『WidowMaker』とは何か

このたびは、クイズ大会『WidowMaker 2023』に興味をお持ちいただきありがとうございます。大会長と問題制作を務めます、大阪大学クイズ研究会の高生と申します。以後お見知りおきを。


このnoteは、他のクイズ大会における「大会長挨拶」に相当するものです。しかしながら、本大会の目指すもの、重視する価値を改めて虚心坦懐に言葉に起こした結果、かなり鈍く重い文章が出来上がってしまいました。読んでも問題への適性が上がるわけではないし、読まなくても大会自体のエンターテインメント性に変わりはないので、お暇な方だけお目通しください。


さて、本大会のコンセプトは「悪意と原点」です。ギョッとするような言葉と、意図が理解しにくい言葉を安易にくっつけてしまった自覚はありますが、これまで自然と醸成されてきた自分の作問路線と、間違いなくその延長線上にある本大会の問題を形容するにはぴったりの言葉だと思っています。しかし、これまでの私を知らない方もいるでしょうから、このコンセプトの意図について改めて説明したいと思います。「悪意」という爆弾はいったん放置で、まずは「原点」から。


皆さん、クイズの原点とは何だと思いますか?これを読んでいるあなたにも、個人的なクイズの原体験はきっとあると思います。ただ今回は、「なぜ人類はクイズという営みを始めたか」という、幾分か壮大な疑問について考えたいと思います。いろいろ思案してきた結果、きっと昔の人が飲みの席か何かで、伝聞だか本だか体験だかで知った面白い話を、「〇〇って知ってる?」と話題の種にしたような何気ない営為がクイズの始まりだ…と、私は勝手に結論付けています。今後は、この勝手ながらも共感は得られそうな解釈を「原点」の正体だとして勝手に話を進めます。
ここで重要なのは、この根源的な営為が「面白さに基づく1つのコミュニケーションである」ということと、「“知ってる?”は本当に知っているかどうかを問うているものではない」ということです。面白い要素が見当たらない話をあえて場に出す理由は全くないですし、「知ってる?」という問いは「面白い何かを早く共有したい」という欲求に裏打ちされたもので、言葉通り知識の多寡を測る意図であることはほとんどないはずです。

しかし、クイズを1つの純粋な競技として捉え直すにあたり、この根源的な特性は2つとも大きく失われてしまったように思います。例として、私に最も身近な短文基本クイズを思い浮かべてみます。「読まれた部分からその先を予測する」という会話性に基づく思考回路こそありますが、「一般的な題材を妥当な切り口で問い、それに答える」営み1つ1つに原初のクイズのコミュニケーションを見出すことは難しいと思います。また、システムも含めた現代のクイズ文化が、個々人の知識の多寡を評価(あるいは断罪)するテスト的な側面をもっていることに異論を唱える人は少ないでしょう。コミュニケーションに裏打ちされた原初の特性を喪失したことと引き換えに、ドラマを生む圧倒的な競技性と、人生をかけて努力できる新たな価値、そして「問いに答えて肯定される」エクスタシーを手に入れたのが競技クイズだ…という私の解釈は、斜に構えているとは思いますが、そう間違っているとも思いません。(勘違いのないよう申し上げておくと、そんな競技クイズを私はわりと好きですし、「群」という観点で見たときに一種の強烈なコミュニケーションが生まれうることは理解しています。)

こういった特性をもつ競技クイズが、原点から逸脱した文化だと批判したいのではありません。むしろ私は競技をしっかり楽しんでいる側で、いつまでも連綿と受け継がれていってほしい文化だと思っています。しかしながら、もはやコミュニケーション性を感じられない「普通のことを妥当に説明する」問題に、ただ自分が既に持っていた知識をうまく出力して正解し、無味乾燥だとどこか感じてはいながらも抗えない強い喜びを感じてしまうたびに、本来“競技”クイズとはそういうものであっても何らおかしくないはずなのに、ふと「クイズって何だっけ…」と我に返ってしまうことも確かでした。


だから本大会では、徹底的に「原点」を大切にします。この大会では、それ自体が1つのコミュニケーションに昇華されうるような、何らかの“面白さ”をもつ問題しか出題されません。それは、知っていたはずのものの意外な一面を知る面白さかもしれないし、ゲラゲラ笑えるバカみたいな面白さかもしれないし、学問的価値が知識体系に沁み入ってくる面白さかもしれないし、明日窓から見える景色が少し色づくような面白さかもしれません。何にせよ、1問1問に、有機的な面白さがあることは保証します。

しかし、「原点」を意識したコンセプトの問題を、「競技」を前提とした読み上げクイズのフォーマットにパッケージングしたことで、いろいろなバグが生じてしまっていることも確かです。最大のバグ、というより非幸福は、「発見があって面白いこと」と「気持ちよく答えられること」が往々にして両立しがたい、ということです。もちろんわたしは、あなたに答えてほしいという思いを胸に問題作りに挑みますが、スタンダードな短文と比べてあなたの既に知っている情報が盛り込まれる確率は当然低くなるため、「答えられた」あなたへの無条件の肯定とそれに伴うエクスタシーはやや発生しにくくなります。この課題はわたしの企画の幸福度を考えるうえで常に悩みの種になってきましたが、最近は、もはやそうあるべきものとして受け入れるしかないと思いつつあります。というのも、わたしの作るクイズは、すべて形として「?」で終わりはしますが、真にあなたにその知識があるかをテストしているものではないからです。「わたしが問い、あなたが“答えられる”」という、あまりにも単純で強力で便利なフォーマットを利用する中で、わたしが何らかの面白さをあなたに伝え、それに対してあなたが何かしらの情動を抱く…というコミュニケーションが生まれてくれれば、本大会の目的はほとんど達成されています。もちろん、わたしと共鳴する何かが偶然あなたにあったなら、それが「答え」として発声されるという最高のハッピーエンドは実現可能です。しかしわたしは、あなたが1問1問それ自体の有機性に――「答えの発声」に拠らない価値体験に――楽しさを見出してくれることを強く期待しています。


最後に、もう誰もが忘れかけていたであろう「悪意」について。

私は人間の欲望とエラーが好きです。あの偉人が実はこんなヤバいことをしていた、誰もが知るアレの陰ではこんなに愚かなエピソードがあった、あの美談の裏では実はこんなに人間臭い目論見が渦巻いていた…こんな類の話がもう本当に好きです。もちろんすべての問題でこんな性格の悪い切り出し方をするわけではないですが、この「悪意」という名の1本の糸が、私の知的探求の根底にあり、私の問題を1問1問縫うように走っています。雑な縫い目が見える露骨な問題もあれば、糸が布地の裏に隠れて全く見えない問題もあります。しかし総じて、この露悪趣味一歩手前のアンテナと、それを常に意識した作為的な実装が、私の問題を私の問題たらしめているのはもはや疑う余地がありません。


以上の、「悪意」と「原点」という2つのキーワードを体現する大会が、来たる『WidowMaker 2023』です。
クイズを始めて9年目にして、初めて開くオープン大会です。原点を目指して痛々しくも尖り続けたこの8年の結実を、この大会の舞台であなたと共有することができれば、これに勝る喜びはありません。自信をもって「今の自分の最高傑作」と言える問題を用意しますので、是非楽しんで頂けると幸いです。


まあ、最高傑作と呼ぶにしては、あまりに品がない問題もありますが…。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?