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スロットとは人生を具現化したもの

スロットとは、人生そのものだ。
スロットが人生を教えてくれる。
私が初心を忘れたとき、傲慢になったとき、横柄になったとき、欲に溺れたとき、いつもスロットが道を正してくれた。

例えば、天井間際でバケを引いたとき、人生はそう甘くないことを実感させてくれる。
私の心を強くする。

投資が五万以上になり、もう諦めようとしたとき、急に奇跡的な流れを掴み、ギリギリ捲れることがある。
我慢して我慢して、諦めずに挑み続ければ、行いが実ることを教えてくれる。


中々、ART・ボナ・特化ゾーンが上手く絡まず、苛々してしまうことがある。
苛々すればするほどズブズブはまってしまい、もっと上手くいかなくなる。
人や物に当たることはいけない、全てのものに愛情を与えた方が良いということを教しえてくれる。

前もって日にちやホールや打つ台を決め、1ヶ月前から意気込んで行くと出ないのに、ちょっとした時間が空いたときなど、なんとなく暇だから打ちにいくと、めちゃくちゃ出るときがある。
肩に力が入りすぎると良くないことを教えてくれる。
適度にリラックスしている状態が良いのだ。

初当たりで2000枚ぐらい出て、今日はこれもう勝ち確やな、と思って打ち進めると一瞬で全部飲まれる。
どんな状況でも余裕を見せ、油断することは良くないことを教えてくれる。

出たり飲まれたり、一進一退の攻防を繰り返し、やっとプラス域まで持っていったとき、勝ち額自体は何百円とかなのに、とてつもない達成感で満ち溢れる。
何事も努力することが大事で、結果よりも経過なことを教えてくれる。

打ち初めてすぐに出て、そこで止めれば勝ちなのに、もっと勝ちたいしまだ時間もあるしで打ち進めると大負けして意気消沈する。
欲をかきすぎるのは良くないことを教えてくれる。

書き出すとキリないが、このようにスロットは人生そのものなのだ。
人生を具現化したもの、いや人生の権化と言うべきか。

あと、個人的にスロットには、様々なロマンが詰まりまくっており、それを追い求めるものだと思う。
深い話になるが、勝ち負けではないのだ。
今日、打つ台と向き合い、どれだけ自分がやれるかを挑戦する場なのだ。
そう、つまり筐体は自分を写し出した鏡、故に自分との戦いなのである。

たまにパチスロを金稼ぎだけの手段と捉え、ハイエナをしたり、イベ日だけ通ったり、ディスクアップだけ打ったりするアホ面の輩がいる。
そんなやつらは、日頃から物事をメリットデメリットで考え、損得勘定だけで生きているやつなので、信用しないことをお勧めする。

人生はそうじゃない。
人生は楽しむもの。
故に、パチスロも楽しむもの。

そんな私は、人生のトータルで言うと、新車のアルファードが買えるぐらい負けている。
しかもハイブリッドの方の、ハイブリッドの方のアルファードが買えるぐらい。

さて、明日は何を打とうか。

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