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【メタ思考】

6.8にケモノガタリカフェ勉強会がありました。


そこでは哲学をテーマカードに沿って

皆さんでお話をするのですが


参加者の方に不登校の子供たちのフォローをお仕事にされている方が

参加しておられました。


その方が

「普通なかなか話せないことでもゲーム感覚でなら話せる」

とおっしゃっていました。


まさにその通りで

ゲーム感覚で自分の中にある思いを言葉にする

または人の意見を聞くことで


客観的に自分がどういう価値観を持っている自分なのか

ということが認知できます


こういうのを心理学の世界で

「メタ思考」といいます。


私はこのメタ思考が

人生を自由に生きる

どんな人でも必須なスキルだと思っています。


それがゆえにこのケモノガタリ哲学カフェを始めた動機でもあります。


カフェ会の最後に

本日のまとめとして

仏教の言葉解説をするのですが

今回は「メタ思考」を仏教でいうとどういうことなのかというお話をしました。



【メタ思考】=【諦観(ていかん)】



仏教に「諦観」という言葉があります。

「あきらかにみる」ということです。


今起こっている現象を、ごまかさずに、あきらかにみるということです。

それがたとえ、感情的にはとても受け入れられないことであっても、

なのですね。


あらゆる結果に対して、その原因と環境要因とを、ごまかさずに見る。

これを「諦観」といいます。


この「あきらかにみる」という言葉から、
「あきらめる」という言葉が出来たと言われます。


そうすると仏教は、

「あきらめる」ことを教えている教えということになります。


ただ、今、「あきらめる」というと、

「投げ出してしまう」とか

「忘れて考えないようにする」という意味合いがありますね。


「諦観」という「あきらかにみる」が、

言葉が変わっただけでなく、

意味までそんな風に変わってしまっています。


しかし本来、「諦観」「あきらかにみる」というのは、その反対です。


投げ出したり思考停止したりする、逆です。

あらゆる結果に対して、

その原因と環境要因とをごまかさずにみつめてゆくということです。


これは実は、言うほど簡単なことではないのですけどね。


こんなお話をカフェ会では今後もしていく予定です。

今後も楽しい出会いがあればうれしいと思います。



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