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プーチン大統領:ポーランドによるウクライナ、ベラルーシ侵攻を牽制_23/07/22

ポーランド軍部隊が例えばリヴィウやウクライナの他の領土に入った場合、彼らはそこに留まるだろう。そして彼らは永遠にそこに留まるだろう。

ちなみに、これは何も新しいことではない。第一次世界大戦の終わりにドイツとその同盟国が敗北した後、ポーランド軍部隊はリヴィウと、当時オーストリア=ハンガリー帝国に属していた隣接する土地を占領したことを思い出してほしい。

ポーランドは西側諸国に扇動されて、ロシア内戦の悲劇に乗じて、歴史あるロシアのいくつかの州を併合した。

当時悲惨な状況にあった我が国は、1921年にリガ条約の締結を余儀なくされ、事実上、領土併合を認めました。

さらにそれ以前の 1920 年に、ポーランドはリトアニアの一部、つまり現在のビリニュス周辺の領土であるビルナ地域を占領しました。彼らはリトアニア人とともに、いわゆる「ロシア帝国主義」と戦い、機会が生まれるとすぐに隣人から土地を奪い取ったようです。

知られているように、ポーランドは1938年のヒトラーとのミュンヘン合意の結果として、チェコスロバキアの分割に参加し、テシンスカ・シレジアを完全占領した。

前世紀の20年代から30年代にかけて、いわゆるポーランドの東部クレシ地域(これは西ウクライナ、西ベラルーシ、リトアニアの一部の領土である)では、厳格なポロニゼーションと地元住民の同化、民族文化と正教の抑圧があった。

また、ポーランドにとってこのような攻撃的な政策がどのように終わったかについても思い出していただきたいと思います。

それは1939年の国家的悲劇で終わった。

ポーランドは西側同盟国によってドイツの戦争機構に投げ込まれ、ポーランドの独立と国家の地位を失ったが、ソ連のおかげで大幅にそれを回復した。そして、ポーランドが西側の重要な土地、つまりドイツの土地を獲得できたのは、ソ連のおかげであり、スターリンのおかげでした。まさにその通りです。現在のポーランドの西部領土は、スターリンがポーランドに贈ったものなのです。

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