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褒めて育てるのがダメとは?

ども。4月のnote「ATK強めの引きこもり」でも少し書いたけど精神科医の名越先生の動画を見ていてずっと考えてきた事について、整理するために書きたいと思う。

「はて?褒めて育てるのが何でいけないの?」と最初に思ったのがきっかけでした。私はヒャダインさんのファンですから、ヒャダさんがアイドルさんたちにボーカルディレクションをすることも多いです。テレビや動画でその時の様子を見るとヒャダさんはとてもよく褒める。楽しくレコーディングするために盛り上げる。で、女の子たちはたいへんのびのび歌っていく姿を何度も見てきたんですよ。だから、褒めて育てるのがなぜいけないのかがすぐには納得できなかったわけです。で、私は動画を見ながら考えた。

褒められて気分を良くしてリラックスして本人の本領が発揮され、時にはハプニングも楽しみながら良い作品が出来上がれば、本人にとっても指導する方にとっても良い事で、それは間違ってはいない。

しかし「褒められることによって自分の存在価値を見出す」とか「褒められること自体が自分の行動規範になってしまう」タイプの子には長い目で見て良くないわけです。褒められたい子は頑張り屋さんだから、良い作品はできるでしょう。だけど「歌うのが楽しい」よりも「褒められるから楽しい」が勝ってしまうと、褒められなかった時に自分の価値がなくなってしまう恐怖が生まれる。心理学的には強迫性を増す行為だと名越先生は言ってます。

アイドルになりたい女の子はとても若いです。小さい頃はだれしも集注欲求を持つもの。親に周りに保護してもらうために。それは人間が生き抜くために持って生まれた本能だから。褒められたいと思う。だから頑張る。

子供が成長して大人になる時には、褒められずとも自分で自分の価値観を持っていけるかが大事なのに、日本の教育は褒めて育ててそのあとどうシフトしていくかがまったく語られていないのが問題であると動画で言ってます。子供らにはすぐに答えを全部教えないで自分で考えるよう導くのが教育なんじゃなかろうかと私は思うわけです。ポイントさえ気が付けば子供ならいくらでも変わって行ける柔軟さがあるもんね。

オトナになっても生きにくい人の多くは、この問題が潜んでいそうだなと思っています。どうも他人軸で生きている大人が多いなと。他人を気にして気にして気にしすぎてしまう人は自分への評価が気になるわけで、その他人がどういう人であるか理解するまでは余裕がない。どんどん本来の自分から遠のいていても、会社のために上司のために親のために恋人のために子供のためにって頑張っちゃう。こりゃしんどいよ。

自分軸で生きるっていうのは、自分で判断して自分で考えてもいいんだって気づくことだと思う。自分軸がしっかりして安定していてこそ、他人に興味を持って優しくなれるんだと思う。

こんなこと書いてても、自分だっていまだに他人軸になったり自分軸になったりグラグラグラデーションなんだけどさ。今は完璧じゃない自分を許そう。

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