嘔吐恐怖症の話

お腹が痛くなったら下痢をする。
気持ちが悪くなったら嘔吐する。
別に普通な事だ。
だがよく考えて欲しい。
小便大便は毎日のようにすることだが、嘔吐なんて滅多にあることでは無い。
病気を患っていたり、様々な事情がある人は嘔吐が日常的に起こるのかもしれないが、普通はそうそう吐くことは無い。
これも、人によって違うと思うが、一般的には食事の時、何十分もかけてゆっくりご飯を食うはずだ。
それがだ。
嘔吐するとなったら数秒で全てが出るんだ。
分割的に出ることもある。
今目の前に大盛りのとんかつ定食があるとしよう。
そのまま飲み込むことはもちろんできない。
大盛りとんかつ定食をミキサーに入れてコップ2杯ほどの水と一緒に混ぜるとしよう。

ん?
想像しただけで気持ち悪くなってきたって?
まぁ我慢して読んで欲しい。
でも一旦、気持ち悪くなってきた人用に休憩でも入れよう。











そろそろ始めようか。

実際は相当な量だ。
それを5秒で飲み干せと言われたらキツくないか。
嘔吐はその逆になる訳だが、気持ち悪いという感覚が先に来てそこでまず苦しい。
その後ついにその時が来て、吐き気のピークと共に大量の内容物を嘔吐する。
その間数秒だろう。
よく考えたら相当苦しいことをしているんだ。
吐いたあとは楽になるかもしれないが、出来れば吐きたくない。
吐かないためにはまず根本的に気持ち悪くなってはいけない。
そう考えるようになったのは僕が嘔吐恐怖症という精神的な病を患ってしまったからだ。

嘔吐恐怖症になった原因について話そう。
僕が小学2年生だった頃、母親の友達の結婚式があった。
結婚式は初めての体験で楽しかった。
結婚式場には100人ほどの客が招かれていた。
恐らくここである病気を貰った。

結婚式が終わって、仲良い人同士で二次会が行われ僕も参加した。
二次会は座敷のある居酒屋。
20人が参加した。
料理は美味しかった。
1つ食べたことの無い料理があった。
湯葉だ。
醤油もかけず単体で食べると、ほのかに豆腐の味がするだけで当時の僕には激マズく感じた。
その時、何この食べ物、まずーいと言って吐き出した気がする。

二次会が終わって帰宅した。
子供だからか物凄く疲れた。
そのまま就寝した。

1日すぎて次の日の夜だ。


気がつくと薄暗い空間に居た。
ここはどこだ。
よく見ると飛行機の中だった。
夜の上空を飛行中のようだ。
ほかの乗客は就寝中で起きているのは僕だけだった。
ふと前を見るともう1人起きてる人がいた。
だがこの世の者ではなかった。
明らかにおかしい人がそこにいた。
黒い服装で黒いフードを被って、大きな斧を持っていたのだ。
死神だった。
なんでこんな所に死神が、、、ところでなぜ
僕は飛行機に、、、
その瞬間死神が僕の前まで歩いてきて目の前で立ち止まった。
死神は僕になにかする訳ではなくずっとそこにいるのだ。
するといきなり機体が揺れだし、機内に赤い非常灯がついたのだ。
警告音みたいなのも聞こえた。
ビー、ビー、ビー、ビー、ビー。
この飛行機は墜落しますとアナウンスが流れ、機体は真っ逆さまに墜落していったのだ。
ジェットコースターに乗って勢いよく落下している感じだった。
その時、機体は地面に激突して、だい、、ば、く、は、、、、おぇぇええええええええ

大量に吐いた。

悪夢を見ていた。
悪夢から目が冷めると同時に寝ゲロしたようだ。
ムカムカして気持ち悪い、そして嘔吐が通常の嘔吐までのルートだが。
悪夢からの嘔吐は初めてすぎてびっくりしたのだ。
夜中、母親に吐いたことを伝えた。
枕や布団、敷布団全て洗ってくれた。
子供の頃から普段一人で寝ていたが、その日は心配してくれて母親が横に寝てくれた。
だがその時は再び来た。
寝ていたらまた激しい吐き気に襲われた。
数秒後、大量に吐いた。
母親に背中をさすってもらったのは覚えてる。
翌日病院に行った。
診断の結果は、インフルエンザ。
恐らく結婚式でもらったのだろう。
だが僕は二次会の時に食べたあの不味い湯葉を食べたからこんな苦しい思いをしたんだと思って、それ以降湯葉が大嫌いになった。
ちなみに今では大好物の食べ物だ。
その後も家の廊下で大量嘔吐。
こたつで横になってセサミストリートの番組がやっていたから見ていたら、クッキーモンスターが急におぇええと声を出した。
おそらく番組内で吐くといった内容の放送をしていたのだろう。
僕はクッキーモンスターのおぇええと同時につられて大量嘔吐した。
それ以降クッキーモンスターのことが嫌いになった。
ちなみに今でもクッキーモンスターは嫌いだ。

