生産的応答/非生産的哨戒

 お疲れ様です。高生です。水ダウの「電気イスゲーム」面白かったですね。


 先日公開したnoteですが、思った以上にSNSで拡散されていて、賛同的な反応も否定的な反応も、期待していた反応も不本意な反応もそれぞれ多く認知しています。僕個人への攻撃もありましたが、一方であれだけ強火な意見を真摯に受け止め、同意にせよ指摘にせよ有意義なリアクションを返して頂けた方が多くいらっしゃったことにまず感謝せねばなりません。本当にありがとうございます。


 さて、僕のTwitterアカウントってもともと鍵垢で、諸事情で数日だけ鍵を外していましたがそろそろ鍵に戻します。しかし、1つの議論の発信者として、自分が訴えたことへの反応にオープンな場でリアクションを返さないのも不誠実だと思ったので、見受けられたリアクションに対して、僕なりのアンサーを返していこう、というのがこのnoteです。ダラダラ脱線しながら書いたので全然鋭利ではないですが、ある種のエッセイとしてご参考までに。





①こんなこと言われるなら作問やめる


こんなこと言われるならもう問題作れない

クイズはもっと自由であってほしい

出したいものを出して何が悪いの?

※基本的には実際にあった特定の文章そのものではなく、いくつかの要約です。


 あのnoteで僕が訴えたのは、「質の低い大会は存在するべきではない」ということでは断じてありません。「質の低い大会を冷笑という見地から無批判に受容して、有名無実な権威の座に居座らせ続けるのは有害だからやめよう」という提言であり、出題者というよりむしろ参画者への呼びかけです。



 「質の低い大会を、質が低いという理由でキャンセルすべき」というのはあのnoteの本旨でないどころか、露ほども思っていないことです。また、特定の属性のクイズを出題したからといってキャンセルしようとするものでもありません。しかし、最初に書いた批判の羅列にインパクトがあるのは事実で、最終的に冷笑者の不参加を呼び掛けてもいるので、そう読み取ってしまう方がいらっしゃるのも仕方ないと今になって感じます。そこまで想定して文章を組み立てなかった自分も相当に浅慮だったと反省しました。大変失礼いたしました。


 弁明になるかはわかりませんが、僕なりの追加説明を付しておきます。クイズのサプライヤーは資格制でも世襲制でもないので、誰がどんなクイズを出そうと自由です。真剣勝負できるクイズを作るのも、題材の面白さだけで訴求するクイズを作るのも、ベタそのままの問題を作るのも、悪ふざけ一辺倒のクイズを作るのも、自分の趣味丸出しのクイズを作るのも自由です。また、それらのジャンルの中にも(主観の集合体として)質の高低が存在していると思われますが、質が低い(とみなされる)問題を作ったとて、それを理由にキャンセルされることはあってはなりません。これらが分け隔てなく平等に共存できるのが昨今の電子問題集文化の1つの長所であり、それらに売り上げという形で合理的な評価を数字で与えるのが市場原理です。ここに、問題のテクストそのものに拠らないさまざまな付加価値(ジャンル、過去作の印象、大会ブランド、コラム、解説コメントetc…)をつけて、原初の市場原理を“乱す”ことも自由です。しかし、その攪乱が市場にとって不健全なものだと誰かが感じた場合、言論をもってそれを糾弾し、是正を目指すこともまた自由であるように思います。今回僕が行ったのはまさにその一環であり、決して自由なクイズの否定でもなければ、クオリティ至上主義に基づく低質さそのものへのキャンセルでもありません。


 こんな理屈っぽい話では届くものも届かないかもしれません。少し体験談に基づく話を。僕が大1か大2の頃出した処女作『Animus』は、もう今から考えると散々な有様でした。日本語は全然美しくないし、題材も大して面白くないし、トンマナもわかってないし、たまに事実関係が怪しい問題もある始末です。こんな問題集を、さも時代を先取りしたかのような顔で先輩後輩に売りつけていたのですから付ける薬がありません。後からは見るのも嫌になったので、2年前に全問題をリライトして『Animus 2.0』として差し替え、原本はPCから完全に抹消しました。しかしこんな問題集でも出す自由は保障されるべきだし、(嘘はダメですが)質の悪い問題を出したことをもって僕をキャンセルするような動きがあれば、それには厚顔無恥に反抗していく気概です。ただこの問題集は大して売れなかったのも事実で、そういった市場からの評価をその後も直視し続け、プレイヤーとしての知名度がない中で見苦しくもあがいたからこそ、いまサプライヤーとしてのプレゼンスを辛うじて保てているのでしょう。いつ晩節を汚すかわかりませんが。
 要するに、あれだけSTUを「低質」と連呼していた僕だって、STUより質が低いであろう問題集を実際に出していたんです。「質が低いからキャンセルしていい」なんて主張するはずがないし、市場原理による淘汰圧の存在を是認こそすれ、あなたの自由なクイズ制作それ自体を言論によって封殺するなど言語道断だと考えています。重ねて申し上げますが、僕が批判しているのは「冷笑という不健全な価値を伴って、低質さを無批判に受容し続けること」です。




②質が悪いものがのさばって、結局誰が困る?


