見出し画像

家系図が僕を家族の旅に連れ出した-3

こんにちは。
今回は旅は旅でも「家族の旅」の話をしたいと思ってnoteを広げました。
皆さんは「家系図」作ったことありますか?そう、あの名前が棒で脈々と繋がってるやつです。

今回は3回目、戸籍を読み解きながら家系図に落とし込んでみたらどう感じたかのお話をします。ちなみに細かな作り方などは各書籍・情報にお任せして、この記事では取り扱いませんのであしからず。

祖父も知らない兄弟がいる

僕が直系家系図をを完成させたひと月後に、祖父は他界しました。直前まで頭がはっきりしていた祖父には、作っている経過を話しつつ、名前の読みや関係に間違いがないかを確認することができました。

ネットでなんでも調べられると思っていたけれど、「この情報は祖父の頭以外に集約されていないんだ」と思うと不思議な感じがしました。

家系図を確認しながら、祖父は懐かしそうに家族の話をしていたのを覚えています。こいつとはよく喧嘩して怒られたとか、この人の名前の読みはこうだとか。

また、僕からも「この人知ってる?」と質問した人がいます。祖父は11人兄弟だったようですが、そのうち何人かは生まれてすぐに亡くなっています。当時は栄養不足から珍しいことではなかったようで、「知らなかった」と祖父自身も驚いていました。

戦死したご先祖様

戸籍を読み解くと「マリアナ島方面に於いて戦死」という一文が記載されたご先祖様がいました。26歳という若さでした。

今の平和な世の中にいると「戦争は自分とは関係ない」とどこかで思うことがあります。けれど自分の一族が戦地に向かい、実際になくなっているという記載は「自分と戦争はどこかで関係している」ということを伝えているようでした。

ひたすら旧文体か続く戸籍の中で、「マリアナ島」という文字が、なぜだかとても目立って見えました。

父方の直系家系図の完成

かくして直系家系図は、役所で戸籍を取り寄せてから1週間くらいかけて完成しました。祖父からも「尊いな」という言葉をもらい、僕も知らないご先祖や兄弟、親戚の存在を感じると、なんとも言えない気持ちになりました。

冒頭にも書いた通り、父方の家系図を完成させた1ヶ月後に祖父は亡くなりました。「何かが起こる前に」家系図を作って祖父に直接確認できたことはとても幸せでした。

偶然かもしれませんが、家系図の本をAmazonで買った日が祖父の誕生日だったのには驚きました。きっと、これは僕がやらなきゃいけない仕事だったのかもしれませんね。

祖母方の家系図も完成

それから1年以上間が空いて、今度は祖母方の家系図に取り掛かり完成させました。この家系図を読み解くと、惚れた腫れたがあったり、子供ができなかったのか養子をもらっていたり、生まれてすぐ亡くなる子や戦死した方がいらっしゃったり…。無表情な戸籍からこんなに色々な人生模様が読み解けるとは思いませんでした。

また秋田から嫁がれた方や、東京へ出て行った方も(少なくとも戸籍上は)いらっしゃって、自分の遠い親戚は日本中にいるのではないか?と思わされました。スーパーですれ違う人や、今この記事を読んでいるあなたも、もしかしたら僕と遠い親戚関係にあるのかもしれないなんて思うと、世界の見え方が変わってくる気がしませんか。

ちなみに。祖母には家系図を確認してもらうことが出来なかったので、いつか親戚の人に見てもらって、話ができたら嬉しいなと考えています。

終わりに

今回は足掛け5年かけて作った家系図の話を書きました。

ただの紙切れから自分にたどり着く歴史を紐解くこと。これって実はとてもすごいことをしているのかもしれません。そして家系図は、家族を、親族を繋いでくれる架け橋になるかもしれません。今回僕が家系図を作ることで、そんな「仕事」ができたのなら幸せです。

そしてこの経験を自分だけで留めておくのは何か違うなと、noteを一気に書き上げました。拙い文章ではありますが、僕と同じように「ふとしたきっかけで」家族を知る旅に出る人が増えたら嬉しいです。

ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。

そして、亡くなってからも色々な形で繋がりを感じさせてくれる祖父と祖母へ感謝を込めて、この記事を終わりにします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?