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映画えんとつ町のプペル

 今日映画えんとつ町のプペル2回目を鑑賞した。

 1度目は公開前12/23の名古屋試写会。西野さんの努力や過去を知っていれば知っているほどこの作品の要所要所にどんな意味が込められているのかがフラッシュバックされて、自然と西野さん目線でどっぷり映画に浸かっていた。

 ひな壇に出ないと公言し、新しい挑戦をする西野さんにひどいバッシングがあったことや、挑戦する人に後ろ指をさす日本の風習に対してのメッセージを強く感じる1度目だった。その指している後ろ指が1番汚れていることを誰も気づかない日本社会。その目線での1度目は作品に込められたメッセージを強く受け取り、過去のサロン記事で綴られた裏側との答え合わせをしながら1時間41分があっと言う間に過ぎた。アニメーションのクオリティや音楽のタイミングなどに着目し「エンタメ」のクオリティという観点で映画を楽しんだ。

 先ほど2度目の鑑賞を終え、現在このnoteを綴っているが、1度目には感じられなかった部分が大いにあった。1度目には「エンタメのクオリティ」という観点や、作品に込められた想いに着眼点を置いて鑑賞したが、今回は純粋に自分の人生と作品を照らし合わせた目線から映画を楽しんだ。

 自然と自分の人生と作品の共通点を探してしまい、気づいたら目が涙で溢れた。世界を旅して刺激を受けてる最中に作中のアントニオに当たる友達から煽りの意味を込められたメッセージが届いたり、下手くそなりに努力したサッカーもバカにしてきた友達が浮かび上がったりと、「上を向いた」経験がある人は誰しも同じ感情に陥ったことがあるのではないだろうか。

 普段感動する映画で涙することはない自分の目に溢れた涙は過去の自分が挑戦したことを表していると感じた。

 逆に現在の自分は、"挑戦してるつもり"ということに気付かされ、周りの目にビビって表現したい自分が出しきれていないと気付かされた。人に嫌われるのが嫌で避けてた道に正解が転がっていたり、人を感動させられる何かがあるとこの映画が教えてくれた。

 映画えんとつ町のプペル。僕が持ってる語彙力じゃ表現しきれませんでした。とにかく最高です。