そして1週間後、インフルエンザは完治した。

しかしあの時体験した大量嘔吐物語はもう2度と起きて欲しくない。
そう願いながら生活するようになった。

ある時気持ち悪くなった。
ムカムカする、気持ち悪い。
だがあの時と同じようにはなりたくない。
我慢して我慢して我慢した。
結果、吐かずに終わった。
ホッとしたがこれが嘔吐恐怖症の始まりである。

僕は現在30歳だが、小学2年生の時からまともに嘔吐したことは無い。
まともにってのは大量にゲボぉぉぉとすることを言う。
吐きそうになった時は何度もある、だがその都度耐えたのだ。
だが小学2年からこれまでの人生で2度だけおぇええはしたことがあるのだ。
おぇええと同時にゲボぉぉぉではない。
おぇええと同時にケポッって感じ。
それが2度だ。
ケポッとは、具体的に言うとコップ3分の1くらいかな。
100ccくらいの嘔吐はしたことがある。

1度目は中国に留学中の時だ。
中国の料理が美味しすぎて食べて食べて食べまくった。
次の日強烈な吐き気と強烈な胃痛に襲われた。
僕は動くことも出来ず救急搬送されることになった。
担架に乗せられ病室に着くまでの間3時間くらい待たされた。
この間なんも治療なしかよ。
どうすりゃいいんだ。
起き上がろうとすると吐きそうになる。
寝ていても吐きそうになる。
嘔吐恐怖症人生、もはやこれまでか。
諦めた。
悟った。
もういい。
吐こう。
僕は持っていたビニール袋を口に当てて体を起こした。
そうするとみるみる気持ち悪くなっていった。
くるぞ、くるぞ、ついに、くるぞ。

おぇええ、ケポッ。
少量だが出たのだ。
気持ちは悪い、胃も痛い。
だが嬉しさのあまりそんなことどうでもよかったのだ。
ついに、吐けた。
くだらないかもしれないが嘔吐恐怖症にとっては吐くことが恐怖。
それに打ち勝ち、吐けたことはかなりの成長なのだ。
確かにおぇええの最中は少し苦しいけど、なんとなく楽になった。
吐けた、吐けて良かった。


2度目は、しそ焼酎、鍛高譚の飲みすぎだった。
母親と宅飲みをしていた。
話が弾んで酒を沢山飲んだ。
鍛高譚は度数20度もあるが飲みやす過ぎるためぐびぐび飲めてしまうのだ。
僕は酔っ払ってそのまま寝た。
夜中、胃がムカムカして起きた。
水を大量に飲んで寝ればよかったのにそんなこと忘れて寝落ちしてしまったのだ。
やらかした。
気持ち悪い。
吐きそうだ。
でも前回中国で吐いてる。
あの教訓をいかしもう1度嘔吐チャレンジだ。
さぁ来い、嘔吐物め。
そう言いながら口にビニール袋を当てたままじっと待機した。
気持ち悪いのにまだ出ない。
なぜだ、早くしろ。
こっちは準備できてるんだ。
一向に出る気配がない。
痺れを切らし禁断の行動に出た。
右手の中指と薬指を口の中に突っ込んで舌を下へグッと押した。
吐きそうになった。

おぇええ、ケポッ。
またしてもケポッかよと思ったが。
ここまで出来たら上出来だろう。
僕は喜んだ。
嬉しさのあまりもう1回やってみよ、と思って、もう一度突っ込んだ。

おぇええ、ケポッ。
やっぱケポッかぁ。
まあいいや。
ここまで嘔吐に対して余裕が出来たら上出来だ。

これはあくまでも自分が吐くことに関しては進歩した。
だが他人が吐くところを見たり聞いたりすると動悸がする。
これから子供が大きくなって沢山の病気をもらってくるだろう。
その時、ノロウィルス、インフルエンザ、嘔吐が症状の病気は多い。
いずれその時が来るだろう。


その時に備えて頑張るんだ、自分。

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