インターネット幼馴染

平日に名古屋でライブの翌日、埼玉でライブがあるというイヤすぎる日程があった。埼玉公演は金曜日だったため、帰りにくくなることも懸念されるので一泊していくことにして、土曜日に埼玉に住んでいる友人たちに付き合ってもらってから帰る計画にした。
埼玉にひとりで出かけることは今までも時々あって、年に一度くらいはあるので、その都度それぞれのどちらかに付き合ってもらったりしていたのだった。

私にはインターネット幼馴染がいる。
現実の幼馴染と言える存在もいなくもないが、ほとんど疎遠になってしまった。言うほど馴染んでいない。その代わり私のようなパソコンくん世代になるとインターネット内に幼馴染がいる。小学生のころからの付き合いだから間違っていないと思う。
今の若い人にはそんな環境も珍しくないだろう。私は残念ながら今の若い人という分類には値しないが、子供のころからMacをおもちゃとして操作し生きてきた。当時はインターネット人口も今ほど多くなかったし、みんなもっと自己開示していたほのぼのヌクモリティインターネッツだったので、年上の異性と仲良くなるということも日常茶飯事だった。
私は特に音楽関係のHPやブログをやっていたので、年上の友人や知り合いができやすかった。好きだった音楽もひとまわり以上上のものが多かったせいだ。初めて行ったライブはレピッシュだったし、一緒に行ったのは名前も知らない、HNも覚えていない親に近い年齢の女性だった。

そんなことをしょっちゅうやっていたせいで、オフで会うボーダーの低いタイプだった。オフ会という言葉も生まれて始めていたころだった。
好きだったバンドのHPを小学生のころからちまちまと作り続けていく中で、同じバンドのサイトをやっている管理人たち、それぞれと交友関係ができていった。みんなして管理人。管理人仲間という感じだった。
交流コンテンツを持っているHPが主流の時代だったので、管理人たちはファンの間でもそれなりに有名になり、自分もおそらくそうだったのだと思う。私は当時から交流が不得意で、自分のHPにはそういったコンテンツは置かず、メインコンテンツのデータベース以外には自分の行ったライブの感想、CDの感想、ファンアート、毎日書くブログをひたすら置くタイプの、今で言う「壁打ち」だった。今も変わらぬその姿。
周りが交流メインのHPだったので、私のそのやり方は今思うに正しかったのだと思う。異様に若い人が資料を集めて、すでに解散した昔のバンドのデータベースを作っている、というのは確かに面白い。自分でそれをやっている時も楽しかった。青春だった。

その過程でできたのが先述のインターネット幼馴染だ。
私には二人いる。Aくん、Bちゃんとする。Aくんは何個か上のお兄さんくらいの異性で、Bちゃんはさらにその倍くらい上の異性だった。二人とも始めて会ったのは高校生の頃だった。
やりとりは小6からしていたけれど、自分でバイトをしてお金をかせいで、地元を出てライブを見に行くなどをするようになったのが高校生になってからだった。バイクの免許を取ったり、自由を手に入れたのは大体そのくらいだ。
Aくんは当時大学生で、自分も太っているのにさらにそれより太った彼女と付き合っていた。私と会う時「無料で女子高生と遊べるなんてラッキー」と言っていた。最悪。今思えば照れ隠しだったのか、大学生特有のイキリだったのかもしれない。
私が親だったら、そんな得体の知れないクソみたいなやつと会うなんて絶対に許していないと思う。親は放任主義だったし、私は何も考えてなかったし、Aくんは結局ただのいいやつだったので、何もかもの運がよかったと思う。
今の時代はもっと注意すべきだ。

Bちゃんはこの前聞いたら干支が同じだった。12歳離れているらしい。Bちゃんに会った時は、すでにBちゃんがおじさんの域だったので、Aくんのとき以上に何の心配もしていなかった。確か結婚もすでにしていたと思う。AくんとBちゃんも仲が良かったけど、実際にリアルで会って飲んだりするのは数が少なかったらしい。
私が二十歳くらいの時に、ふたりが飲みにいって、セクシーなバドガールに焼き鳥かなにかを口に突っ込まれている動画がtwitterか何かに流れていて、あまりにも楽しそうなのでちょっと羨ましかった。
私とAくんとBちゃんはそういう感じで、ほとんどの会話をインターネット上で行い、3人でずっと仲がいいけど一度も3人で集まったことのない関係性だった。 

