桜井和寿の表現力#2 (10/26)

 #1で桜井和寿の歌詞の表現力に僕が感嘆したことについて書いた。まあ、そのレベルの高さはわざわざ僕が言うまでもなくて、世間的にも共通認識といって差し支えないようだ。
 今回は、具体的にMr.Childrenの曲の一節を引用して、僕がいかにすごいと感じるか、拙い文章で表現する。

生温い空気がベッドに沈黙を連れてくる
もう うんざりしてるのは僕だって気付いてる
君が最後の答えを口にしてしまう前に
渇いたキスで塞いでしまう
それでなんとか今をしのげればいいのに

渇いたkiss

 これは、「渇いたkiss」という曲の出だしの部分である。歌詞から分かるように、お互いの間に深い溝ができてしまい、すっかり冷めきったカップルの話。男側が、別れの言葉を阻止することで首の皮一枚繋がっているのだろう。失恋ソングである……。

誰かが禁断の実摘み取り 再び次の果実が実る
揺るぎのない決心に凍りつく顔
力のない瞳が映すのは僕という過去なんだ

渇いたkiss

 僕が一際注目したいのがこの部分。正に「情景から人間の心情をありありと想起させる」桜井和寿の表現力が炸裂している。
 まず、「禁断の果実」という単語は、おそらくアダムとイブの神話をモチーフにしていると考えられる。禁断の果実を摘み取るとは、この世界から追放されるということであり、彼女だった女性の精神から、男は追放されてしまうのである。
 そして、「力のない瞳か映すのは、僕という過去なんだ」という文章。これは勝手な考察だが、夏目漱石の夢十夜のうち、第一夜の象徴的なシーンと似ているところがあると僕は思う。第一夜では、「私はもう死にます」と語る女に瞳に、それを見つめる男の顔が映り、「ほら、そこに映っているではありませんか」と女は語るのである。
 今日はもう寝るので、次回、#3へ続く。ばいばい。

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