自分にウソはつけない

俺思うんだ
不幸な奴が、幸福に憧れて、自分の不幸を嘆いていたとする
そいつが幸福を求め幸福になるために自身を変化させて幸福になるのは、間違ってるんじゃないかって
自分を変えてまでして得た幸福は違うんじゃないかって
いや、まだそれはいいんだ
ただ、不幸だったころの自身はもう死んでいるんじゃないか?不幸だったころの自分にウソをついているだけじゃないか?
幸福に憧れていた頃の自分はもういないんじゃないか?

同時に、不幸な奴ってそのままだと幸福になれないというのは事実だと思うんだ。不幸になるべくしてなっている。そりゃ幸福にもなれませんわ

この二項対立に悩まされている
特に前者の状態がすごい嫌い(俺は成功者が大嫌い)なので自分はいまだに変わることが出来ない。
変われないんだ
だけど、このメンタリティでもし幸福を掴んだら、というギャンブルでもなかなかやらん微かな可能性にすがりついて、俺は誰にも相手にされない、誰の返答もない場所で呪詛を吐き続けている

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