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謎解き『バックストローク』(小川洋子)② -弟の左腕はなぜ抜け落ちたのか-

〈目次〉
3 弟の左腕
 (1) 題名の意味するもの
 (2) 遠くを見つめる弟
 (3) 弟にとっての母
 (4) 「左腕」とは何か
4 「わたし」は弟の理解者か
 (1) 「わたし」と母
 (2) 「わたし」と弟
 (3) 弟が守ろうとしたもの
 (4) 弟にとっての姉

3 弟の「左腕」
(1) 題名の意味するもの
 小説『バックストローク』で、まず何よりも解明されねばならないのは、「なぜ弟の左腕は挙げたままになったのか」という点でしょう。
 手足が麻痺して動かなくなることはあっても、(ギプスをはめるなどの外部的要因がないのに)手足が固定されてしまうことはありません。
 この現実にはあり得ない事態が生じたことをどう捉えるかです。
 その答えを導き出すヒントは、題名にあると私は考えます。
 『バックストローク』、つまり背泳ぎのことです。
 前回お話ししましたが、弟が小さい頃から背泳ぎを専門としたのは奇妙なことです。
 ここにはどのような含意があるのでしょうか。

 そもそも背泳ぎには、クロールや平泳ぎ、バタフライと比べた時、どんな特徴があるでしょうか。
 背泳ぎは他の泳法に比べ、速力が遅いとか、自由に息継ぎできるなどの特徴がありますが、一番の特徴といえばやはり「進行方向が見えない(進行方向の確認がしにくい)」という点でしょう。
 つまり、「先が見えない」のです。
 見えない目標に向かって必死に水を掻いて進むというのが背泳ぎなのです。
 私には、この姿と弟のあり方とがオーバーラップして見えます。
 三つの時からスイミングスクールに通ったことも、ほぼ毎日泳いだことも、早い段階で背泳ぎを専門にしたことも、すべて元々は母の意志であり思であり、弟の意志では思ではなかったことでしょう。
 三歳からスイミングスクールに通うことが悪いことだとは思いません。
 ただ、弟の場合はその他の全てを犠牲にさせられてしまったのではないでしょうか。
 彼は「練習練習で、友達と無邪気に遊び回る暇もなかった」のです。
 友人との交流がなかった点が、彼を隅に追いやった理由の大きな部分を占めているのではないかと思われます。
 食べるとか寝る、遊ぶなど、本能や欲望に基づく行為を除くほとんどの振る舞いは、社会や人生とのつながりを感じるからその意味や目標が見えてきます。
 例えば、いい大学に入ったりいい仕事ができるようになったりするから勉強するのであり、ただ知的好奇心のためだけに学ぶ(この場合でさえ社会的意味などを感じるのが普通です)という人は少数でしょう。
 働くことももちろん同じです。
 しかし、弟の場合はどうでしょう。
 弟は、友人どころか、小説の中では父や母とも会話していません。
 もちろん、実際の家庭生活では父や母とも会話したことでしょう。
 しかし、小説の中に描かれなかったということは、父や母との会話には深い意味がなかったということになります。
 小説の中で弟が会話した相手は、姉である「わたし」一人なのです。
 弟は水泳の各種大会に出場しているから、社会との接点が全くなかったわけではありません。
 しかしそれは、いわば形式上、表面上のつながりであり、精神的な接点というか、意味を感じるつながりは極めて希薄だったのではないかと思われます。
 つまり、弟は「先が見えなかった」のではないでしょうか。
 もちろんまだ子供ですから「人生の目標」とか、「泳ぐことの意味」とかを明確な言葉にして考えることはなかったでしょう。
 しかし、どんな子供もそれを感じることはできるし、実際にそうしています。
 例えば、幼稚園児がお絵描きに熱中するのは、そこに意味を感じているからです。
 ただ、言語化できないだけです。
 弟の場合も、泳ぐことの意味が全くなかったわけではありません。
 ただそれは「母の願いに応える」という意味であり、弟本人の意味ではなかったでしょう。
 見えない目標に向かって進む。
 理解できない意味に向けてもがき続ける。
 それが弟なのです。

 『バックストローク』の意味はそこにあります。
 題名を英語にしたのも、その方が音韻上ふさわしいからでしょうが、「背泳ぎ」という題名よりも「バックストローク」という題名にしたほうが、「見えないものに向かってもがき続ける弟の姿」を現すのにふさわしいからでしょう。

