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Episode1 名古屋の旅-常滑-

「そうだ!名古屋へ行こう。」
そう思い立ち、ある夏の暑い朝、私は名古屋への新幹線に飛び乗っていた。
名古屋は私の住む街から新幹線で50分ほどで着く。
そんなに近いというのに、長い間私は旅をすることに躊躇っていた。
それは何年も続いた感染症の影響もあるし、結婚して独身時代のように気軽に一人旅ができなくなっていたからという理由もあった。
でも、どちらの理由も、一人旅ができないという明確な理由にはならず、すっかり腰が重たくなっていた自分自身への言い訳でしかなかった。
そんな思いが悶々と膨らんでいき、どうしようもなく旅がしたい、それも一人で。
とりあえず日帰りで行けて、お金もそこまでかからない場所。
それが名古屋だった。

私が名古屋を目的地にした理由は、「常滑」と「有松」に行ってみたいという思いもあった。
大学時代、芸術大学で工芸を学んだ私にとって、「常滑」は少し憧れの場所だった。古い窯元がある知多半島の町。工房が立ち並び、昔と変わらぬ技法で陶器を作り続けている人々が暮らす町。私の中でイメージは膨らみ、理想郷として存在し続けている場所だった。
「いつか、行ってみたいなあ」と長年思い続けていた。「いつか、いつか。」と言っているうちに月日はあっという間に経ち、人生が終わってしまう前に、行きたいと思う場所には思い立ったらすぐに行ってみた方がいい。
そんな思いに駆られていた。

「常滑」に行くならもう一つ行ってみたい場所があった。それは「有松」だった。
「有松」は絞り染めで有名な町である。「有松絞り」は染色の世界ではとても有名で、「絞り染め」といえばこの町がすぐに思い浮かぶ。
型染めで制作を続けている私にとって、「有松」もまたいつか行ってみたいと思う場所の一つだった。

ということで、自分の中ですんなりと名古屋行きが決まったのだった。
朝、8時前に新幹線に飛び乗った。9時前には名古屋に到着する。
「腹が減っては戦はできぬ。」ということで、まずは定番の名古屋モーニングで腹ごしらえ。事前に購入していたガイドマップをめくって、行きたくなったのがこちらのお店。「コーヒーハウスかこ」。名古屋駅から徒歩20分程度の場所にある小さな町の喫茶店。

「コーヒーハウスかこ」さんの名古屋モーニング

お店に到着すると、平日の朝だというのに、人だかりができていた。
お店の中はぎゅうぎゅうに客がひしめき合っていた。
ちょっと躊躇したものの、せっかく来たのだからと少し待った後でカウンター席に案内された。
そして、写真のモーニングを注文。薄めのパンに粒あんとふんわりとしたクリームに自家製のジャムが乗っている。甘さを抑えたクリームに粒あん。自家製ジャムの爽やかな酸味と甘み。甘いものがそれほど得意ではない私ですが、ペロリと平らげてしまった。

そして、いよいよ常滑へ。
電車を乗り継いで名古屋駅から40分余り。
駅からオレンジ色の煙突や瓦屋根がポコポコと並んでいるのが見えて、心躍った。
小さな田舎町といった風情。

町のあちこちにある煙突のある窯
オレンジ色の美しい瓦も常滑焼

駅から少し歩くと「やきもの散歩道」への道案内がある。そして、常滑焼の愛くるしい表情の猫たちが招いてくれた。

安産を願う招き猫
旅の安全を願う招き猫

このような招き猫がたくさん道路沿いの塀に並んでいるのだ。
後で調べてみると常滑は招き猫の産地だった。
作家名も記されていた。常滑の作家達が町おこしのために作ったものだろうか?
可愛い猫たちに導かれながら、常滑の町への期待感が高まっていった。

巨大な招き猫
常滑焼の壷や土管が埋め込まれた塀

細い路地が迷路のように入り組んでいるやきもの散歩道。
平日の朝なので、観光客は少なく静かな小道をのんびりと歩く。
昭和の風情の残る懐かしい佇まいの住宅や工房が並ぶ細い小道を巡っていく。
途中には有名な常滑焼の壷や土管が埋め込まれた塀のある土管坂や、巨大な招き猫がある。ガイドマップなどにも必ず載っているので、常滑といえばコレというイメージ。

登り窯正面の炊き口
登り窯横から撮影
煉瓦の窯が美しい。

さらに進むと、古い登り窯「陶栄窯」があった。これは当初60基ほどあった登り窯の一つ。現存する唯一の登り窯で明治20年頃作られた窯で昭和49年まで現役だったそうだ。
常滑は「日本六古窯」の一つ。「日本六古窯」とは、古来の陶磁器窯のうち、中世から現在まで生産が続く代表的な6つの産地(越前・瀬戸・常滑・信楽・丹波・備前)の総称。その中でも最も古く、規模が大きいのが常滑だという。

