「自助共助公助」と「教育・弘道」

立場のある人が自助を共助公助より先にもってくる場合、どうも批判が多い気がするのですが、しかし社会人としては当然自助が第一かなと思います。

一方で、私が小~中学校にいた頃にバブル崩壊だったからか、その頃から
①:政府の政策が悪いので
②:経済・景気が悪く
③:したがって、自分の稼ぎも悪い

という大人の論調ばかり目にしてきた気がします。

しかし、③個人の稼ぎとは、本来自分の仕事の価値によって決まるものであって、①②のせいにするのは責任感なさすぎでしょう。
時代時代で、自分の仕事の価値をきちんと出せる人であれば、政策がどうあれその仕事を買ってくれる人はいるものなので。
逆に、①②のせいで稼ぎが悪いという人ばかりの国であれば、わざわざ高い金を払ってくれる仕事など生まれないのは当たり前でしょう。

さて、一方でこの「自助」、つまり自分の稼ぎは自分の能力と仕事によって責任もって確保するということを社会の一人一人が実践できるようにするために、国が共助公助としてできることで最も大事なものが「教育」ということになるのではないかと思いました。
つまり、「教育」という共助公助によって、「自助」のレベルを高めていくのが真っ当なサイクルなのではないかと。
一方で、教育もそれを受けて結果につなげていくには個人個人の意欲と能力が必要なので、共助公助の中の教育でも、やはり自助は当然必要となりますね。

さて、先日水戸の弘道館を訪れた際、その名前の由来に非常に感銘を受けました。この名前の由来は論語の一説、

人能弘道。非道弘人也。
(人が道を弘めるのであって、道が人を弘めるのではない)

から来ているそうです。

「道」とは現代風に言えば「ツール」ということになるかなと思いました。ツールも例えばAIとかで考えると分かりやすいでしょうか。
「AIがあるから人の生活が豊かになるのではなく、人自身が豊かになるためにAIを開発し使っていくのだ」と。

どんな時代や条件でも、どんなツールがあったとしても、その人自身の能力と価値こそがその生活や豊かさを決定していく。
だからこそ、その人を教育する場を「弘道館」と名付けたのだと理解しました。
結局、陳腐な言い方になってしまいますが、「人が大事」なのだと感じました。

終わり。

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