(2) 遠くを見つめる弟
 さて、それでは弟の左腕はなぜ挙がったまま固定されてしまったのでしょうか。
 固定された時の様子は、次のように描かれています。
 ――左腕は肘も指先も真っすぐに伸び、耳にぴったりとくっつき、掌は正面を向いていた。ちょうどストロークの途中、左手が入水する直前で止まってしまったような格好だった。
 それ以外におかしいところはなかった。注意深く観察してみたが、あとはみんな普通だった。なのに左腕だけが、どうしようもなく奇妙だった。――
 つまり、それは背泳ぎにおいて最も身体を伸ばした姿勢であり、最も遠くを摑もうとした瞬間です。
 先に私は「背泳ぎとは、見えないものに向かってもがき続ける」泳法だと言いました。
 見えない目標を摑み取ろうとして闇雲に遠くへ手を伸ばした姿勢、それが左腕を挙げた姿なのです。
 摑み取ろうとしているのは「母の願い」であり、弟のものではありません。
 母の願いに応えねばならないと考える「意志」と、それが本来の自分の願いではないという「欲望」との齟齬、そのダブルバインドが弟の左腕を動かなくさせてしまったのではないでしょうか。

 弟の左腕が挙がったままになったのは、「母の支配への拒絶」であるという見方があります。
 本当でしょうか。
 もし拒絶したいのであるなら、もっと他にいくらでも方法があります。
 簡単なことです。
 スイミングスクールに行くのをやめればいい。
 何だったら、仮病を使ってもいい。
 母が怖くて休めなかったのなら、プールに入っても一生懸命に泳がなければいい。
 しかし、弟はそうしませんでした。
 それどころか、母の期待に応えて十四歳の時に中学新記録まで作っています。
 これは本人が意志し、願わなければ絶対に打ち立てられない記録です。
 つまり、弟は母の期待に応えようとして本気に水泳をやっていたし、必死に泳いでいたということです。
 ただし、彼が大人になるまでは。
 彼の左腕が挙がったままになったのは、十五歳の誕生日の翌日でした。
 子供と大人の境目において、彼の左腕は動かなくなったのです。
 ただ、これは弟に自我が生まれたということとは少し違うのではないでしょうか。
 自我とは他者と区別される自己意識であり、感情や意志、行動の主体です。
 弟の描写のどこかに母を拒否する感情や意志、行動が一つでもあったでしょうか。
 彼は何事も母の言う通りにしています。
 では、弟は何を思い、何を考えていたのでしょう。

 レースが終わった時、母は選手のロッカールームまで出向いて行き、人目もはばからず弟を抱き締めました。
 その時の弟は、次のように描かれています。
 ――弟は母に身体を任せ、されるがままになっていた。照れ臭そうにも、迷惑そうにもしなかった。ただ、どこか遠くを見つめていた。――
 ここに弟の内面が表れてはいないでしょうか。
 弟は自分でも分からなくなっていたのでしょう。
 わからないということにさえ気づいていなかったかもしれません。
 このように言語化することもできません。
 言語化できないから無表情だったのです。

 母の期待に応えたいという、子供の頃から形成された「本人の意志」、敢えて言うなら「母から与えられた意志」を持ちつつも、彼は身体の奥底から沸き上がる別の感情や意思、自分でも得体の知れない何かを感じていたのでしょう。
 だから、抱き締められても嬉しくないし、嫌でもなかったのでしょう。
 そう、公衆の面前で母に抱き締められるという、一般的な中学生の男の子なら絶対に嫌がるような行為でさえ弟は拒否しませんでした。
 心の成長において、正常とか、健全とかいう言葉を使うのは慎重であるべきですが、ただ、やはり弟の心の成長を考えると、かなり心配な状態だと言えないでしょうか。
 この時、弟が「お母さん、みんなの前で恥ずかしいことをするのはやめて」とか、「もう僕も子供じゃないんだから、べたべたしないで」とか言っていたなら、弟の左腕が挙がったままになることもなかったのではないでしょうか。

 ところで、この時の弟の様子を見て「わたし」は、「背泳ぎなんかよりもっと深刻な問題について、思索を巡らせているかのような瞳だった」と述べています。
 巧みな描写です。
 これで読者は騙されてしまうかもしれません。
 弟は、確かに「背泳ぎなんかよりもっと深刻な問題」を抱えています。
 しかし、そのことについて「思索を巡らせて」などいません。

