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今考えていること/システムによる関係性の没落と最近の調子のいい私と、これから

高橋奎です。
徒然なるままに、noteをしたためることを久々にしてみようかなと思います。
うまく伝えようとすると、うまく伝わらないというのが、世の常だと最近思っているので、そのまま出します。

便利になった、安全になった、でもそれで何を失ったんだ?

便利で安全な世の中がどんどん加速していきます。コンビニは24時間営業になり、Amazonで注文すれば物は届き、UBER EATSで外出しなくてもそこそこに美味しいご飯が食べられる。
私たちはシステムによって、本当に便利で安全になった。

でもその反面、どこか寂しい気持ちになることもしばしばだったりする。
醤油が夜なくなって、隣に家のチャイムを鳴らして、借りることも無くなった。引っ越しをみんなでワイワイやることも減り、引っ越し業者にお金を払うことが一般的になった。作り過ぎたご飯をご近所さんに配ることも無くなった。

不便で、安全じゃないからこそあった、一致団結したコミュニティというやらは、便利で安全になった今、その必然性を失っている。

その反面どこか、寂しさが生まれていないだろうか。その寂しさの正体はなんだろうか?

「一緒に長くいる」が難しい私たち

私たちは同じ人と長く付き合う場所がほとんど皆無になりつつある。高校は週5、6時間どんなに嫌いな人がいても、一緒にいなければいけなかった。それでも一緒にいることで、愛着が生まれて、なんだか嫌いだった人も少し許せるようになって行ったりした。

中高男子校だったし、私の恋愛対象は女性なので、経験はないが、自分の好みじゃないと思っていた女性のことを好きになっていく経験だってあった。

それは、肩書きや見た目ではなくて、内面に目を向けていく時間があったからだろう。

今はどうだろうか?「一緒に長くいる」その時間を作るのがとてつもなく難しくなっているのではないだろうか?
リモートワークが進み、オフラインで一緒にいることが減ることも増えた。ご近所さんと何かをすることもほとんどない。
行きつけの飲み屋でたまたま仲良くなったり、友達の紹介で一緒に遊ぶようになったり、そういうものでしか、中長期的な関係を築けない。そんな人が増えたように思う。つまりは、主体的に中長期的に人との付き合いを生み出せる人しか、「一緒に長くいる」ことが難しくなっている。

目に見える物で評価をするしかない私たち


マッチングアプリでは、出身、年齢、趣味、年収、顔、目に見えてわかる情報で判断をすることが当たり前になっている。
また、独立が増える中で、「わかりやすい実績」という言葉も周囲でよく聞くようになっている。

目に見える物でしか、人を評価できないなら、関係が作れないなら、それは私たちは幸せな関係と呼ばれるのだろうか。
奪い合いの関係性がこれからの私たちの創りたい未来なのだろうか?

そんなことをフツフツと思うことが増えてきた。

最近の私

最近私は、調子がいい。
調子がいいのは、失敗を恐れずに、自分が進みたい方向に、進めているという実感からだろう。
こうであるべきだろう、必要があるだろう。そんな方向に「めんどくさい」という言葉は横に置いて、突き進んでいる、とにかくやる。そんなモードに突入している。

そうなれたのは大学1~2年生の時、とにかくコトに向かい進んだ経験があるからであり、またコーチをつけて引っ張ってもらえているのもある。

人は一人では生きていけない。そのことをより「個の時代」になったからこそ、私たちは向き合うべきなのだろう。

私は今、ヒロアカのデクのように、「おせっかい」を人生の軸に置いて生きている。とにかく周り人の些細なコトに気を配り、進みたい方向に進めるようにそんな気持ちで生きている。そして自分自身も、失敗を恐れずに描いた未来に一歩ずつ動いている。

これからの私

そんな私像ができた今、これから何を目指すのか?何のために生きるのか?答えは見えていない。
学生時代にあった、利害関係のない「ナナメの関係」を社会に生み出していくという想いはより強くなっているが、それをどう社会に創り出すのがいいのか?はたまたそれに価値があるのか?など、まだ自分の中で見えきっていない。
新規事業も作り、順調なスタートを見せているし、価値があると思うが、もっといけると思っている。
だからこそ、ここから少し学びながら働くという方向へ舵を切っていく。単なるビジネスマンでは終わらない、ヒーローであるためには、社会についてもっと知りたいと思うのだ。


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