最後の帰省

感情を垂れ流す。
なんの目的も持たせず、ただ思ったことを書いてみる。

いつのことだったか。どこかの国で会った人から「若くて色々感じられる時に、色んなとこに挑戦してみるといいよ。」と言われた。

日本人だったか、外国人だったか、
はたまた直接的にそういったことを言われたのか、その人の生き様を見てそのように感じたのかは覚えてない。

肝心なことは、多感な時期に経験を積むことを意識してきたということだ。

そして、20歳になり、憧れていた赤パスポートを持ってアイスランドに行った。

瀑布の音を聞き、星空の中にオーロラを見て「すげえ」としかいえない自分が情けなかった。
うろ覚えの言葉を寄せ集めてSNSに投稿した。たまに見返してみると、かなり滑稽で恥ずかしいのだが、淡い思い出として大事にしている。

感情を言葉にすることにこだわり始めたのは、アイスランドに行ってからということは間違いない。
その段階でとまっておいた方がよかったのかもしれないと今では思う。

文化的なものに触れて、感性と語彙を高めることで十分な人生になったと思う。実際にその年は居酒屋で月に20万稼いで、引っ越しを煩わしく思わせるほど多くの本を買い、14,5ヶ国ほどを訪れた。

ただ当然のことながら、好きなことだけしていても生きていけない。それに僕は地元の閉塞感が苦手なので、なんとしても都市に居場所を作る必要があった。その時の僕は学部四年に進級する手前にいたこともあったので、それなりの企業に入る必要を感じた。

そして就活のことを思えば、学歴ロンダリングするのもありだと思い、大学院を受験することを決めた。この時でもまだ引き返せたのではないかと今では思う。夏までは。

21歳の夏に「きけ わだつみの声」を読んだ。学徒出陣で机上を離れ、戦地に赴いた数十年前の若者の手記をまとめたものである。

悲痛の極みだった。
それと同時に、そうした心情を言葉にして、後世に残した彼らに感服した。

そこからだった。
感情を言葉にすることに、意義付けをしてしまっていた。そうなると純粋に楽しめなくなる。

というか、戦時下の手記のシビアさは平時には求められないだろう。どうして気づかなかったのだろう。もう手遅れな気がする。だって、

純粋に、感情に従うことが出来なくなった。

ただ、感情がなくなったわけではない。

そうではなくて、それとは別に意義を持って今を生きんとする自分がいる。つまらない。

「若くて色々感じられる時に、色んなとこに挑戦してみるといいよ。」というフレーズを思い出す。
ただ後悔はない。それだけが救いである。

かなり前置きが長くなり、スマホをいじる親指が痛くなってきたので本題に入る。

最後の帰省が明日から始まる。
帰省とはいっても、祖父が弱っている上にコロナ禍なので、実家に直帰せず民泊で二週間隔離して、終盤少しだけ実家に寄る。
それに八月はセミナーやら集中講義やら研究で忙しいこともあって、帰省自体に意味はない。

帰省をきっかけに、久々に感情的になれたことに意味があると捉えている。
くそメディアと、その情報に流される人々、利権に塗れたうんこみたいなキャンペーン。
確かにリスクの少ない人を中心に経済活動を継続させることは大事なのだが、咳エチケットさえ守らなくなっている印象を受けている。

なにが日本モデルだ。責任逃れと「空気」に任せたオワコンだ。うんこキャンペーンで直接迷惑を被る旅行会社の方々、そこから生まれる楽観的な世論がためにまた負担が重くなる医療関係者の方々が気の毒でならない。

とはいえ、これだけだったらnoteは書かなかっただろう。あと二つきっかけがあった。
一つはTAとして日頃から、学部生の様子を見ているので、昔の自分に重ねてしまうとこがある。そして、もう一つ、これが意外だったのたが同期との電話がきっかけとなった。

まぁ、文系大学院に来るような方々は、みなさん優秀というかしっかりしている人が多く、お悩み相談みたいなものは滅多にない。
先程も、summer programのlogisticsに関して確認の電話をしていた。その後、雑談をした。

明日帰ることや、互いの研究や所属領域の情報などなど話す中でふと「病んでない?大丈夫?」と言われた。スーっとした。

なかなか感情を間に受けることができなくなっていたのだけども、行動や口調には現れているのかもしれない。同じような状況に置かれたもの同士だからこそ、余計なバイアスなしにコミュニケーションできるのか、はたまたその同期の為人なのか。

お陰で、最後の帰省の前に感情を取り戻せた気がする。その瞬間、ドッと疲れてが押し寄せてきた。薄々気づいてはいたけど、少し頑張りすぎなのかもしれない。

書きはじめて、30分くらいが経った。書き終わらなかった。
感情を垂れ流すのも難しいんだな。

ひとまず明日までは研究のことを脇に置いて、自然体で感情まかせに生きてみようと思う。

このnoteはリハビリのようなものかもしれない。
夏のセミナーが終わった一ヶ月後に、また試みよう。以上。わら

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