 彼は、何もかもが分からなくなっているだけです。
 三つの時から、水泳しかやってこなかったのです。
 水泳以外で弟が知っている世界は「部屋の隅」だけです。
 友人との交流もないので、他の人の気持ちや考えにも接することができませんでした。
 そんな弟に、どうやって思索を巡らせよというのでしょうか。
 何も弟に限りません。
 「背泳ぎなんかよりもっと深刻な問題」について、私も考えることがあります。
 「人間とは何か。」
 「人生の意義とは?」
 「人はどう生きるべきか。」
 ……考えても分からなくなった時、私も「遠くを見つめるような瞳」になります。
 書店に積まれた人生の指南書が、手を変え品を変え、何十年も売れ続けているのを見ると、私や弟のような人は珍しくないのだろうと思われます。

(3) 弟にとっての母
 弟にとって、母とはどんな存在であったのでしょうか。
 「わたし」は言います、「母はただ弟を愛することのみに生きた。もっとも彼女だけが信じる愛し方で、という意味だけれど」と。
 つまり、母の弟への愛は、「本物」の愛ではなく、単に母の自己愛や支配欲の裏返しに過ぎない、ということです。
 母は、弟が水泳をやめた後、水を抜いたプールで「背泳ぎに関する品、水着、練習日誌、記録のグラフ、写真、賞状など」すべてを焼きましたが、それが何よりの証拠です。
 泳げなくなったとはいえ、息子が心血を注いで獲得した品を焼くのは、とても残酷な仕打ちだと感じられます。
 母の期待を裏切った弟への憎悪と復讐心が、それらを焼き払わせたのではないでしょうか。

 弟もおそらくそのことに気づいていたことでしょう、無意識的にではあっても。
 弟は自分の前世を「わたし」に語った時、「今度はママのお腹に入らなくちゃならないから、洞窟の中を一生懸命走ったんだ」と言いました。
 つまり、この母から生まれることは弟にとって義務であり、宿命であったということです。
 弟は前世で羊飼いであり、洞窟に迷い込んで、人食いコウモリに身体中を食いちぎられました。
 弟はその時の「コウモリの歯の形や、吹き出す血の匂いや、骨から肉片がはぎ取られてゆく感触を、細かいところまでよく覚えてい」ます。
 このコウモリは母の化身であり、「吹き出す血」や「肉片」は、弟が心血を注いだ「水着、練習日誌、記録のグラフ、写真、賞状など」のことです。
 弟はコウモリに食われた後、「今度はママのお腹に入らなくちゃならない」と考え、ぎりぎり間に合います。
 「わたし」はそれを聞いて、「弟は間違えてしまったんじゃないだろうか」と考えます。
 「わたし」の考えは正しかったのでしょう。
 弟は人食いコウモリに食いちぎられた後、また同じ人食いコウモリのお腹の中に入り込んでしまったのです。
 その失敗を弟も感じていたから、「もし今度死んだら、お姉ちゃんのお腹に入れておいてよ」と言ったのでしょう。

(4) 「左腕」とは何か
 弟の「左腕」とは、結局何だったのでしょうか。
 それは、「母親によって作られた弟の意志」の象徴であったのではないでしょうか。
 「目に見えぬ目標をつかみ取ろうとして、もがかねばならない弟のあり方」の象徴とも言うこともできます。
 弟は母の願いを拒絶していません。
 だから精いっぱい身体を伸ばしてゴールに至ろうとしているのです。
 しかし、それは弟の願いではありません。
 しかも、大人になるにつれて、何のために泳がねばならないのか、その意味も分からなくなってきます。
 弟が身動き取れなくなるのも当然ではありませんか。