去年、その3人で初めて集まった。私がAくんとBちゃん、それぞれと二人で食事をすることはままあったし、AくんとBちゃんが二人で会うこともわずかながらにあったらしいが、3人が一堂に介することが20年以上一度もなかった。えっ、20年以上!?
私は地方に住んでいるから、新幹線で帰らないといけない。確か仕事で東京の展示会か何かに行った帰りだったと思う。新幹線で帰りやすいからと大手町あたりの店を予約してくれて、店で過ごせた時間は1時間半程度だったと思う。
初めて3人で集まっているのに、何の感慨もなかった。ずっと今までそうしていたような気分だった。当たり前のように3人で過ごした。

私は友達が少ない。そんなに多くない。たくさんいても全員に気持ちを平等に持てない。大人になってから疎遠になってしまった友達も幾人かいた。だから今仲良くしている友達と呼べる人たちのことは、みんな大切にしようと決めている。AくんとBちゃんのこともそう思っている。

冒頭に記した埼玉の友人二人というのはAくんとBちゃんのことで、先日また3人で集まる機会があった。もしかしたらこれが最後になるかもしれない。ネットで知り合った遠方の友人というのは、つねにそういう前提でいる。
時間やお金を気にせずのんびりしたかったので、朝の10時からサイゼリヤでマグナムボトルを頼んだ。気がついたら4時間経っていた。4時間の記憶がほとんどない。Bちゃんが「龍と苺を読め」としつこく言っていたことしか覚えてない。
その後店をうつして気がついたら2時間経っていた。将棋マンガと麻雀マンガの話しかしていない気がする。Bちゃんが寝落ちというか死にそうになっていたので解散した。6時間飲み続けるというのは10年以上ぶりのような気がする。帰りは私も少しだるかった。加齢を感じる。
言うほど量は飲んでいない気もするが、とにかく記憶がないのでどれだけ飲みましたか、というのもわからない。そして帰宅後、喉の違和感を感じて嫌な予感がした私は、まんまと休み明けの病院で二度目のコロナ罹患を通告されたのだった……。
AくんとBちゃんは無事らしい。ほっとしたけど、なんでやねんという気持ちもある。6時間一緒に飲んでて無事ってどういうことなんだ。

要約すると、遠征先で久々に友達と会ってはしゃいで疲れてコロナになったというクソみたいな流れでしかない。こんなこと記録に残そうとすなよ、と自分でも思う。でもいつも、AくんとBちゃんと会う時は楽しいし、私にはもったいない、素晴らしい理解者たちだと思って感謝する。

2軒目で、Bちゃんがグロッキーになりはじめて、隣のテーブルのお客さんに「もう帰ったらどうですか?」と言われていた。すごい正論。実際帰った。酔っていたせいだと思うが、我々にはそれが煽りに聞こえていた。
シラフだったらマジの心配をしてくれているように聞こえていたんじゃないかと思う。場所はビアバー、相手は幼い子供を連れていた。そのせいで「いやいやこんな場所にちびっこ連れて来ちゃダメでしょ」という反感が生まれてしまい、ムッとなったのかもしれない。
私は飲むと性格がめちゃくちゃにおおらかになるので、別にムッとはしていなかった。Bちゃんはそもそも死んでいた。Aくんは店を出てからも、なんなら二日後くらいにも「レスバに弱い自分」を悔いていた。あの場でレスバ始めなくてよかったとすら私は思っている。そもそもあれレスバ開始のゴングじゃないと思う…、というのが私の見解だ。
年齢も見た目も性別もバラバラのうさんくさい泥酔した3人組を店から追い出してくれて感謝している。我々はそうすべきだった。

昔に比べてみんな酒が弱くなった。みんな、ずっと「老いていく上で自分の中の情熱が消えていく、新しいことに興味を持てなくなっている」と言っているけど、Aくんは新しくハマったアイドルの接触イベントに今度行くらしいし、Bちゃんは若い女が出る映画ばかり狙ってエキストラ参加することにハマっている。全然そんなことないと思う。私は好きな若い男が無限に増えていく。

私は中学時代が暗黒期で、不登校だったし、全国的なニュースになる事件が起きるような陰惨な学校で、とにかく地元が嫌だった。高校は楽しく過ごせたけど、ずーっと仲がいい相手がいるわけじゃない。
だから私にとってはAくんとBちゃんが幼馴染で、子供の頃からの私を知っていてくれる家族以外で唯一の存在だ。それだけでとてもありがたい。みんなが死んだ時は葬式に行きたい。

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