分析、検証が必要。

坂本先生による今日のツイート。同じような内容で本日何回も投稿されている。

私も、本当は『昨日久しぶりnoteを書きたいなぁ…』と思ってた内容。日本は、とりあえず取り組んでみた対策の効果があったのか、なかったのか、どれ一つ確かめていないことが気がかり。

日本にいる賢い人は大抵【受験期間】を生き抜いてきた人たちだと思うし、大人になってから様々もっと頑張る局面にぶつかり、それを乗り越えてきた人たちばかりだと思うけど…その際に、ちょっとずつ「あれがよかった。これはダメだったからこうしてみよう」とか自分なりに工夫を重ねて、真剣に取り組むことで乗り越えてきたんじゃないかと思ってしまう。より大切にしたいことこそ、力を入れて細分化し、自分の中で分析と検証を繰り返して成長してきたんじゃないのかな…と。

感染症予防として広く認知されているマスクは、スペイン風邪の時に広まったと歴史的資料としても残っているし、他の除菌も、今までの知識と経験の積み重ねで当たり前にされている世界があって…それを倣ってしているものであるから、ある程度検証されているようなものなので、安心感がある。

では、このコロナ禍ではじめて採用されたようなものはどうだろうか?

フェイスシールドは、富岳によって、昨日、隙間から漏れ出るいく可能性が指摘されました。オフィスでのパーテーションも、より、空気の流れを悪くしているシミュレーションが発表された。

この富岳によるシミュレーションは検証結果ではなくあくまでも、シミュレーションであり、(先に発表された満員電車での空気の流れも、『満員電車クラスターはなし』とされる政府の方針の元、大事にされているようには思えない。) 藤井聡太棋聖がAIの予測された手をうつか、と先日盛り上がったように、AIの予測はあくまでも予測であることには変わりなく…現実にどう取り入れられるのであろうか、とそこが重要な気がする。

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GOTOキャンペーンは成功したのか、失敗したのか。

経済効果を期待したのなら、どの地域にどれだけの人と金の流れがあったのか、明確にしていいように思う。そして、懸念された感染拡大も、10名10施設は発表されているが、それが全てだと捉えてる国民は少ないであろう。

大阪府、ミナミの休業要請は、一応、人数が顕著に減ったことを検証している。

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ただ、個人的には、疑惑のイソジンの発表があったため、『一時的にミナミの若者が唾液検査をすり抜けた』可能性もなくはないように思う。もしすり抜けた陽性者がいて、若くて元気な身体で自然治癒していればいいが、やはり、誤魔化しきれずに体調がウィルスによってくすぶり続け、発表発覚となってこないかは、気になるところである。

イソジンの件については、実験に協力された被験者41名予後も気になるところだ。陰性になった実験から数日経ってるはずだが、今も陰性状態を保てていて、後遺症も何もないのだろうか?

もし、他の人より再陽性にな確率が高い…とかならば、大問題なような気がする。

このニュースを昨日受け取ったことも、書こうと思い巡るに当たった理由の一つ。ドイツでは、明確に【実験】とされ、検証されてる動きがある。

世田谷区のPCR検査の取り組みは、他の自治体は皆静観し、ある意味実験状態だと捉えているところも少なくないだろう。

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日本に限ったことなのかどうかは分からないけど、コロナ禍、正解は分からないけれど、とりあえずやってみる、試行錯誤で進むしかない、というスタンスだったはずなのに、《その政策がどうだったか》評価、検証しようとする段階になると、【政治家生命がかかってるから、失敗とは言えない】空気を感じる。

確かに、政治に熱心な一部では〈とりあえずやってみた政策が失敗した→責任は誰に?責任とれ→(という流れになり)…〉といつでも失敗を待っている空気が盛り上がっていたりする。いくら止めようとしても、力の勢いがあるように思う。

だけど、コロナ禍の政策の結果を失敗したからとトップをコロコロ変えていては、また一から新しいトップが新型コロナウィルスを理解することから始まるなんてそんなこと、私には非効率に思える。毎回、長が理解するまで待たねばならない。時間がもったいない。

無責任に政策をしてみようと採用されるのは困るけれど、今までの政治のあり方ではコロナ禍、太刀打ち出来ないと、何か、突きつけられているような気持ちがしてならない。

坂本龍馬の時代に想いを馳せると…今の政治の仕組みはその頃の志士達が海外を参考に議会の仕組みを日本版にしたことがベース。当時は、まだ、“仁”の時代。医学はそこまで発展していなかった。

はじめの緊急事態宣言の頃に思ったことだけど、医療従事者より、政治家は偉いのだろうか?

私は医師でも政治家でもないし、その人たちって学生の頃から一緒に遊んでいても頭いい人というイメージはあるものの、どっちが上、どっちが下なんて全く思ってなかった。

三権分立という制度が日本にはあるけど、立法、司法、内閣と医療従事者が平等な立場でもいいのではないか…と私には思える。

この仕組みができた頃は、医療が発展していなかった。今最先端の医療技術がある日本で、古い仕組みで足が絡まった状態で二人三脚しているようななんか、まどろっこしい発表や政策…。とても、うまく機能してコロナ禍乗り切れるとは思えない。

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