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傷つくってなんじゃい。


随分前に大好きな友人が
「人を好きになるってさ、もうその人に自分を傷つける許可を与えてるようなものだよ!」
って呟いていて。

今ふと思い出して、その通りだな、と思う。
自分のハートを相手にまるごと差し出しているのだから。逆も然りなんだけどね。

私たちの周りには、傷ついただの傷つけられただの、傷つけてしまっただの、そういう言葉が日常的に溢れている。

じゃあ、傷つくってなんなんだろうって。


私は、私は、ね、
現状は全て自分が選んできた結果だと思っていて。

どんなことをされたとしても、それを使って傷ついたのは、自分。
傷つかないという選択、全て、愛だ、と見る選択肢も私たちは持っていると思うのです。

傷ついたと感じている時は、闘うか逃げるか、という防衛反応が働いていて、そこから逃げ出したい全てを投げ出したいと心を閉ざしてしまうことがほとんどな気がしている。

傷を見ないようにしたり忘れようとしたりすることにはあまり意味がなくて。
本当の意味でそれが解消されていなければ忘れることは難しいから。


反対に言えば
"なぜその傷を持ち続けなければならないのか"
"なんの為に"と考えてみる。

こんなに自分が傷ついたんだということを相手に思い知らせることで自分を守ろうとしている。

”いかに傷ついたか”を訴えることで相手に罪悪感を感じさせコントロールしようとする心の働きだったり、自分の期待が叶わなかったことへの悲しみを癒したい、という思いからきているんじゃないか、と。

こういう感情と冷静に向き合って文章にしてみて思う。
心を閉じれば閉じるほど痛みは増していく一方だなって。

相手と離れたいと感じる時ほど
相手に近づこう、と私は思う。


以前聞いた話しなんだけど
「創造する」の「創」には、「傷」という意味があるんだって。

傷に自覚的でいることで、そこを元手にして、私たちは創造していくことができるってことなのかなーって。なんとなく。

そう思うとさ、『絆創膏』とかって、面白い言葉だと思いません?


穏やかな夕暮れ時を。



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