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再読『バックストローク』(小川洋子)① ――弟は十五歳の誕生日に自死した――

〈目次〉
1 はじめに
2 弟の死は自死である
3 姉はなぜ弟に冷淡であったのか
4 なお残るもどかしさ
5 弟の15歳の誕生日に何があったか

1 はじめに
 小川洋子さんの小説『バックストローク』について、以前3つの考察を発表しました。
 そこでは多くの謎を解明し得たような口ぶりで『バックストローク』について論じました。
 しかし、実を言うと、どうしてもまだ腑に落ちない部分が残っていて、それが私の心の中にずっと蟠っていました。
 今回はその「謎解き」に挑戦します。

2 弟の死は自死である
 前作で私は、弟はすでに亡くなっていると主張しました。〈注➀〉
 しかも、彼は自ら命を絶ったようです。
 根拠は以下のとおりです。
①弟の言葉、「もし今度死んだら、…骨にして、お姉ちゃんのお腹に入れておいてよ」
 前世を語るという話の性質もありますが、弟は妙に自分の死にこだわっています。
②姉の言葉、「弟は自分が…、これからどこへ行くか、ちゃんと知っていた」
 ここで姉は、弟の死(今度死んだら姉のお腹に入りたい)を「弟自身の意志」であるかのような言い方をしています。
③弟の左腕が挙がってからの場面、「(弟は)もっと隅へ、もっと隅へと引きこもるようになった」
 弟は以前に増して精神的に追いつめられていることがわかります。
④弟が水泳をやめてからの記述、「お手伝いさんは結婚し、家を出て行った。お別れの時、差し上げられたままの弟の手を撫で、涙を流した」
 この時、弟は自分の唯一の理解者を失っています。
⑤弟が姉の前で背泳ぎする姿を披露する場面、「身体は予想していたほど衰えていなかった。胸板は厚かったし、腹筋も引き締まっていた。選手だった頃とほとんど変わっていなかった」
 弟は左腕を除いて身体に問題はなく、健康であるようです。
 弟の死は病死ではないことが推測できます。
⑥強制収容所で廃墟となったプールを見た場面、「突然わたしは気分が悪くなった。動悸がして血の気が引き、その場に蹲った」
 この時、姉は弟の気持ちや弟の死の背景に初めて思い至ったのでしょう。
 弟が自然死したのなら、姉がこれだけの衝撃を感じることはあり得ません。
⑦ラストシーンの姉の言葉、「いいえ、いいのよ。どうもありがとう。処刑場へ行きましょう」
 姉は、間接的に弟を死に追いやった自分に対して強い責任を感じていることがわかります。
 以上から、弟は自死したと推定することができます。
 しかし、自死する人の多くは、その前兆が表れるものです。
 仲のよい兄弟であったはずなのに、姉は弟の自死の前兆に気づかなかったのでしょうか。
 それとも、弟は自死するそぶりや表情を全く見せなかったのでしょうか。

〈注①〉作品の中では何度も「死」、または「死」を暗示するものが描写されています。

3 姉はなぜ弟に冷淡であったのか
 姉の弟に対する態度には不可解な点があります。
 姉は弟の気持ちを理解しなかっただけではありません。
 弟に対する振舞にも奇妙に屈折したものが感じられます。
 例えば、夕食を知らせるために弟の頭をポンポンとたたくところ。
 また、弟が前世を語る場面で、コウモリが弟の身体を食いちぎるシーンにわくわくするところ。
 姉には弟を侮るような気持ちがあったのでは、と疑われます。
 大人になってから姉と弟が語り合う場面があります。
 その時、二人はホットケーキとココアを持ち込んで話をしていますが、そのホットケーキはなんと弟が焼いたものなのです。
 なぜ姉は弟のためにホットケーキを焼いてやらなかったのでしょう。
 弟が右腕だけで苦労してホットケーキを焼くのを、姉はただ眺めていたのでしょうか。
 そうだとしたら、ちょっと冷淡だと言えませんか。

