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台本/0:0:3/眠り流し

地方で七月七日の朝に水浴びをすることで一年早起きができるというネンブリ流し。そんな山奥の行事に参加して楽しんでいたが、宿泊していた家で娘が目を覚まさなくなってしまう。

0:山の中、いかにもといった田舎の風景の中、川で水浴びをしている。
A:七月七日に、七夕以外にこんな行事があるなんて知りませんでしたよ。っと、偶然なんでしょうかねえ。
B:さあ、少なくとも織姫彦星とは関係ないと思いますよ、そんな浮ついた話は残ってませんから。これはね、うちの村ではネンブリ流しって言いましてね。あー眠り流しっていうんですかね、一般的に言うと。こう、七夕の朝早く冷たーい水浴びをするんですよ。そしたら、ほら、眠気が一気に吹っ飛ぶでしょう。だから、この日に一年の早起きを願って、こうやって、水浴びをするんでさあ。川もきれいですし、気分のいいもんでしょう。
A:ああ、だから男女関係なくなんですね、こりゃ、冷たいなぁ。私もこんな風習に出会えて運がいい。天の川の写真を撮れる穴場スポットを探していただけなんですがねえ。
B:天の川もよく見えますよ。車で三時間は飛ばさないと周りに集落も町もありませんし、雲が出ていなければ隣り町の明かりも空に反射しません。お客さんもいい場所を見つけなさいましたなあ。
C:さーむーいー。
A:こちらは、娘さんですか?
B:ええ、一番下の娘です。こら、お客さんの前だぞ。
A:いえ、お構いなく。
B:しかし、お客さんもご興味がおありなら、いい時期にきなさりましたな。
A:はは、ほんとですねえ。あ、でもこのネンブリ流しはちょっと体に堪えますがねえ。これ、いつまで続けるんです?
0:間
A:(M)ネンブリ流しとは、七月七日の朝に行う一年の早起きを願って行う禊のような行事らしい。七夕の彦星が織姫に朝早くから会いに行きたいのかと思ってしまうような内容だが、地方に根付いた儀式で特に関係がありそうもないとのことだ。歴史も相当あるらしく、文化の広がり方から言って、七夕よりも古いのではないだろうか。こういった地域に根差した文化に偶然出会えるのも、私のようなちょっと文化を齧った人間にとっては、田舎の写真を撮影する醍醐味の一つと思っている。
A:いやあ、気持ちのいい水浴びの後には田舎の美味しいごはん、たまりませんなぁ。これは、なんでしょう。鮎ならすぐにわかりますが。
C:わたしがとってきたウグイだよ!
A:お、まだ若いのにやるねぇ!
B:どうですか、とれたてのウグイ。ウグイも塩焼きにすると絶品なんですがね、どうにも鮎に名前負けしてしまって知らない人が多い。あ、川釣りをする人にとってはそうでもありませんがね。名物とは言いませんが新鮮な川と山の幸は捨てたもんじゃないでしょう。人はめったに訪れませんが、こんな七月七日に人が来るなんて珍しくてね。奮発してしまいました。
A:ほほー、ウグイ。塩焼きがたまりませんなあ。
C:ウグイはね、キュッって鳴くんだよ!
A:そうなのかい。捕まえた時にかい?
C:うん!
B:しかし、ここまで大変だったでしょう。
A:かなりの山奥ですからねぇ。電車から降りて車で山道をくねくねと曲がってこなけりゃいけないんじゃ、なかなか観光客も来ないのは仕方ないでしょうなあ。私はこの雰囲気、好きなんですがね。それに宿泊施設も、こうやってお家を借りることになってしまって……。娘さんにもちょっと悪いんじゃないかと思うんですが。
C:わたしはすきだよ!イモリもヤモリもカエルもトンボも……えーっとね、いっぱいいるの。いつもみんなに見せて回るんだよ。
A:ははは、自然の宝庫ですな。でも娘さん、二人いるんですって?年齢がある程度いくと大変じゃないですか?
