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距離感って。

いつもなんとなくふんわり迷っていた事なんですよ。
私は物心ついた頃から人との距離感に戸惑いながら手探りでずーっと迷いながらやってきたなって。

子供の頃で言うなら内弁慶。10代は友達は多くはなく自分から行く方でもなくて来るもの拒まず去る者追わず、学校という守られた小さな世界で一緒にいて楽しい仲の良い子らとただ戯れていればよかった。
でも20代ともなればそうもいかない。仲の良い子とはつるみはすれど、本当にいろんな人がたくさんいて。上手くやれてる自信なんてない。常に手探り。少女マンガで培った私の恋愛脳は、やっぱり現実とかけ離れていたみたいで。あんなに憧れていた恋愛関係は、ますます距離感がわからない。好きだと思えば思うほど遠くに感じて、手に入れたと思った途端に指の隙間からするりといなくなっているような。なんか不安で確かめたくて追えば逃げるでしょ、なんなんだろかそのルール。まだ距離感に戸惑ってばかりいるのに、周りはどんどん恋人・結婚とツガイになっていく中で「ああ私はまだ何か間違っているのかな」ってどんどん自信も失くしていました。
正解がわからないまま30代になって、恋人と一緒に暮らしてこれで自分も大丈夫かしらと思ったけれど、ハテナはそう簡単に消えるものではなかったんですよね。ずっと甘い恋愛って存在するの?友達みたいな家族みたいな恋人じゃだめなの?好きと信頼は一緒でいいんじゃないの??
一緒にいるのにこの孤独感はなんなの…?

40代ともなればいいかげん学びました自分。世の中の理も予想がついてくるお年頃ですが予想外の事はまだまだ多いし、どんなに努力しても願っても祈ってもどうしようもない事は山ほどあって、期待は外れまくるものだし、ましてや人の気持ちなんて自分の思い通りに操れるものじゃない。
そこにいちいちイライラしたり落ち込んだりするのは自分の心の健康によくなさそうなので程よく諦めることをし始めました。闇雲に自分を責めないし他人も責めない。人には人の、自分には自分の理由や事情があるからさ。

「人は誰しも孤独で自分の心を完全に埋めてくれるものなんて存在しない」とマツコデラックスさんは言いました。人は恋人がいても結婚してても子供を産んでも、所詮は独り。人間は「独生独死、独去独来」ってお釈迦様も言ってます。本当そうだと思います。
幼い頃は寂しがりだったし、若き頃は孤独が辛くて泣いたこともあったけど、今は私は独りであることは案外と嫌いじゃないんだって気が付きました。むしろ一人の時間が無いとダメで。でもだからって絶対独りが良いかってことでもなく、少なくても信頼の置ける友達や恋人や家族や仲間がいることは人生の宝物だと思っているタイプです。
自分の代わりなんていない、他人がどう言おうと思おうと「自分は自分でいいんだ」って肯定できる地肩があってこそ人を愛することができると私は思っていて、自分を肯定できてないのに人を愛そうとしたって、それは自分を認めて欲しくて確認してるエゴでしかないんだもんね。これが私がこれまで生きてきて導き出した一つの結論。
自己肯定できる地肩があって、人と継続した良い関係つまりは信頼関係を築くことが「愛する」ということなんじゃなかろうかと思うに至ったわけです。


前置きが長くなりました。そしたらよ。
今はコロナ禍で国も会社も街も店も家族でさえも、三密を避け分断されなければならない事態になりましたでしょ。今まで当たり前にあったものが、たくさん当たり前じゃなくなってしまった。リモートで相手が目の前に見えなくなる分、距離を取る分、壁を挟む分、信頼関係が薄らぐ感じがしませんでした?

「信頼」とは尊敬と許容があって生まれるものなんだそうです。信頼には距離感が非常に大事で。近すぎれば尊敬は難しく、遠ければ親しみ(許容)が難しい。この相反する距離感のバランスが両立した時に信頼関係が築かれるもので、それを繰り返すことで強固になっていくものなんだそうです。(また受け売りなんですが名越先生が動画で仰ってました。)

なるほど、と。そこでまた距離感について考えてしまった訳です。

信頼関係って繰り返すことで強固になるとは言え、絶対不動というのは無くて、とてもアンバランスになりやすく流動的なものなんだなと。当たり前なんだけど。だから距離感って迷って当たり前で、迷うものなのだなと。
距離感に迷うのも、これも人生のスパイスだなと。
ずっと安定して同じだったらつまらないだろうしなー。
安定感は心地よいけど当たり前になったら忘れがち。
何事もほどほどに。過ぎたるは猶及ばざるが如し。

距離感って難しいけどおもしろいものなんだねぇ。


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