 姉と弟の年齢差は2歳です。
 弟が生まれました時、母の関心の大半は弟に向けられたことでしょう。
 2歳の姉には、まだ母の愛を独占したいという願望があったはずです。
 幼い兄や姉は、生まれたばかりの弟や妹に嫉妬するといいます。
 この弟は3歳から毎日スイミングスクールに通い、その生活は15歳まで続きました。
 この間、母の愛のほとんどは弟に向けられていたことでしょう。
 小説中に明確には語られませんが、姉は母の愛に飢えていたのではないでしょうか。
 そしてそれは、母の愛を独占する弟に対する嫉妬や憎悪として、姉の心の底に沈殿していた可能性があります。
 姉はもちろん父からも愛されなかったことでしょう。
 姉の弟に対する心情が奇妙に屈折していたとしても不思議ではありません。
 その気持ちが表れたと思われる記述があります。
 それは、小説の冒頭にある「わたしは泳ぐのが嫌いだった」という記述です。
 ここで姉はなぜ「水泳が嫌いだ」と明言したか。
 水泳は弟が心血を注いだ競技です。
 自分が泳げなくても、姉は水泳に親しみや好感を抱いていてもいいはずです。
 身内に中学新記録を出すほどの選手がいたなら、普通はそのことを誇らしく感じ、その競技に対しても強い愛着を感じるものではないしょうか。
 「泳ぐのが苦手だった」と言うならともかく、わざわざ「嫌いだ」というところに、姉の心の奥底に秘められていた水泳に対する憎悪が表れています。
 つまり、「弟の水泳があったから、わたしは母に大事にされなかった」という嫉妬心です。
 こう考えれば、母に軽視された姉が母に「溺愛」される弟に冷淡であった心情も理解できます。
 姉は自己防衛のために、弟を本心では受け入れていなかった、ということです。
 ひょっとしたら、姉は「弟の苦しみ」という慰めを必要としていたのかもしれません。
 だから、弟が前世の話をした時、姉はわくわくしたのです。
 ただ、この姉の弟に対する冷たい仕打ちは母に原因があり、弟のせいではありません。
 ここにこの姉・弟の悲劇があります。
 弟に自死の前兆があったとしても、姉が気づくことはなかったでしょう。
 あるいは、姉は見て見ぬふりをしていたのかもしれません。
 大人になって、姉はようやく自分の心の狭さや冷たさに気づいたようです。
 でも、もう弟はいません。
 姉は取り返しのつかない過ちを犯してしまったことになります。

4 なお残るもどかしさ
 以上の読解を得て、私は『バックストローク』についておおかた理解し得たような気になっていました。
 しかし、どうも心の隅にひっかかるところが残っていたのです。
 それは「ホットケーキ」の場面です。
 二十二歳になった姉の「わたし」が弟の〝住みか〟に招待されます。
 弟が焼いたホットケーキを食べながら、二人は会話します。
 ――彼はホットケーキを一切れ食べた。甘い匂いがあたりに漂った。
「おいしいわ。ありがとう」
フォークをくわえたまま、弟は恥ずかしそうにうなずいた。 ――
 この「おいしいわ。ありがとう」は姉の言葉です。
 しかし、前文とのつながりを考えた時、唐突な感じを受けませんか?
 姉もホットケーキを食べたはずです。
 普通なら、「わたしはホットケーキを一切れ食べた。…『おいしいわ。ありがとう』…」という脈絡で描くでしょう。
 原文の場合、姉はあたかもホットケーキの甘い匂いを嗅いで、「おいしいわ」と言ったかのようです。
 ……ホットケーキを食べずに「おいしいわ」と言うことはないだろう。
 ここだけ作者は書き損なったか?
 いや、それはあり得ない。〈注②〉
 では姉は、この時ほんとうに弟のホットケーキを食べずに「おいしいわ」と言ったのか?
 いやいや、そうだとしたら直後に弟が恥ずかしそうにうなずくはずがない。
 この場面に続く「これからもずっと長く、弟がどこか遠くに行ってしまったとしても、ずっと覚えておきたいと思う匂いだった」という描写も奇妙だ。
 もし姉が弟のホットケーキを食べたのなら、「ずっと覚えておきたいと思う」のは「匂い」ではなく、「味わい」だというのが普通だろう。
 ひょっとして、作者はこのシーンで、姉が実はホットケーキを食べていなかったことを暗示したのではないか?
 としたら、その意味は?……
 こんな「小さなこと」が、喉元に剃り残した一本の髭のように私の気になり続けていました。