 弟の左腕が挙がったままになり、背泳ぎをしなくなって五年が過ぎると、もう誰も、無理矢理それを元に戻そうなどとは思わなくなりました。
 左腕は次第に血行が悪くなって黒ずんできます。
 「身体の中で左腕だけが、勝手に死に近づいて」ゆきます。
 何か悪いことが弟の中に生じているのでしょうか。
 いや、必ずしもそうではないと私は思います。
 翌年、二十三歳の誕生日を迎えた「わたし」は、弟に「もう一度だけ泳ぐ姿を見せてほしい」と頼みます。
 晩春の夜、弟は姉の前で背泳ぎを披露します。
 弟の泳ぎは、「左腕も含め、すべてが完成された調和の中に」ありました。
 この時「左腕が、何の前触れもなく付け根から抜け」落ちます。
 抜けるはずでしょう、弟はようやく「母親によって作られた弟の意志」の桎梏から脱し、姉の前で泳ぎたいという「自らの意志」で泳いだのです。
 「目に見えぬ目標をつかみ取ろうとしてもがく」のではなく、「姉を喜ばせたい」という自分の気持ち、明確な目標をもって泳いだのです。
 「すべてが完成された調和の中にあった」から、左腕は抜け落ちたのです。
 もう何も苦しむことはありません。
 だから、弟は「痛そうにもしなかったし、血も出なかった」のです。
 「すばらしいフォームでわたしの前を横切って」行くこともできたのです。
 ……では、なぜその左腕は「わたし」の手に届かなかったのでしょうか。

4 「わたし」は弟の理解者か
(1) 「わたし」と母
 小説の中で弟が唯一信頼するのは、姉である「わたし」であるように見えます。
 それは、弟が会話する相手が「わたし」だけである点や、「今度死んだら、お姉ちゃんのお腹に入れておいてよ」という発言からも推定できます。
 では、「わたし」は弟のことをどう思っていたのでしょうか。
 「わたし」の、「羊飼いというのも、弟に似合っていた。羊飼いなら草原を走り回っているだけでいい。プールを泳ぐ必要もない」という思いや、「本当にママのお腹で間違いなかったんだろうか。…弟は間違えてしまったんじゃないだろうか。その疑いはわたしを苦しめた。弟が死ぬ光景より残酷だった」という思いを読むと、姉は確かに弟のあり方を心配し、その気持ちを理解しようとしていたことがわかります。
 しかし、この姉はほんとうに弟のことを思って何かしたことがあったでしょうか。
 例えば、母が「庭にプールを作る」と宣言した時、「わたし」は弟のために何か言ったでしょうか。
 父はあきれて「どこの庭に?」と言いました。
 父が心配しているのは弟のことではなく、庭のことです。
 父は家族に無関心なのだから、仕方がありません。
 弟は飾り戸棚の陰に座って、黙っています。
 では、「わたし」は?
 「わたし」も黙っているだけです。
 水泳が弟の負担になっていることが分かっていたなら、なぜ一言ぐらい反対意見を言わないのでしょうか。

 実は、この場面に限らず、「わたし」は弟のために何も発言していません。
 母の前ではほとんど何も言っていないのです。
 弟の試合の応援に行った時、「わたし」は熱狂的に応援する母の姿に辟易しますが、母には何も言いません。
 何枚も写真を撮る母に一度だけ「フィルムの無駄遣いよ」と忠告しましたが、それは弟のために言ったのではなく、フィルムのために言ったのです。
 母が周囲の人に迷惑をかけるので惨めな気持ちになりますが、母の行為を止めることはしません。
 母が弟を抱き締める時も、早くこの儀式が終わってくれないかと思うだけで、それをやめさせようとはしませんし、弟がかわいそうだとも思いません。

 「わたし」はむしろ母に追随しているのではないかと思われる部分もあります。
 例えば、弟の左腕が挙がったままになった朝の場面です。
 ――最初弟が階段を降りてきた時は、肩の調子が悪いのか、フォームのイメージトレーニングでもしているのだろうと、さほど気にしなかった。しかし、洗面所から出てきても、食卓についても、彼はそのままの姿勢を崩さなかった。
 『どうかしたの』一番に母が口を開いた。
 『どうして手なんか挙げてるの?』
 わたしも尋ねた。尋ねないではいられなかった。彼は何も答えなかった。――
 母が一番に「どうかしたの」と尋ねています。
 「わたし」は初め、「さほど気にしなかった」にもかかわらず、母に続けて「どうして手なんか挙げてるの?」と尋ねました。
 その時の気持ちを、「わたし」は「尋ねないではいられなかった」と表現しています。
 これではまるで、母の言葉を聞いたから弟に質問しないではいられなくなったような口ぶりではありませんか。
 さらに、「わたし」は弟が狂言を働いているだけではないかと疑って、彼の部屋を盗み見しています。
 弟のことを本心では信用していなかったことが分かるというものです。
 「わたし」は弟と二人っきりの時は弟に寄り添おうとしていますが、母がいる場では全く母に従順であり、弟の側に立ったことがないのです。