 非常にクリティカルな指摘だと思います。一応先のnoteには、「取っつきやすくて評価も高い大会や問題集が増えつつある中で、単語帳的・箱庭的なクイズに初心者が溺れてしまうのはもったいない」「良きサプライヤーを志向しても、自分の大会よりはるかに“雑”なはずのSTUに市場規模で勝てず苦しむ人が出るのは不条理だ」「同好の士が冷笑とともに低質な大会に参画し続けているのは悲しい」といったもっともらしい言葉を書きました。

 しかし、「もったいない」「不条理だ」「悲しい」という言葉からもわかる通り、根っこにあるのは僕の理想論であり、ただの好き嫌いです。何らかの倫理に基づく善悪論ではないことを改めて申し上げておきます。だから、共感できない方がいらっしゃるのは全く構いませんし、「模範的ではないが、倫理的な問題はないから責めることではない」と考えて頂くのも当然構いません。一方で、今回改めてこの問題を言語化したことで、たとえ根元に公理的な善悪がないとしても、冷笑的受容がもたらす悪影響について再認識し、あるいは是正に繋げて頂ける方がいれば本望です。


 さて、こういった「質が良い・悪い」の議論になると、『ラーメン発見伝』シリーズの準主人公・芹沢の名言の数々が思い起こされます(知らない人は飛ばしてください)。例えばこういうの。


『ラーメン才遊記』9巻より引用 面白いからオススメ


 一見すると、今回の僕の論調への強烈なカウンターに思えます。さすがに「いいものなら売れる」とまで盲信はしていませんが、確かに僕は「大会や問題集が、問題の質や健全な付加価値に応じた適切な評価を受けられる市場こそが理想だ」と考えていますし、理想論を「捨てるべきナイーヴさ」だと断じるこの金言は僕に刺さるようにも見えます。

 しかし、この漫画シリーズを冗談抜きで20周くらいしてる僕はそうも思いません(語義通りのナイーヴではあるとは思いますが)。そもそも芹沢がこういった発言を繰り返すのは、「質の高さだけが市場を決めるという価値観に囚われて、肝心の客の目線を考える努力をしないのはラーメン屋失格だ」という意図のもとです。しかし、こういうビジネスライクな面がネットで独り歩きする一方で、理想を追求するロマンチストの一面も持ち合わせているのがラーメンハゲであり、「自分は誰よりも質の高いものを届けたい」「低質なものが盲信されてのさばるのは腹が立つ」という純朴な感覚は彼の中に生きています。僭越ながらその感覚は僕と同じところだと思います。僕は前者の理想をWMの開催によって実現し、後者の不満を長ったらしい言論によって打開しようとしている…と解釈してもらえればありがたいです。何の話だったっけこれ。



③本当に冷笑が原因?


権威が維持されているのは大会歴が長い/強い人が参加しているからでは?

冷笑は表面的なもので、総合的な肯定されやすさが原因なのでは?


 部分点云々という僕のなまくらな比喩表現のせいで、読者をいろいろとミスリードしてしまったようにも感じます。こういった指摘をいただけたことでそのことを認識できました。ありがとうございます。


 そもそもSTUには、質の高低以前に「肯定されやすい」要素が多いのはすでに書いてきた通りです。48人フォーマットの舞台装置性、あるいは(チーム結成までの道のりも含めた)団体戦の楽しさは大前提として、そこに高頻度安定開催による機会の担保、独特な出題スキームによる対策しやすさ、努力が報われるエクスタシーなどが重なり、無条件に参加を呼ぶ構造になっていることは否定するべくもないでしょう。しかしこちらも先のnoteで言及した通り、STUの開催姿勢は「粗製乱造」と呼んで差し支えないものであり、上級者の間で敬遠されても何らおかしくありません。にもかかわらず、もはやSTUに参加しなくても満たされていそうな著名プレイヤーも嬉々として(あるいは、あるべき批判を一切伴わずに)参画しているし、それが有名無実な権威性を生んでいる。この矛盾を生み出す原因として、エラーを冷笑してムラ社会的な安心感を得る効用と、冷笑をもって「悪さ」ごと過去を受容するエクスキューズ性があるのではないか、というのが本旨でした。だから、冷笑そのものがSTUの集客力のコアであるというより、システム的に元来有していた集客力のコアと、それに見合わない(というより、見合ってはいけない)粗製乱造された問題とを継ぎはぎする接着剤として冷笑が機能しているのではないか、と。


