ニートの生活
個人的な内容について、思いのほか書いて来なかった。皆さん私のことは知りたくもないだろうが、ニートの生活を知っている訳でもあるまい。まあ、瑣末な事象ではあるが、気まぐれに読んでみてくれれば幸いだ。
朝!昼!晩!
と、見出しを打ってみたものの、ニートに時間感覚はない。なぜなら、早起きしようと、夜更かししようと、やることなど一つもないのだ。もちろん、仕事もない。ダラダラとした生活は響きとして、社会の理想となっているが、それは充実しすぎた勤務の束の間の休息を指す。それが、人生の全てを占めると話は変わる。良くも悪くも、人の生き方とは変わる。兎角、以下の私の生活の流れを見てもらおう。
最近は大体このスケジュールに落ち着いてきた。コメダ珈琲店に行くのは、無料のWi-Fiがあるからだ。ワンドリンク2時間制だが、空いていればそれ以上いさせてくれる時もある。所持金は多めに持っていくが、店長がいい人なのだろう。集中していて時間を忘れても、特段注意を受けることはなかった。そうは言っても、かなりの贅沢なので、財布、残りのテザリング通信量、その日の摂取カロリーなど、諸々と相談する。
そうそう、摂取カロリーというのは、単純に食事の量だ。食べるとすれば22時以降に作業をしながらの食事だ。基本的に一日一食、最長3日に一食だ。このスパンを超えて食事をすることは非常に困難だ。熾烈を極める。なぜなら、一度の食事は次の空腹を産む。空腹などは血糖値の上昇下降から生まれる錯覚に過ぎない。本当の空腹は立ちくらみと貧血だ。さらには日に3食などと、そんな余裕は私の家計にはない。オリラジのあっちゃんも、一日一食がいいってヤツれた顔で言ってた。私も一食あれば満足だとヤツれた顔で言おう。話が逸れたが、とにかくコメダ珈琲でコーヒーを食べた時のカロリーで、何日持つか計算するということだ。コメダはいいぞ〜、豆菓子がついてくる!(最近知ったのだが、午前中に行けばモーニングセットがついて来るのだとか、我を救済しているのか?店長ありがとう!)
結局、何をしているのか?
結局のところ私は、 PC作業がほとんどの時間を割いている。では、コメダ珈琲と自宅で何の PC作業をしているのか?主には、ブログとInstagram、YouTubeの投稿、ハンバーガー屋の準備、そしてその周辺知識を収集するということだ。あとは、作曲アプリをイジったり、生活に必要なこと、特にハロワ関係を調べたりだ。
数は多いかもしれないが、たったこれっぽっちの作業だ。投稿などボタンひとつ押せば終わる。しかし、それでは一日の多くの時間を費やしている話と辻褄が合わない。なぜか時間がかかる。というのも、勉強しながらということだ。私はこれまでの仕事でかなり俗世から離れていたので、インスタの投稿ひとつとっても、一大作業だ。どのような投稿が望まれてるか、タグとは何か?そういったことを調べていくと、時間が経つのはマッハだよ、マジで。
これまでの人生でやって来なかったことをやるのだ。時間がかかって当然だ。誰が教えてくれるでもない。信頼できるのはGoogle先生のみ。そう考えると、職場というのは大変世話を焼いてくれた場所だ。今でも素直に感謝できる。ちなみに、私が会社から嫌われることはあれど、私は会社を嫌ったことはない。
あとは、単純に休憩取り放題ってこと。5分ごとに10分の休憩を取ったって誰も文句は言わない。タバコを吸いながら作業をしようが、休憩しながらタバコを吸おうが、タバコの火を消して腰を据えてエロ動画を探そうが、誰も文句は言わない。かなりゆったりとした作業効率だろう。
人との交流
もしかするとお気づきかもしれないが、私のスケジュールは孤独だ。それも当然だ。皆が働いている時間は遊べず、仕事の合間だって立派な社会人であれば疲れていて至極真っ当。こっちが会いたい時間はその人の大切な何かなのだ。こちらに合わせてもらうことは、ほぼありえないだろう。しかしながら、前述の通り、時間の使い方は私の勝手気ままだ。つまり、相手に合わせる分には、いくらでも人と交流ができるということ。ここまで、読んでくれた方はこの理屈に辿り着いているだろう。
だが、実際に私は人とあまり喋らない。ここには根幹となる条件がある。そう、私は友人が少ない。個人的には気にしたことがないが、いざ生活を始めてみると、本当に人に会わない。仕事ってスゲー喋ってたんだなーと感慨に耽る。起きることといえば、ふとした時に声が出せるか疑問に思ったり、店員さんとのちょっとした会話に感動を覚えたりする。その程度だ。特に問題には感じていない。
ニート生活を振り返って
ニート生活に憧れていた訳ではない。それでも楽そうだなという気はしていた。実際、時間の融通が効くし、不自由からは解放された。お金がないことが、死活問題だが、あと3ヶ月は持つだろう。だらっとタバコを吸う瞬間は、いつであろうと最高だ!
しかし、良いことばかりではない。なぜなら、無職というのは社会的に終わってる。具体的には、無能と同義なのだ。畳屋なら”畳が作れる人”、寿司屋なら”魚が捌ける人”、会社の営業だって”営業トークのできる人”という風に見られる。それぞれのアイデンティティがある。この社会は大人たちの仕事で成り立っている。職務上のアイデンティティを失った大人は、何者でもないのだ。何者としても扱ってもらえない、この虚無感は辛いものがある。上記で、誰にも注意されないと書いたが、厳密には違う。正確な表現をすれば、誰も私の在り方を知らないのだ。道に落ちている雑草だって認識はされる。私は存在しないのも同じということだ。「自分は本当はこんなことができる」そう言ったって、「じゃあ、やれば?」と一蹴される。無職の自己アピールほど無意味なものはない。この空虚な感覚こそが、ニート生活の真骨頂だと私は思う。
これからニートになる人へ
退職を考えている方、学生だけど働きたくない方、人は様々な理由でリタイアしていく。それは逃げではない。重要な選択だ。それぞれの事情があるのだから最適な選択だったと信じたい。ただ、”無職”と呼ばれる状態が何を指すか?それは考えておいて欲しい。
もし仮に、『仕事やめたいけど、世間から冷ややかな目で見られるんじゃ・・・』そう思っている人がいるなら、早急に無職になった方がいい。辞める直前までは何か言われるかもしれないが、やめてしまえば、もう何も言われない。呆れられているとか、相手にされないとか、そういうことではない。誰もあなたのことを知らないのだ。見向きもされないどころか、視界に入ることさえない。無いものとされる意味を考えてみて欲しい。
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