(2) 「わたし」と弟
 そう思って小説を読み返すと、弟に対する「わたし」の言動には「?」が付くものが多いと感じます。
 例えば、お手伝いさんに頼まれ、夕食の用意ができたと家族中に知らせる場面。
 「わたし」は弟の頭のてっぺんをポンポンとたたいて知らせています。
 これは人によって感じ方が違うかもしれませんが、いかに姉・弟の関係とはいえ、頭を叩いて夕食を知らせるものでしょうか。
 普通は声を掛けるのではありませんか。
 たとえ弟がイヤホンをしていたとしても、肩などを叩いて知らせるのが普通だと思うのですが。
 次に弟の前世の話を聞く場面。
 コウモリに弟の身体が食いちぎられるというむごたらしい話なのに、「わたし」はわくわくします。
 小学生の頃の話だし、架空の話だから仕方がないかもしれませんが、弟が惨殺される話に「わくわく」するのには少々違和感もあります。
 それでも、これらは特に気にするほどの話ではないと言えるかもしれません。
 しかし、次はどうでしょう。
 弟が泳がなくなってからのことですが、次のような場面があります。
 ――二人きりの時はよくわたしを彼の〝住みか〟へ招待してくれた。もっともそこへ二人が入り込むのは難しかったから、わたしは頭だけ突っ込み、顔を近づけ合って話をした。
 『変に思う?』一度だけ弟は自分の左腕について口にした。場所は本箱と壁のすき間だった。
 わたしたちはそこへホットケーキとココアを持ち込み、とりとめのないお喋りをしていた。弟が焼いたホットケーキだった。
 わたしは首を横に振った。
 正直な気持ちからだった。
 『大丈夫よ』
 『本当に?』
 『ええ。そういうスタイルも素敵だわ』
 『みんなを、がっかりさせてしまった』
 『自分のしたいとおりにすればいいのよ。これまでさんざんストップウォッチに追い立てられてきたんだから、あとはのんびりやればいいの』
 すき間は薄暗く、彼の表情は影になっていた。
 微笑んだようでもあったし、哀しそうに目を伏せたようにも見えた。
 肩をすぼめ、両膝を折り畳んでいた。
 左腕は一番奥、一段と闇の濃くなったあたりに潜んでいた。
 彼はホットケーキを一切れ食べた。
 甘い匂いがあたりに漂った。
 『おいしいわ。ありがとう』
 フォークをくわえたまま、弟は恥ずかしそうにうなずいた。
 これからもずっと長く、弟がどこか遠くに行ってしまったとしても、ずっと覚えておきたいと思う匂いだった。――
 長い引用となりましたが、ここはとても大切な場面だろうと思います。
 ポイントはいくつもありますが、まず、最後の「わたし」の感想に注目してください。
 弟が作ったホットケーキの匂いについて、「弟がどこか遠くに行ってしまったとしても、ずっと覚えておきたいと思う匂いだった」と語っています。
 「弟がどこか遠くに行ってしまう」とは、「弟の死」を暗示する言い方です。
 弟のホットケーキがいかにおいしかったとはいえ、弟の苦しみを理解しているはずの姉が覚えておくべきは「ホットケーキの匂い」ではなく、「弟自身の振る舞いや気持ち」ではないでしょうか。
 もし本当に弟が死んだら、「わたし」は真っ先にホットケーキの匂いを思い出すのでしょうか。

 決定的なのは、やはり二十三歳の誕生日の件です。
 弟にプールでもう一度だけ泳ぐよう求めた時、彼の左腕が抜け落ちます。
 その時、「わたし」はその左腕を「拾い上げて胸に抱き寄せ、頰ずりし、温めてやりたかった。自分にできるのはただそれだけだと思った」と言います。
 しかし、どうでしょう、「わたし」が「胸に抱き寄せ、頰ずりし、温めて」やるべきは、弟を苦しめた左腕ではなく、弟自身であったのではないでしょうか。
 もちろん、もう二十三歳と二十一歳になった姉と弟です。
 実際に抱き寄せたりしなくても、せめて「弟に身を寄せ、彼の心を温めてやりたい」というべきではなかったでしょうか。
 私は、姉の「わたし」が弟の左腕を拾い上げようとしてできなかったのは、姉がやはり弟のことを本当には理解していなかったし、助けようともしなかったからだと考えています。
 「母」という桎梏や「先が見えないまま頑張らねばならない」という不安から解放された弟の左腕は、そのことを理解しない「わたし」のところに近寄るはずがありません。
 「もう少しで届きそう」と思っていたのは、「わたし」の思い込みでした。
 小さい頃、「わたし」は二歳年下の弟を、「年上だと感じることが多くなった」といいます。
 「わたし」はその理由を次のように語ります。
 弟は「小学校の高学年からぐんぐん記録を伸ばし、大会へ出場するために、わたしなど行ったこともない遠い町へ出掛けるようになった。地元の新聞に写真が載ったり、他のスイミングスクールからコーチがスカウトにやって来たりもした。こうした状況が彼を年齢よりも大人に見せていた」からです。
 何のことはない、弟が活躍し、有名になったからそう感じただけです。
 彼の内面に大人を感じたわけではないのです。
 いや、これよりももっと大切なことに「わたし」は全く気付いていません。