 さて、もったいぶらずに、先に答えをお話ししましょう。
 姉は弟の焼いたホットケーキを食べたのか、食べなかったのか。
 私の答えは、「食べなかった」です。
 姉は弟のホットケーキを食べていないのに、「おいしいわ」と言ったのです。
 理由は、弟はこの時すでに亡くなっていたから。
 この世にいない弟に、ホットケーキが焼けるはずがありません。
 ……荒唐無稽な解釈だと思われたかもしれませんが、順にご説明いたします。
 弟の十五歳の誕生日あたりから、もう一度読み直してみましょう。

〈注②〉ユーチューブ動画「芥川賞受賞は子育ての真っただ中… 作家小川洋子さんが「どんなに忙しくても守ったこと」【岡山】 (23/08/11 18:00)」の中で、小川さんは「これまでの作家人生、貫いてきたことはありますか」という質問に答え、「貫いてきたことは、一字一句疎かにしないことですね。一字一句にも心を込める。一字として何気なく書くことはない」とおっしゃっています。

5 弟の15歳の誕生日に何があったか
 前作で私は、弟は姉に自分の背泳ぎする姿を披露してから幾ばくもなく亡くなったと推測しました。
 でも、どうやら私は間違っていたようです。
 弟は十五歳の誕生日に自死した、こう読み解くべきです。
 あの日、何が起こったでしょうか。
 ――なぜかいろいろな物が壊れた一日だった。
 まず電話が壊れ、受話器を上げても何の音もしなくなった。
 次がテレビで、突然電源が切れたきり、どこのスイッチを押しても引っ張っても二度とつかなくなった。 ――
 受話器から音が消え、テレビも突然つかなくなったとは、要するに電話やテレビが「死んだ」ということです。
 ――お手伝いさんが鍋に一杯作ったクリームシチューをガスレンジから下ろそうとした時、把手が二つともバキッと折れた。
 錆びた鉄粉が白いシチューの上に降り注いだ。 ――
 クリームシチューは「生」を、錆びた鉄粉は「死」を象徴しているのでしょう。
 弟はお手伝いさんの差し出す「救い」からも遮られたかのようです。

 その翌日、弟は左腕を挙げたきりの姿で現れました。
 しかし、こんな事態が現実に起こるはずがありません。
 母は弟の腕をつかみ、下へ降ろそうとしますが、左腕はぴくりとも動きません。
 母がどんなに力任せに引っ張っても、弟は平気で一滴もこぼさず紅茶をすすっています。
 これもあり得ないことです。
 大人に力任せに引っ張られながら、紅茶を一滴もこぼさずに、平気で飲める人がいるでしょうか?
 プロレスラーや力士であったなら可能かもしれませんが。
 つまり、姿を見せた弟は幻影だということです。
 おそらく弟は、十五歳の誕生日に自死を選んだのでしょう。〈注③〉
 その日、いろいろな物が壊れたのも、弟の自死の暗示です。
 弟が亡霊になって現れた、などと言うつもりはありません。
 弟の死を姉は受け入れられなかったのでしょう。
 その衝撃が弟の幻影を姉の心に生み出しているのです。

 確かに、弟は十五歳の誕生日以降も「生きて」登場しているかのように見えます。
 医師の診察も受けているし、入院もしている。
 お風呂にも入っているし、本を読んだり、服を着替えたりもしている。
 父の仕事の手伝いもしているし、姉の前で背泳ぎする姿も見せている。
 姉は弟の腕に触れて、冷たいとさえ感じている。
 でも、全部姉が感じた幻覚です。

 しかし、少々長くなりました。
 その「証明」は次の考察でお話ししましょう。

〈注③〉弟は事故死した可能性もあります。その場合、弟は十五歳の誕生日にプールで泳いでいて死んでしまったのでしょう。心臓麻痺なのか、筋肉の痙攣によるものなのか、その原因はわかりませんが、弟は溺死したと思われます。左腕を伸ばした姿勢で死んでいたのではないでしょうか。……これは私の妄想です。
 妄想をもう一つ語らせてもらいます。弟が自死したとして、それも自宅のプールにおいてかもしれません。弟の住みかは「隅」でなければプールしかないからです。ただ、弟はおそらく自分の在り方や未来に絶望したから自死したのであり、自宅のプールで自死したからといって、母などへの抗議の気持ちがあったわけではないでしょう。

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