見出し画像

読書と日記:July 2024:祖母の旅立ちとインドと仏教を考え続けている

7月に読んだ、読み始めた本は11冊。(少ないな)


7月3日、彬子女王の『赤と青のガウン』読了。

天皇家や宮家を身近に感じた読後感がある。文章が正確で分かりやすく、エピソードは面白かった。日本語の用例に誤った箇所がないのも心地好い。

…日本語の用例云々については、『エッセイストのように生きる』の序文で二ヶ所も見つけて以来、妙に神経質になっている感は否めない。

7月5日、養老孟司さんとテリー伊藤さんの対談本『オバサンとサムライ』を読み出す。(7/13読了)

養老:心にオンリーワンがあるというのは誤解です。これは典型的な近代主義の誤解、つまり19世紀のヨーロッパ以降の考えの誤解ですよ。
だって、「自分の心がオンリーワン」になったら世界の誰もそれを理解しないということになるでしょ。

『オバサンとサムライ』67ページ

養老:そもそも、言葉というのは、そういう個人差を消去するように作られたものなんです

『オバサンとサムライ』69ページ

図書館から借りた本ですごく面白かったので、手元に欲しいなと中古本をポチる。

7月7日、中村文則さんの『自由思考』を読み出す。

…実は、『自由対談』が文庫になったんだと勘違いして買ってしまった、中村文則さんのエッセイ集。20代・30代男性の等身大すぎる記述も多くて、ちょっと飽きたらしく、60ページぐらいで止まっている…。

7月11日、堀田善衛さんの『インドで考えたこと』を読み出す。

6月21日から始まった仏教及びインドへの興味から、本棚に埋まっていたこの本を掘り出した。

堀田善衛さんが1956年の晩秋から57年の年初にかけて、第一回アジア作家会議に出席するためにインドに滞在した時の、堀田さんの当惑と思索を書き記してくれたこの本は、インドの変遷を考える資料の一つとしても興味深く、もちろん、堀田善衛さんの人となり自体も窺えて、すごく面白かった。

7月12日、綿貫芳子さんの『となりの百怪見聞録』①、②を一気読み。

別のマンガを探しに行ったつもりが、偶然見つけてしまって小躍りした、綿貫芳子さんの新作マンガ。

前作の『オリオリスープ』全4巻は、本棚のレギュラーで、いつでも手に取れるようにしているぐらい愛読している。

『オリオリスープ』の主人公の女の子のお爺さんが、『となりの百怪見聞録』の主人公の1人として登場してるとか、そういう関係性も好き。

7月15日、副島隆彦さんの『副島隆彦の歴史再発掘』と、岩井勇気さんの『僕の人生には事件が起きない』を読み出す。

副島さんの本は勉強、ハライチの岩井君のエッセイはお楽しみで。
基本的にエッセイ本はすごく好きで、実は村上春樹はエッセイと対談本しか読んでいない(ハルキストに怒られる😅)

7月17日から19日、堀田善衛さんの『インドで考えたこと』を読み続ける。

7月17日に父方の祖母が亡くなった。98才の大往生で、わたしとしても覚悟はしていたので、悲しいと思うよりもやっと区切りがついたかの思いが勝って、そのことの方が悲しかった。

お通夜の予定が3日後の土曜日に決まって、金曜の夕方には実家に向かい、土曜日の朝には車で6時間の祖母の元へ向かった。

7月23日、中村桃子さんの『ことばが変われば、社会が変わる』を読み出す。

…134ページまで読んだけれど、思いの外、フェミニズム的な記述が多くてちょっと飽きてしまった。

7月25日、仲野徹さんと若林理砂さんの『医学問答』を読み出す

どちらの人の本も読んでいたので、反射的に買って読み出したんだけど、90ページ読んで既に飽きている…。

結局、コロナワクチンの害悪を正面から受け止める気のない医療関係者の言葉に掬すべき内容はないなぁと、確信する為に買って読んでみたようなものだった。

7月29日、五木寛之さんの『21世紀 仏教への旅 朝鮮半島編』を読みだす。(8/4読了)

図書館から借りて読む。幼い時代を朝鮮半島で過ごした五木寛之さんの自伝的紀行文とも言える文章で、時々、胸をぎゅっと掴まれる。

戦争中は誰もがキツイ生き方を余儀なくされた。いくつもそういう文章を読んできたけど、その度に、この戦争被害者をどうにか救う術はなかったのか、と怒りと後悔に似た感情が渦巻くのに、五木寛之さんは「自分は加害者だ」と、はっきりと自覚し、明記する。

その潔さと覚悟の深さに胸を衝かれる。困難な状況を言い訳にしない正直さに、卑怯を憎む心に、長く息を吐き出す。

韓国が実は仏教熱が高まっていること、五体投地などの礼拝を熱心に行っている人たちが居ることなども興味深い。

今度、韓国に行くときには寺院巡りもしてみたいな、と夢想する。

サポートありがとうございます。気になる本たちの購入費に充てたいと思います。いつもお読みいただき、ありがとうございます(深謝)