(3) 弟が守ろうとしたもの
 崩壊しそうな家が辛うじて崩壊しなかったのはなぜでしょう。
 それは弟の存在があったからです。
 小説の中でも、そのことが明確に語られます。
 母が弟を抱き締め、父が酒臭いげっぷをしたことが描写されたそのすぐ後です。
 ――少なくとも弟のおかげで、あの時代、わたしたち家族はどうにか絆を保っていた。弟の背泳ぎ、それがすべての源であり、唯一の救いだった。――
 しかしながら、それはただ弟が存在しただけで保たれた絆なのでしょうか。
 ただ弟が泳ぐだけで得られた救いだったのでしょうか。
 誰も、何も努力しなくても、自然に発生した絆であり、救いであったのでしょうか。
 私はそうではないと思います。
 実は、その陰に弟の努力や配慮があったのではないかと私は思うのです。
 その努力は水泳に対する努力だけではありません。
 家族を結び付けようという努力です。
 自覚してそうしていたのではなく、本能的な振舞だったかもしれませんが、弟は必死になって家族の絆を守ろうとしていたのではないでしょうか。
 弟が背泳ぎに熱中したのも、家族の絆がそこにしかないと内心感じていたからではないかと私は思うのです。

 この解釈は、水泳以外、いつも部屋の隅にいた弟にできるはずがないことだと思われるでしょうから、にわかには信じがたい解釈かもしれません。
 しかし、証拠があります。
 それはプールです。
 弟が泳がなくなっても、自宅のプールは綺麗であり続けました。
 しかし、プールの管理は大変です。
 誰が水を入れ替え、誰が掃除をしたのでしょう。
 鬱になった母がしたとは思えません。
 お手伝いさんは結婚して、家を出ていきました。
 アル中の父がするはずがありません。
 語り手の「わたし」は、プールの水が抜かれなかったことを意外なことのように書いていますから、「わたし」がしたわけではないでしょう。
 プールの管理会社がしたのでしょうか。
 でも、それならなぜ最終的にはプールの水が抜かれてしまったのでしょうか。
 とすれば、弟しかいないではありませんか。
 泳がなくなってからも、弟がプールの水を管理し、右腕だけでプールの掃除をしていたのです。
 弟の左腕が挙がったままになった時、母は占いの世界にのめり込み、父は底無しのアルコールの世界へ沈んで行きました。
 その頃のプールの様子です。
 ――それでもプールの水だけは抜かれなかった。入る人などいないのに、プールの水はいつもあふれるほどに満ちていた。それが涸れてしまう時、わたしたちは最後の救いを失うことになるとみんな知っていた。――
 みんな知っていながら、何もしなかったのです、弟以外は。
 弟だけがプールを守り、家族を守ろうとしました。
 その気持ちは姉との対話の中にも表れています。
 弟は姉に尋ねます、「変に思う?」と。
 弟は自分の左腕が挙がったままになったことを気にし続けていたのです。
 彼が意志してそうしたのではないことがこの言葉からもわかります。
 続けて弟は、「みんなを、がっかりさせてしまった」と言います。
 誰一人弟のことなど本気で考えていなかったのに、弟だけはみんなの気持ちを慮っています。
 みんなを失望させたくない、最後の救いを失いたくないと思うなら、何をすればいいのでしょう。
 それはプールの水をいつも美しく満たしておくことです。
 その水は、弟の入院とともに涸れてしまいました。

