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謎解き『舞姫』➀(森鷗外)――豊太郎はエリスとその子を捨てていない――

〈目次〉
1 はじめに
2 豊太郎はエリスとその子を捨てていない
3 『舞姫』に対する疑問
 (1) 豊太郎はなぜ手記を書き残したのか
 (2) 手記はなぜセイゴンで書かれたのか
 (3) なぜわずかな手切れ金だけでエリスの母は納得したのか
 (4) 「一抹の雲」の意味するものは何か
4 疑問に対する解答
 (1) 豊太郎が手記を書き残した理由
 (2) 手記がセイゴンで書かれた意味
 (3) エリスの母が豊太郎をおとなしく日本に帰国させた理由
 (4) 「一抹の雲」の意味
5 豊太郎が真意を語らなかった理由
6 舞姫論争における鷗外の忍月批判
7 豊太郎は断じて「クズ」ではない
8 「まことの我」に目覚めた豊太郎
9 終わりに
《補説》相沢謙吉という男

1 はじめに
 森鷗外の『舞姫』は明治23年に発表された短編小説で、完成された近代小説としては日本で最初の作品だとされています。
 この作品もまた高校の現代文の定番教材で、雅文体という、現代では全く見かけない文体と格闘しながら読んだ記憶のある方もおられるのではないでしょうか。
 主人公は太田豊太郎。
 幼い頃から「神童」と呼ばれ、学業成績は常にトップ、ある省に入った後、欧州留学を命ぜられたという俊才です。
 ところが、この豊太郎の評判がすこぶる悪いようです。
 ネットで「舞姫」を検索してみると、次のような題のサイトがヒットします。

☆豊太郎のクズっぷりがすごすぎる!?
☆立身出世の為、愛しい人を捨てた話 森鴎外『舞姫』
☆サイテーな主人公は森鴎外!? 背景を知らなければ感じ取れない「舞姫」の魅力!
☆100年以上もの間「クズ男」と非難され続けた『舞姫』の豊太郎を擁護する

 最後の方は豊太郎を擁護されていますが、ともかく、“クズ”とか“最低”とかいう言葉が氾濫しています。〈注①〉
 ある高校の先生が、『教科書御用達小説の主人公はクズやヘタレばかり』という本の中で、「待ってました!〈これぞ、クズ中のクズ〉と世間から絶大な不人気を誇る太田豊太郎の物語、『舞姫』の登場です」と紹介されています。
 この先生は、国語の小説に出てくる主人公はクズやヘタレばかりだと考えておられるようです。
 ちょっと興奮気味に話しておられますが、高校生に人間の醜さやふがいなさを話して聞かせるのがそんなに楽しいのでしょうか。
 そんな話を若者に聞かせるぐらいなら、英雄や偉人の話を読ませた方がまだましというものです。
 しかし、太田豊太郎はそんなにクズな男でしょうか。
 今回はこの問題について考察します。

〈注①〉管見の限りで言えば、唯一、onoken.nobellesさんがnoteにおいて「森鴎外『舞姫』の考察: 主人公 太田豊太郎はエリスを捨てたのではない」という記事をあげておられました。敬意を表したいと思います。

2 豊太郎はエリスとその子を捨てていない
 いきなり結論から入ります。
 太田豊太郎はエリスを捨てていません。
 彼は自分が日本に帰国した後、エリスとその子を日本に呼び寄せようとしていました。
 これは間違いのないことだと私は確信しています。

 まず指摘しておきたいことは、豊太郎がエリスを捨てたというのは「ゆるぎない事実」ではない、ということです。
 『舞姫』本文中のどこにも、豊太郎がエリスを捨てたという確実な証拠はありません。
 ただ、豊太郎は相沢に「エリスを捨てる」と約束し、天方伯の帰国の誘いにも「承知しました」と答えた、豊太郎はエリスを捨てることを条件に帰国が許され、そして実際に帰国の船の中にいてこの手記を書いている、だから当然「豊太郎はエリスを捨てたに決まっている」と判断されているだけです。
 しかし、豊太郎自身「最終的にエリスを捨てると決意した」とは一言も言っていませんし、作品中にも「豊太郎はエリスを捨てた」と書かれていません。
 また、豊太郎が帰国後にエリスを日本に呼び寄せたとして、それを否定する確たる根拠も『舞姫』の中にはありません。
 後に鷗外は石橋忍月と「舞姫論争」を行いますが、彼はその中で「豊太郎はエリスを捨てた」とは述べていません。〈注②〉
 残念なことに巷間では多くの方が、豊太郎がエリスを捨てたのは自明のことだとし、そんな豊太郎はクズな男だ、と評価されていますが、その前提は案外脆弱なものなのです。

 実は、私も以前は太田豊太郎のことを苦々しく思っていました。
 「クズ男だ」などとは思いませんでしたが、「エリスを狂わせ、少ない金で話をつけ、エリスとその子をドイツに捨てた嫌な男だ」とは思っていました。
 その認識がなぜ変わったのかと言うと、森川友義さんの考察に触発され、『舞姫』を読み直したからです。
 先に挙げた〈100年以上もの間「クズ男」と非難され続けた『舞姫』の豊太郎を擁護する〉がその考察です。(noteに発表されたご論考です。)
 森川さんの主張を一言でまとめると、「費用対効果を考えた場合、金銭的な解決をして、子供はエリスとその母に任せ、豊太郎は帰国したほうがいい」ということです。
 費用対効果というと、何か打算的な感じがして印象が良くないかもしれませんが、現実的な判断として金銭的な解決をして帰国したほうが双方幸せになるだろうというご意見です。
 なるほど、言われてみればその通りです。
 豊太郎がエリスへの愛を選択しても、彼らの一家がヨーロッパの貧民窟で野垂れ死にするような最後しか見えてきません。
 森川さんの考察に触発されて『舞姫』を読み直した時、そこに全く違う人物像や結末が見えてきました。
 さて、私はなぜ先に述べたような確信を持つに至ったのか、そのことについてお話します。

 次回は、作品『舞姫』の疑問点から始めます。

〈注②〉1890年、石橋忍月は「気取半之丞」の筆名で「舞姫」という論考を発表し、主人公の豊太郎が意志薄弱であることなどを批判しました。これに対して鷗外が相沢謙吉の名で応戦したのが「舞姫論争」です。その「舞姫論争」の中でも、鷗外は「豊太郎はエリスを捨てた」と言っていません。忍月は「……太田の行為――即ちエリスを棄てゝ帰東するの一事は……」と書いているように、「太田はエリスを捨てた」とはっきり述べています。鷗外は反論の中で「エリスを捨てた」という語を2回使っていますが、一つは忍月の言葉の引用、もう一つは仮定の話として述べており、いずれにおいても「豊太郎がエリスを捨てた」と認めているわけではありません。鷗外自身は、「処女を敬する心と、不治の精神病に係りし女を其母に委托し、存活の資を残して去る心とは、何故に両立すべからざるか」と述べていますが、ここでは「去る」という語を使っています。また、「此意を推すときは、太田が処女を敬せし心と、其帰東の心とは、其両立すべきこと疑ふべからず」とも述べていますが、ここでも「帰東」という語を用いています。

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