B:いえいえ、最近は色気づいて何やら言い始めたくらいですから、ちょっと放っておくくらいがいいんですよ。文句ばっかり言い始めて困ったものです。近頃はあまり口もきいてくれなくて。
C:最近のお姉ちゃんいつも怒ってるの。
B:こら。
A:いやいや。そんなこともありますよ。やっぱり年頃の娘さんっていうのは難しいもんですかねえ。お、これも美味い。
0:夜
A:縁側から見る風景も最高だ。贅沢ですなあ、火鉢と天の川、ちょいと酒を飲むなんてのは乙なんてものじゃありません。この地域は今の時期晴れも多いと見ましてね、大当たりです。村の風景も、こうも見晴らしがいいと何でもかんでも絵になる風景になってしまいそうで、思わず撮影してしまいそうです。さすがにプライバシーがありますからやりませんが。それにしても七夕の雰囲気がいい。暗い空に天の川がはっきり見える。織姫と彦星もばっちりだ。これほど見事な七夕は初めてかもしれません。
B:そうですかそうですか、私も心得があれば写真なんぞを撮ってみたいと思うんですが、何しろ水田と畑ばかりでしてね。そう言っていただけるとうれしいものです。どうにも機械は苦手で、村の人間も機械音痴ばかりなんですよ。だからみんなで協力して人海戦術、人力でやるのが習わしみたいになっていましてね。
A:そうなんですか。ああ、山奥ではそうかもしれませんねえ。電話もつながる家は決まっているとか聞きましたが。
B:そうなんですよ。でも、不便に感じたことはありませんがね。
A:ああ、本当に見事な七夕だ。……ところで、七夕といえば笹に短冊はやるんですか?ここでは。
B:ええ、ささいですがね、集落みんな集めて短冊をかけますよ。集落、村人総出で竹を切ってきて。ほかの地域はどのくらいの大きさかは知りませんが、ここのはかなり大きいと思いますよ。写真で見たことがありますが、他所の笹は一抱えくらいしかないとか。うちのは竹の伐採も兼ねていますからね、
C:わたしも鉈で切ってくるんだよ。
A:大丈夫なんですか?
C:みんなが見てくれてるからだいじょうぶ!
A:それならいいんですが……でも、一抱え以上もあるような笹だと、空から目立っていいかもしれない。今年はどんな願い事がかかるんでしょうなあ。
B:みんな、家内安全、平穏無事ってのが決まり文句ですな。これといって変わることのない毎日が幸せなんですよ。毎日、お互いに見かけて挨拶をして同じ毎日を繰り返して、同じ行事をして。それがみんなの幸せにつながるんです。
C:わたしもみんながみてくれていますようにってかいたよ。
0:次の日
A:……?おや?どうしました?
B:いえね、うちの娘が起きてこないんですよ。ネンブリの翌日だっていうのに……ちょっと様子をみてきますね。
A:はあ、どうしたんでしょうねえ。
B:……どうした、おい、どうした?!
A:どうしました?
0:娘を抱えて降りてくる。
B:目を覚まさないんですよ、いくらゆすっても、声をかけても!
A:ちょっと待ってくださいね、少しですが医学の心得があるもので……ふむ、娘さんは正常ですね。眠っているだけです。私が見られる範囲で、昨日の様子から判断できるところだけですが。
B:そんな……。
A:ちょっと大き目の病院に連絡しましょうか。
B:だめだ!
A:え……?
B:あ、いや、そんな。その、ただ朝に目を覚まさないだけで、まったく様子も見ずに病院に連れて行くのもちょっと大げさかなと。
A:いやいや、大げさじゃあありませんよ。まあ、私が口出しできることではありませんが、なるべく早く連れて行ったほうがいいですよ。
B:はい、では、明日には……知っている先生も明日ならいるでしょうし。
A:はあ。……ちょっと家にいてもお邪魔しちゃうかねぇ。散歩にでも出るか。
0:外、笹の束
A:おお、壮観壮観。他人の願い事を覗き見るのも面白いものなんだなあこれが。神社仏閣だと少し気が咎めてできないが、七夕だと無邪気な願いが多くてそれはそれは面白い……お、これはあの子か。『みんながみてくれていますように』……まあ、みんな似たようなもんだな。と、これは……『みんないなくなりますように』……?それもあの居眠りお嬢さん?
C:あの。
A:おおおお、っと、なんだい、吃驚しちゃったなぁ、どうしたんだい……ん?妹さんかい?
C:お姉ちゃん、ストーカーされてたんだって。
A:ストーカー……?誰に?