丹波でみた古い登り窯を思い出していた。陶器を焼いている登り窯をいつか見てみたいなと思いながら周りをぐるりと回ってみる。この場所でたくさんの焼き物が焼かれたんだろうなと思いを馳せる。今はその役目を終えて、静かに佇んでいる登り窯。今でも使われているのかと思うほど、綺麗に保存されていて、とても温かな雰囲気を感じた。

路地裏で見つけた風景
路地裏の青い扉

常滑は町自体にとても雰囲気がある。現代とは思えぬゆっくりとした時間が流れている。路地裏の風景がとても絵になる。フランスの田舎町に来たような可愛らしい風景もみつけた。素焼きした焼き物が無造作に並んでいる小道。煉瓦の塀に蔦が絡まっている。人の営みと自然が緩やかにつながっていて、共存している。
素敵な青い勝手口を見つけた。古いランプがかかっていて、常滑の人々の美的感覚を感じる。何気ない暮らしの中に美しさがある。そんな町だった。

暑さのあまり飛び込んだカフェ。

暑さのあまり、小さなカフェに飛び込んで冷たいラズベリーソーダで休憩した後、お昼ご飯が食べれるお店を探す。大きな道路沿いを歩いていると、なんだか良い雰囲気のお店が並ぶ路地があった。ガイドブックにも、常滑の観光マップにも載っていない。
民藝風の食堂。雑貨屋さんやパン屋さんなども併設されている。
雑貨屋さんは「暮布土屋」と看板が掲げられていた。納屋のような店内には誰もおらず、素朴な籠や雑貨が並んでいて私好みだった。日本のものだけでなく、海外のアンティークの食器や雑貨類も静かに並んでいる。

とりあえず、食堂「侘助」で昼ごはんをいただく。カレーうどんが有名なようだったが、「冷やしきしめん」が目を引いた。暑さに火照った身体にぴったり。
氷もたっぷり入ったきしめんは、予想以上の美味しさだった。
甘辛く煮た刻みお揚げが入っていて、甘くてひんやりしていて、麺はもちもち。
身体にスルスルと入っていく。こんなに美味しいきしめんは初めてだった。

素朴な籠が店内にぎっしりと並ぶ
冷やしきしめんを注文。
隣のパン屋さん。看板がどれも焼き物でできている。
雑貨屋さんには古い日本の雑貨、海外の雑貨も並ぶ。
どこの国のカップだろう?とても可愛い。欲しかった。
店内に並ぶ食器はどれも雰囲気があって素敵。
納屋のような雑貨屋さん。時が止まっているよう。
愛嬌のあるシーサー。
床は煉瓦に陶器の丸いタイルが埋め込まれている。

冷やしきしめんを食べた後はもう少しこの路地を散策。
お店は古い建物で窯場もあって、昔の陶器工房なのだろうか?
工場の跡地のような佇まいだった。
ガイドマップばかり頼っていたら巡り会えなかったなと思う。

この旅で思い出したことは、自分の感覚を信じるということだった。
旅をすることは、自分自身の好きなものを察知するアンテナを育むことでもあると思う。自分が何が好きだったか、人がどうであれ、自分の直感を信じること。
そのアンテナに従って進めば、自分の好きな場所へと行けるのだ。
海外で言葉も通じない場所で旅をする時はこの直感だけを信じていた。
そうすると大概の場合、行くべきところへ行けるのだった。

旅をすることは人生と同じだなといつも思う。
どの道を選べば良いのか、一つ一つが選択の連続。
その選択の連続によって人生が決まっていく。
旅はいつもそんなことを思い出させてくれるのだ。
「あ〜、来てよかった。」そんなとりとめもない満足感で満たされながら帰路に着いた。

帰りの道すがら、素敵な景色に遭遇した。
古い煙突の先端から大きな木が生えている。
もう使っていない煙突なのだろうか?
廃墟となった窯の煙突から木が生えている。
もの凄い風景。

伝統産業、伝統工芸が衰退していく現代。
全盛期の賑わいは既にないこの静かな陶芸の町。
そして、自然はこの先も大きな力で人間の営みを悠々と超えていく。
しかし、人々の暮らしやものづくりは静かに続いている。
きっと、この先も、例えささやかであっても消えることなく、この町では作家や職人たちが陶器を作り続けて行くに違いない。自然と共存しながら、人々の営みは続いていくのだ。そうあって欲しい。いや、そうあるに違いない。
そんな思いを抱きながら、次の町、「有松」へ向かった。

「名古屋の旅-有松-」へ続く。

煙突から大きな木が生えている。



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