 確かにこの考察の前提には、「問題制作の姿勢に瑕疵があることに気付いたら普通は真摯に批判するし、大会が粗製乱造されている様相を目の当たりにしたらフェイドアウトするものだ」という、純粋な信用に満ちた僕の先入観があるように思います。実際、僕はそうなるべきだと今も思っていますし、こういった態度がなかなかとられてこなかったのは非常に、非常に残念に感じています。だからこそ今回僕はその原因を冷笑的受容に求め、世論に内省を望んだのですが、そもそも「たとえ質や開催姿勢に瑕疵が感じられたとしても、倫理的な問題がない限りは参画するし、批判もしない」というスタンスが一部で受け入れられていることに僕自身が無自覚でした。それならそれで、「楽しかったら/肯定されたら何だっていいのか、あなたの知はそこに留まるにはもったいないほどきっと素晴らしいものなのに」と言いたい感情はありますが、それは全く別の話になるのでまた違う機会に。



④具体例挙げずに批判されてもよくわからない


 もともと、STUの現在の立ち位置と問題の特徴がわからない層(もちろんわからないことは全く悪くないです)にまで先のnoteを強く波及させる意図がなく、著作権的な部分をクリアしてまで夏井先生めいた説明を加えるのも本旨から大きく逸脱しますので、最初のパートは前提知識がある人の共通認識に任せる形で書きました。しかし結果的に「わからない人」にまで波及し、こういった反応が見受けられました。

 しかし、先のnoteにおける「STUの質が悪い」という主張は導入であり、最終的な訴えは冷笑者への批判です。そして、冷笑者は「質が低い」ことを分かっている(ことにしている)からこそ冷笑に及んでいるのであり、彼らに改めてなぜ低質たるかを事細かに説明する必要性は薄いと思います。そう考えたとき、明らかな蛇足を加えてまで「STUの問題について本当に何も知らない人」にまで完璧な理解を届けるのは不要であるように感じました。



 また一方で、そもそも「質が低い」ことについての合意形成が不十分という指摘もありました。多くの人の反応を見るに、ここの前提議論についてはそう不足してもいないし、自明として問題はなかっただろうというのが今の正直な感覚です。おおよそ訴えを届けたい人にはこの形で十分本旨が伝わっていると感じられているので、具体的な問題を論って余計な延焼を招くのも非生産的だと思っています。ただ、文章としてのロジカルさに完璧を求めるなら質についての定義は必要だったかもしれません。これに関しては、必要でも不要でもなかったかな、という曖昧な結論で一旦の幕引きとさせてください。



⑤「肯定」という言葉を定義なしに乱用するのは良くない


 おっしゃる通りだと思います。来たるWidowMaker 2024の開催宣言として「なぜWMはクイズでないといけないか」みたいな話を今書こうとしていて、その中である程度は定義されるはずなので、公開まで今しばらくお待ちいただければ幸いです。


 あと、僕が低質さの一例として「(不自然なスキームのもとで)重箱の隅をつつく前フリ」と言い及んだことを受け、「本質」という言葉の応酬も見られました。正直、「本質」って言葉はたいへんファジーなうえに、フワッと世間一般に受け止められているような高尚な概念でもないと思っているので、「本質問題」「本質の前フリ」みたいな表現は1回も使ってないはずです。しかしフワフワさせたままなのも良くないので、これについてもどっかで言語化したいとは思っています。WM1かWM2のコラムになるでしょうか。書いてばっかですね。



⑥既出の再生産は悪いこと?


既出を再生産するのは仕方ないのでは?

既出の再生産がダメなら短文基本の頻出問題も良くないのでは?


