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放送禁止歌

99年に森達也が制作したドキュメンタリー番組・放送禁止歌に纏わる制作秘話と、そこに繋がりが深い部落差別に関して綴ったルポタージュで構成されるノンフィクション。

結論から言うと、放送禁止歌と言う絶対的なマニュアルは昔から存在せず、
「この歌詞は差別的『らしい』」
「この表現はクレームがくる『だろう』」
「かつて解放同盟から激しい批判があった『らしい』」
というマスコミの中での推測・伝聞・都市伝説・最もらしいストーリーと、日本人特有の「事なかれ主義」と「暗黙の了解」とが絡み合い、更にはリスクの回避と確認する手間を惜しんだ結果、なんとなく「これは放送禁止歌っぽい」という風説だけが一人歩きしたそうだ。
リストもあるけれどそこに明確な判断根拠も制約もないという。

マスコミだけが杜撰なのだという話ではなくて、自分の頭で考えようとしない怠惰な姿勢が「放送禁止歌」という最もらしい幻想を生んだ事実が目を引く。
森達也がカメラを向ける先はオウムでも佐村河内であってもテーマはすべて等しく、目の前を現実を疑い、深く知ることで理解し、その上で自らがどう考え、判断を下すことが大事だということだ。

本書の後半のテーマである部落差別については、放送禁止歌とは違い確かな(そして愚かな)歴史に根付いてる問題であるため、解決への糸口には至らず、しかしこの差別問題を一人一人が知ることが未来への解決への第一歩だ、というところで話を結んでいる。

伝統やマニュアルを鵜呑みにした思考停止や骨髄反射は、ルーチンワークを短縮させるためには役立つが、愚かな選択を産み出す元にもなる。分かりやすい最もらしさは一歩引いて考えてみましょうね、といういつものお話。


・世界は善悪や正誤などの二元論で構成されていない。絶対的な正義や悪という観念に僕らは陥りがちだが、その混在が世界なのだ。差別という構造も同様に、「する側」と「される側」という単純な数式では割りきれない。きっと何かが余り何かが足りない。大事なことはそのすべてを見つめることだ。絶対に切り捨ててはならない。なぜならその曖昧さにこそ、人の優しさや世界の豊かさが息づいているのだから。

この、世のタブーに突っ込んだキレッキレなテーマを取り扱う人物が、こんなピュアピュアな文章を書くという矛盾がとてと好きなのです。

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