、八丈島で自生する植物の染料で糸を染め、黄色地に茶(とび色)、黒などの同系色の色糸で縞か格子縞に手織りしたものです。
これを有名にしたのが「城木屋お駒」という女性です。
母親と手代と共に、三人で共謀して大金の持参金付きで迎えた婿養子の又四郎を殺そうとして失敗、大岡越前守のお裁きでお駒は死罪となります。女盛りの24歳で評判の美女でした。
江戸中の引き回しとなって普通、こんな場合、浅葱色の囚人服に決まっているものを、白の帷子、黄八丈の振袖、島田に結いあげた髪に薄化粧で裸馬に乗せられたといわれています。
これが浄瑠璃「恋娘昔八丈」で、のちになって、河竹黙阿弥が「梅雨小袖昔八丈(髪結新三)」を書き、大当たりとなった演目になりました。
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