(4) 弟にとっての姉
 弟はほんとうに優しい子でした。
 優しさは必ずしも善ではありません。
 しかし、三つの時から水泳しか与えられず、部屋の隅にしか居場所のなかった弟を責めることはやめましょう。
 彼は母の自己愛の犠牲になっても、母を拒否しない優しさを持っていました。
 家にプールができた時、弟が母の言い付けどおり真冬以外は毎日そこに入ったのは、自分がそうしなければ家族が崩壊することを恐れたからでしょう。
 自分に全く愛情を示さない父に対しても、彼は優しくしました。
 水泳も高校も辞めた時、彼は父の骨董品整理の手伝いをしたが、いくら片手でも、大事な品を落としたり傷つけたりすることはありませんでした。
 弟がいかに気を使いながら父の仕事の手伝いをしていたかがわかります。
 弟は姉の「わたし」に対しても優しくしました。
 本当の家族愛が感じられるとしたら、弟には姉しかいなかったのでしょう。
 少なくとも姉は、本人の前では彼の理解者です。
 弟は姉のことが、心から好きだったのでしょう。
 彼が物知りであったのは、その話をすれば姉が感心してくれるからです。
 弟がジュニアの世界選手権に出場するためアメリカに発つ予定になっていた時、彼は姉の「わたし」にブラームスの交響曲第1番のレコードをリクエストします。
 「わたし」は弟にそれをプレゼントしつつも、旅立ちの曲としては不似合いだと思いました。
 ブラームスが交響曲第1番を作曲した時、彼は恩師シューマンの妻クララと恋愛関係にあり、以前彼女の誕生日を祝う手紙を送った中に書き留めた旋律が第四楽章に登場するそうです。
 ただ、クララはこの曲に対してあまりいい印象を持たなかったようです。
 弟と「わたし」の関係は、ブラームスとクララの関係とパラレルです。

 さて、弟の思いに対して、「わたし」はちゃんと応えていたでしょうか。
弟が泳げなくなって「みんなを、がっかりさせてしまった」とまるで自責するかのようなことを言った時、姉は次のように弟を慰めました。
 ――自分のしたいとおりにすればいいのよ。これまでさんざんストップウォッチに追い立てられてきたんだから、あとはのんびりやればいいの。――
 弟を思いやっているようでありながら、実は何も問題を解決するアドバイスにはなっていません。
 三つの時から背泳ぎしか知らずに生きてきた弟から背泳ぎを取ったら、何が残るでしょうか。
 「自分のしたいとおりにする」といっても、何をすればいいのでしょうか。
 弟には背泳ぎ以外、したいことなどないのかもしれません。
 「のんびりやればいい」と言われても、することもなくのんびりし続けるのは苦痛です。
 この時、弟の表情は「微笑んだようでもあったし、哀しそうに目を伏せたようにも見えた」そうですが、当然でしょう。
 慰めてもらえたことは嬉しかったでしょうが、結局は何の解決にもなっていません。
 この時、「わたし」は弟の〝住みか〟に「頭だけ突っ込み、顔を近づけ合って話をし」ています。
 「わたし」は、弟のことを頭では理解していますが、心では分かっていません。
 弟にいい顔はしてみせますが、弟のために身体を使って何かをすることはありません。
 そんな「わたし」を象徴するような姿勢です。

 「わたし」が二十三歳になった時、弟にもう一度だけプールで泳ぐことを求めました。
 「わたし」は、「左腕がどうあろうが、わたしはただ弟の背泳ぎが見たいだけだった。それ以上の願いは何もなかった」と言います。
 しかし、心配になって「無理しなくていいのよ。ただ浮かんでるだけでいいの」と声を掛けます。
 悪質ではありませんが、嘘です。
 優しい言葉に聞こえますが、本音ではありません。
 弟は背を向けたまま「うん」と答えますが、弟は姉の気持ちが分かっていたのでしょう。
 姉は優しいようでいて、結局いつも何ら実質的に弟を助けてくれることはありません。
 事実、家族の絆を保つために、姉が主体的に何かをしたことは何もありません。
 姉とは異なり、弟はほんとうに優しいから、嫌なことは何も言わず、姉の求めに応じて泳いでみせました。
 弟の左腕が抜け落ちた時、「わたし」がどんなに身体を伸ばしても左腕に届かなかった所以です。

 さて、今回はここまでです。
 次回(最終回)は、「処刑場」へ向かう姉、及び「病院」に生きる弟、を中心にお話しいたします。


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