(仮題)北園克衛「圖形説」の周辺備忘録..vol.1

 今日から時々、今、夢中になっている詩人・北園克衛のことを書かせていただきたいと思っています。この文章は、とりわけ北園克衛の最初の詩集『白のアルバム』(1929. 厚生閣書店)の中の「圖形説」と題した11篇の詩に絡む話になります。ですから、仮題としてこの連続した文章を「北園克衛「圖形説」の周辺備忘録」としました。またこの文章を備忘録としたのは、ワタシが現在及びこれから行っている又は行うであろう作業を納得できる形にするための自分の頭の中の整理、そして未知のことに対して謙虚に向かうための言葉による思考の過程を示した作業になる予感、あるいはそういう作業にしたいという目論見があるからです。

 ワタシと北園克衛の出会いの瞬間は、圖形説の詩を活版印刷で組版を作り、再現したいと思ったときでした。それまでも北園克衛という詩人と『 vou 』 という詩誌の存在はその名前だけは漠然と知っていましたが、実際にワタシの記憶の中にはその詩作品や雑誌の姿は全く存在していませんでした。高校生のときから詩に興味を持ち始めて40年が過ぎ、一時期は現代詩手帖を定期購読し、中央の詩壇の動き強い憧れと興味を持っていたのにどうして北園克衛のことを知らなかったのだろうと今になって思うのです。

 さらにその間、詩への興味とほぼ同時並行的にジャズを聴き漁り、鍵谷幸信や清水俊彦の評論を読んでいたにもかかわらず、さらに滝口修造周辺のシュールレアリズムに耽溺した時期もあったのに、どうして北園克衛にワタシは出会わなかったのだろうか・・・とても不思議です。さらにさらに、岩手の詩に興味を持ち、『百鬼』という詩誌の表紙を新鮮に感じ、それをデザインした高橋昭八郎のことも知っていたのにです。

 私の詩の出発点は、ジャズ→鍵谷幸信→瀧口修造→吉増剛造→北村太郎(and. 荒地)→吉岡実→土方巽→ と動いてゆくのですが、言語の感覚はフリージャズを言葉で表す作業にかなりの影響を受けています。メロディーでもリズムでもない衝撃波のような認知以前の音楽の体験を言葉にする・言葉で写し取るということから始まっていますーーーーーーーーー【第一のポイント】

 【第二のポイント】ーーーーーーーー自己表現の落とし穴、とりわけ芸術と言われるものに潜む(ワタシの場合「詩」になる。)。ワタシはそんなに詩や詩人に好き嫌いがあるわけではないと思っています。高校や大学の頃のワタシは、どんな詩でも雑誌で目にすれば夢中になって読んでいました。だから、どうしてワタシが北園克衛と出会わなかったのかとても不思議です。これはワタシの個人的なことなのか・・・いや、そうではないと考えています。日本の詩、とりわけ戦後の現代詩をめぐる動きがそうさせたのだと考えています。戦争翼賛詩の問題です。

 以上、【  】書きで掲げた二つのポイントは、ワタシが北園克衛を認識してしばらく経ってから生じた瘤のようなものです。ワタシが北園克衛に興味を持った最初のポイントは、はじめに書いたように活版印刷で「圖形説」を再現したいと思った時に生じたものです。具体的には、縦と横と斜めの文字組や線を持ち、その間に大小の活字を組み合わせた組版を作る楽しみです。このことは北園克衛の詩となんら関係のない単純な印刷工の作業のことなのです。それは、以下の画像のように「圖形説」の詩を再現すれば興味は尽きてしまいます。再現する作業自体も、ちょっとした活版印刷の知識と道具と資材があれば難しいことではありません。しかし、その後、奈良大学紀要第34号に掲載された奈良大学教授浅田隆氏(当時、現在は名誉教授)の論文「奈良大学図書館『北村信昭文庫』北園克衛初期詩篇及び初期未発表詩稿等」で公表された北園克衛の未発表詩稿を見てワタシの興味の方向が二つに増殖しました。その未発表詩稿は圖形説の原型とも思える「記號学派」という5篇の詩稿でした。その原稿用紙の升目に手書きでスケッチ風に書かれた詩稿を活版印刷の技術で印刷物にする作業を行う最中に様々なことが沸き上がってくるのです。シュルレアリズムの影響(『文藝耽美』)が始まる前の北園克衛の詩の表現、タイポグラフィ、
未来派、バウハウス、ダダ、記号などなどーーーーーーー【第三のポイント】


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