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ファスト&スロー

完全に自分用備忘録の読書メモ。
生活する中で無数に行われる選択の数々、その意思決定はなにが根源となっているのか?自分の意思そのものか、はたまた無意識のうちに誘導されているのか…
人の「認知性錯覚」を説いた本。

こうした本を読んでいく内に、疑い深い心がどんどんと疑い深くなっていく。
でもそれはネガティブな意味合いだけでなくて、それは「認知性錯覚」を十分理解し、利用して人を欺こうとする邪悪から己と家族とを守る処世術となり、人の限界を知ることで、生きることを楽にする道しるべとなる。
「行動経済学」を学ぶ大きなキッカケとなる一冊。


・人はプライムと呼ばれる先行刺激を受けた時、無意識のうちに影響を受け、あたかも自分の意思で選択したかのように錯覚する時がある。死や恐怖を暗示する刺激を受けると権威に服従しがちになったり、はたまた笑顔を作ると本当に気分が良くなったり、と

・物事の認知が容易な時、人は機嫌がよく、認知が困難な場合には機嫌が悪くなる
これは逆向きにも働き、機嫌が良い時には物事の認知性が高くなり、悪い時には認知負担が増す。
また、物事の認知しやすさは幸福・安全に繋がる。認知容易性が高いものは安心感、つまりポジティブな感覚を生み出しやすい。
物事への反復的な接触は認知性を高めポジティブな効果を生む、広告の多くはこの作用を利用している

・人はある成功または失敗した事象に後知恵でストーリーを作り、因果関係を導くことが好きだ。しかしある事象に対して人の選択だけが結果をもたらすと思うのは過大評価であり、実際には多くの運が絡んでいる。
このことから、結論から求められる因果関係とは人が思うよりもはるかに希薄であり、認知性の錯覚と呼ばれる思い込みが大半を占めている

・自信とは感覚であり、自信があるのは、情報に整合性があり認知が容易であるからに過ぎず、「見たものがすべて」の通り、視野が狭ければ狭いほど自信過剰になるが、自信=情報の真実性とはなんの関連もない。どんな物事にも不確実性があり、未来は予測できないことを大前提に受け止めること、引いては傲慢な自信を疑うことが大事である。

・人は機会や利益の「獲得」よりも「損失」により重いリスクを感じている。損失を出している勘定に追加資金を投じてしまう決断を「サンクコストの錯誤」と呼ぶ。
人が何かを失った時、後悔しやすいのは避けがたい現実なのだから、賢く付き合っていく術を学ぶべきだ。予想できる最悪の出来事を考えたり、後悔そのものを重視しないなど

・人には「経験する自己」と「記憶する自己」が2つの自分があり、前者は瞬間瞬間に対する感情を、後者は過去を振り返った時の感情を表す。
人は後者の、特に最後の感情を強く印象に残しやすい。「終わりよければ全てよし」との諺もそれだ

・しかし、2つの自分の利害関係は常に対立しており、また、印象に残りにくいからといって「経験する自己」を疎かにするのも間違っている。一時一時に自分がどう思い、そしてどう思ったのかもまた大事にすべきだ。
例えば夫婦の結婚生活における幸福満足度は、例年下がってくる。また身体が半身不随になった人が1日をネガティブな感情で過ごす頻度は、健常者が思うほど多くない。
人は慣れて、忘れてしまう。幸せだったことも、不幸だったことも忘れ、今目の前に起こる現実だけを判断して、「自分は幸福かどうか?」を計測しがちだ。
だからふと立ち止まって、改めて思う。
もしも今の自分が生活が至らないと思うのなら、今の自分が「見たものがすべて」ではなく、過去の「経験する自己」が感じた思いがなんであったのかを判断して、何をもって幸福と呼ぶかということを。

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