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ネクストステージ

12月になった。
昨日、個展会場の内覧と開催日の決定をしてきた。
もう随分前からそのギャラリーで個展をやりたいという希望は持っていて、11月中には連絡をしようと思いながらもずるずると時間がたってしまっていた。

いつもnoteを更新したら、来週は何書くんやろ…と速攻で不安になるのはお決まりだ。
11月が終わりそうなことに軽く絶望しながらも、次の金曜日までに個展に関する動きがあれば次回のnoteで進捗報告できるやんと考え、重い腰を上げることに成功した。
隔週ラジオでのエピソードトークを探す芸人の気分になりちょっとうれしく思った。

腰が重かったのは、空間を埋められるだろうか、という不安がどうしても拭えなかったのが大きい。
実際、埋められないということは無いのだけれど、前回の個展からは3年がたっている。
3年分パワーアップしていることが前提にあるので、「埋まりゃいい、何とかなる」という気楽さは1ミリも発動しない。

それでもどこかで踏ん切りをつけないと、状況は何も変わらない。「いつか」は向こうからはやってきてくれない。

noteに書くぞと思い切り、ギャラリーへ連絡。いいお返事をいただくことができた11月の終わり。安心した。

前回は、3年前に東京の青山で個展をした。

初めての東京個展は、これまでの活動への区切りとなる、自分にとっては人生の節目レベルのものだった。
土地柄にもこだわった。表参道・代官山・青山、この辺りの「いいところでやったんですね」というイメージが大事だった。
銀座や六本木は入ることすら出来ない鉄壁のようなものを感じるから除外した。

東京に詳しい人なら笑うに値することかもしれないけど、私は未だに「東京」という漠然としたものに憧れがあるから、田舎者のイメージというのは大事なことだった。

自分は妥協しなかったんだという要素をひとつでも多く残したかった。

妥協しないという点で言えば、コスト面での妥協はしないというのも決めていた。
プロのカメラマンへの撮影依頼や、パネル制作代、作品・什器の郵送代もバカにならなかった。
そして費用に比例するだけの手間がかかった。
さらに、その費用と手間に比例するだけの満足度があった。
あの個展をやり切ったことは、ちゃんと人生の節目になった。

次の個展は、地元神戸で開催することにした。
こんなに素敵なギャラリーが地元にあることが誇らしくなる。

これまで関西での個展は、関西の中心という利便性や馴染みの方が多い安心感から全て大阪で開催してきた。
作家としての自分を飛躍させ、育ててくれたのは大阪だ。ホーム感がある。

また東京の話に戻るけれど、東京で個展をやると決定に至る経緯で、私は「大阪を出なくては」と強く思った。
このホーム感に甘えてはいないか?何か成し遂げた気になっていないか?そんな疑問が消えなかった。

東京で個展をやり遂げた後に見える景色が見たい。
「一回りも二回りも大きくなったらまた大阪に戻ってきます。」と大阪に向かって手を合わせるような気持ちを携えて東京に挑んだ。

東京個展を終えてからの3年で、とてもたくさんの変化があった。大きかったのは環境の変化で、初めて一人暮らしを始めたりもした。

東京への憧れが強くあっても、大阪をホームのように感じても、私は住居を神戸からよそに移したことは一度もない。そこには、深く考えたことはないけど地元愛が潜在しているのだと思う。

その地元神戸という地も私にとっては当然特別だ。慣れ親しんだ街も、作品を発表する地となると緊張にも特別感がある。

私の全てを知っている街での個展。
東京の時に比べると手間や経費は段違いに抑えることができる。今の生活を選んだ私には大切なことだ。
それに、改めて自分の育ってきた街と向き合うような気持ちになる。

東京の時とは全然違う種類の「なめられたくない」という気持ちが発動する。

地元なんて、良い思い出ばかりじゃないもんな。まだまだホームへは帰れない。静かな、青い炎が心の中で燃え続けている。


内覧の時、担当の方がとても親切にしてくださった。
天井が高い。不安で弱気になってくる。頑張って作ります。と話す声が小さくなる。

窓から光が差していた。

そのギャラリーは、お昼を過ぎると直射日光は入らないとのことだった。

しばらく黙って空間の中に居た。

「いい展示ができることは間違いないです。」と、勝手に喋っていた。さっきより少し声が大きかった気がする。

会期は、冬から春への移り変わりを感じる3月下旬だ。

桜には、少し早い。
私はどんな気持ちで来年の桜を見ることになるだろうか。

冬を越すのだ。

#個展 

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