C:わかんない。お父さんにもお母さんにも駐在さんにも相談したんだけど、みんな気のせいだっていってた。
A:確かに、こんな小さな集落でストーカーなんかしてもすぐ見つかりそうなもんだな。この願い事のことはご両親は知っているのかい?
C:知らない。多分。
A:あー、あんまり口を突っ込むのはよくないんだがなぁ……。
0:場面転換、家
A:差し出がましいんですが、ちょっと状況が状況なんで、この子の願い事、『みんないなくなりますように』って心当たりありますか。
B:無いに決まっているでしょう。第一、明日になれば病院に連れていくんだ、変な勘ぐりはやめてください!
A:いや、年頃の子は繊細で、ちょっとしたことで神経質になったり疲れてしまったりすることがあるでしょう?その類だったらいいなと思った次第で、すいません。
B:いや、こちらこそ急に声を荒げてすいませんでした。でも本当にそんな様子はなかったんです。ネンブリのときも普通に朝起きて儀式を済ませて帰ってきましたし。
A:ストーカーの件は?
B:あんた……どこで……。
A:いや、小耳にはさんだんですよ。倒れたのは神経が参っていたからじゃないかって。
B:こんな村ですよ。そんなストーカーなんていたとしてもすぐ見つかります。
A:ですよねえ。ところで、このネンブリって、毎年やっているって聞いていましたが、村人全員やっていませんでしたよね。
B:え、ええ。それは今年は私の家が担当でしたから。
A:ああー、担当制だったんですね。
C:今年はお姉ちゃんの担当だったの。
B:こら!余計なことをいうんじゃない!
A:ん?余計なことなんですか?
B:余分なことをいって混乱させることもあるでしょう。
C:こっちきて。
B:あ、こら。
A:大丈夫ですよ、子供の相手も慣れてますから。
0:裏庭
C:あのね、お父さんもお母さんも、お姉ちゃんと私の部屋、入れてくれないの。お姉ちゃんが起きなくなってから。
A:なんでかわかるかい?
C:全然わかんない。いつも勉強しなさいって部屋に入れるのに、昨日からずっと外にいなさいって。大人の人しか開けられないの。だから手伝ってほしいの。
A:んー、なるほどね。手が届かないのかな。
C:うん。
A:よしわかった、じゃあこっそりだ。秘密にできるかい?
C:うん。
0:部屋の前
A:よし、それじゃあそっと入るぞー。
0:扉があく
C:ありがとう。
A:これは……。
A:(M)壁中に目らしきものを描いた紙が貼りつけられていて、破り捨てられている。床にも目を破ったものが散乱している。
A:あんまり気持ちのいいものじゃないから、入るのは今度にしようか。
C:うん?わかった。
A:(M)これを、あの親は見ていたはずだ。それにもかかわらず、一日置いてから病院に連れていく?明らかにおかしい。目。目。見られる。ストーカー。いや、とにかく離れるべきだ。
A:あんまり気持ちのいいものじゃないから、入るのは今度にしようか。
A:(M)まて、この子は相部屋だ。この光景を、昨日からずっと見ていたはずだ。
0:裏庭
A:ネンブリで早起きするための儀式を行った人間が眠りこける。それもあり得るはずのないストーカーによる神経衰弱で?
C:おねえちゃんね、いっつも誰かに見られているって言ってた。
A:いつも誰かに見られている。だから『だれもいなくなりますように』。そうか、そういうことか。
A:君はお姉ちゃんをずっと見ていたかい?
C:うん、ずっと見ていたよ。だって、おねえちゃんは今年のネンブリだもの。お姉ちゃんはいつも外に行きたいっていってたからずっと見てないといけないんだ。
A:(M)村のネンブリには順番がある。そしてネンブリは確実に行わなければならない。だから外に行きたいといつも言っていたお姉ちゃんは特に監視している必要があった。それこそ村中のストーカーによって。
A:(M)そして図らずも神経衰弱かストレスかによって目が覚めなくなった。七夕の願いで『みんないなくなる』世界に旅立ったわけだ。そして、この子も、あの相部屋にいて、この反応……だめだ。
A:(小声)頼りになる連絡先を渡す……これくらいしかできないか……。
A:いいかい、お姉ちゃんが目を覚ましたら、すぐにこの紙を誰にも秘密に渡すんだ。そうしたら、お姉ちゃんはよくなるかもしれないから。
C:うん。わかった。

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