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脱サラ研修講師が語る 独立開業のリアル

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誰もが自由に起業できる今だからこそ伝えたい、独立・起業のリアル! 起業してからの厳しい個人としての生活の実態、厳しい資金繰り、クライアントとのトラブル、人間関係で救われた話など…
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#ビジネス

学生時代以来のアルバイト【19】脱サラ研修講師が語る 独立開業のリアル 綱を信じて、バンジージャンプ!

 学生時代以来のアルバイト(宅急便) 早朝の仕事  独立を果たした2001年も早や11月を迎えることになりました。  この時点での私は、どういうことになっていたかというと、レギュラーの仕事として、専門学校の行政書士試験講座の講師業が入りだしました。毎週日曜日。二コマで6,000円。4週あるから、月に24,000円。 行政書士会で知り合いになったベテランの大戸先生の息子さんが経営する会社の人事絡みの相談にも乗ることになりました。スポット契約ですが、数万円のコンサルフィーをもら

国家資格士業の厳しさ【18】脱サラ研修講師が語る 独立開業のリアル 綱を信じて、バンジージャンプ!

 国家資格士業の厳しさ 高額印紙代にびびる  独立してすぐに開設した行政書士事務所でしたが、行政書士会での出会いの中で、知り合いになったベテランの大戸先生のお手伝いはしているものの、行政書士業務の本丸である、許可申請の仕事には、今一つ踏み込めないでいました。手っ取り早く稼ぐなら、報酬もそこそこ取れるこの業務にいち早く習熟して、大戸先生だけでなく、他のベテランの先輩先生のお手伝いを広げていけばよいことは、ようやく自営業の脳みそになって来た私にもイメージはできていました。しかし

食えない自分が他人様を教える矛盾【17】脱サラ研修講師が語る 独立開業のリアル 綱を信じて、バンジージャンプ!

 全然食えていないのに他人様に教えている風景(なんという自己矛盾)  国家資格でもある行政書士試験は、一般教養科目と専門科目から構成されています。  国語、政治経済、時事問題、憲法、民法、基礎法学、行政法、諸法令~これらの科目の授業を私は資格専門学校で担当しました。私は1989年度(平成元年)の試験合格で、10年以上も経った2001年に教壇に立っています。大阪府行政書士会登録の正式の行政書士ではありますが、実務経験はゼロ。ゴルフで例えると、トーナメントに出場するトーナメント

講師は商品の嘘八百【16】脱サラ研修講師が語る 独立開業のリアル 綱を信じて、バンジージャンプ!

 講師といえども最初は備品扱いされ 「どこが講師は商品なんだ!?」  行政書士受験講座の講師となった私でしたが、登壇前には講師をするにあたっての研修がありました。細かい講義テクニックの話があるのかと思いきや、そこは思い切りの良過ぎる即戦力扱い。テクニックの伝授の話はありません。できるから採用したということでしょう。その時の弁士(講師)が「講師は当社の大切な商品です!」とやたら、声を張り上げていたことを今も覚えています。  使うテキスト、カリキュラム、登壇して講義をしていく

資格専門学校講師からのスタート 【15】脱サラ研修講師が語る 独立開業のリアル 綱を信じて、バンジージャンプ

 資格専門学校で講師業のスタート   行政書士は弁護士より垣根の低い「街の法律家」と言われ、法的な文書の作成、許認可の手続きなどの専門家です。私の場合は、自分自身が積極的にはならなかったということもありましたが、行政書士としての業務展開は芳しいものではありませんでした。かと言って、この資格がまったく無駄だったというわけではありません。とある資格専門学校で行政書士講座の講師募集があったのです。私はすぐに申し込みました。これが、奇跡的というか選考をパスしたのです。実務経験なし。

「先生」と呼ばれる無職の人【14】 脱サラ研修講師が語る 独立開業のリアル 綱を信じて、バンジージャンプ!

 行政書士のバッチを付けてみたとて 「先生」と呼ばれる無職の人  2001年に独立して、すぐに行政書士事務所を立ち上げた私でしたが、行政書士の実務経験はゼロでした。資格の取得はこれよりずっと前で、1989年度(平成元年)の試験合格です。今でもその当時のことはよく覚えています。勤務していた大阪のメーカーから神奈川の販売会社に出向になって、はじめての関東勤務。試験は神奈川大学白楽キャンパスで受けました。そんな大昔に通った試験でも、実務経験がなくても開業できるのが、この資格の良い

協働候補者消滅【13】脱サラ研修講師が語る 独立開業のリアル 綱を信じて、バンジージャンプ!

 頼りにしていたパートナーがフェードアウト  独立した当初の拠り所だった山元さんとは、共通の知人を通して知り合いました。 彼女は、一介の専業主婦から38歳で保険外交員としてキャリアをスタート。私が知己を得た2000年には、独立自営のファイナンシャルプランナー(FP)として、単なる保険やお金の話をするだけではない「ライフプランナー」として活躍している方でした。神戸に、自らが設立した協同組合の理事長でもありました。明るく、元気でパワフルな、関西弁でいうところの「やり手のおばちゃ