 僕の言葉が足りず、誤解を招いたように思います。毎年企画や大会を開催するような人は、どうしても過去の自作と問題が被ってしまいます。また、短文基本や青問などある種の「枠」があるジャンルで問題を制作する場合、頻出の問題や流行りの問題を結果的に再生産することなど日常茶飯事です。このあたりの倫理については明文化できる共通認識がないし、むしろ明文化できないからこそ保障される価値があると思っていますが、少なくとも「それを出題する意味を吟味した上で再生産する」ことと「目に余る自己剽窃に及んでまで大会を粗製乱造する」ことの間に定量的な差があろうこともご理解いただけるかと思います。とても月並みな表現ですが。


 まあ、昨今の競技シーンで「いい感じのフリ」「流行りの題材」の無批判な再生産が横行しているのは感じていますし、それとSTUの自己剽窃に本質的な違いがあるかと言われるとないような気もします。しかしそうして大会を年に4回も5回もやったりする人はいないでしょう。変な言い方ですが、「せめて偶然だと言い張れてくれ」ということです。



⑦論題自体が既出


 どこかに書いていたと思いますが、あのnoteは決して斬新な視座を提供するものではなく、多くの人がうすうす気づいていながらも摘示されてこなかった問題点をあえて言語化したものです。だからテーマが既出なのは当たり前であり、むしろ潜在的に既出の問題点であるのに、これまで界隈に目立った自浄作用が働いてこなかったことが問題です。自浄作用があるならわざわざこんなこと混ぜっ返さないです。



⑧もろもろの個人攻撃


noteで読むクイズ論はみんな低レベル 承認欲求で生きてそう

主語デカいね

お前の作る問題も別に面白くない

みたいな言及が数個

陰謀論の真似事?

1件だけ これだけ本当に意味が通じない


 冷笑を批判したはずのnoteを冷笑されるって不思議な気分ですね。そもそも僕がどんな問題を作るどんな人間であろうと、あのnoteを書く権利と正当性は変わらないので、ものすごく一人相撲な冷笑ではあります。まあ、僕も数年前までは激イタ激浅のガン尖り論者だったので、こうやって「自分はこんなことに本気で取り合う気ないっすよ笑」スタンスで真剣な議論を見下ろしながら、何やら寸鉄のようなものを刺したがってしまう気持ちはよくわかります。今も変な論にはそうしちゃう時あるので改めて反省。でも人がこういうムーブする時って、議論を見下ろしているのではなく、議論の土俵に上がれるだけの思想的な円熟が全然足りてないだけです。それを自覚できていないから、こうして“承認欲求”のために俯瞰論者ポーズだけは取るんですね(大いに自戒を含みます)。一時の言ったった感のためにそんな醜態をさらすよりは、クサくて笑われてしまうくらいでもいいから、独りよがりな思想をただ理解してもらおうともがく時間のほうがよっぽど有意義だと僕は思います。すごく黒歴史にはなりますが。


⑨クイズ論すんな


クイズ論見たくない

クイズ界荒れるのもうええわ

 この手のトーンポリシングが非常に多いことに毎度悲しくなります。なぜ議論に参加する気がないのに言及だけは忘れないのか甚だ理解に苦しみますが、「当事者として問題に向き合うのは嫌だが、非当事者になるのは疎外感を感じて癪だ」という感覚なのでしょうか。まとまりのない議論の紛糾が精神衛生に悪いという気持ちは痛いほどわかりますが、増え続ける矛盾に変革が追い付いていない現代クイズ文化にその一員として参与するなら、当面の享楽と引き換えに受忍すべき痛みであるように感じます。



⑩パクリについて


 これについては深く述べる気がありません。STUで問題の剽窃(自己剽窃含む)が横行していたのはおそらく事実で、当然それに相応しい批判と措置を受けるべきなのですが、これはもはや倫理の領域であり、僕が僕の思想としてnoteで論じるのはかえって問題意識を矮小化することに直結すると感じました。僕自身は(たぶん)パクられてないし。

 さて今回、理解はできつつも100%の共感はできない人が多かったであろう僕のnoteより、明確な立場から言及しやすいパクリについての議論ばかりが紛糾したのは正直なところ少し残念な思いがあります。というのも、剽窃に関してはサプライヤー倫理の見地から各々が粛々と批判し続けるべきことで、僕の思想と紐づけされるべきではないし、改めて提起した僕の問題意識をおおよそ塗り潰してしまう可能性もあったからです。ただ、問題剽窃に対してオープンな場での批判が十分に行われてこなかったこともまた事実でしょうし、STUの抱える問題点として合わせて周知が進んだことは良いことなのかもしれません。また、剽窃(に近い出題)や目に余る自己剽窃を「STUらしさ」として受容する向きも確かにあると思いますので、それに関しては僕がnoteで批判すべきことだったようにも思います。何にせよ、ちょっと問題の根が分岐しすぎていて、僕一人では手に負えないという弱音だけは吐かせてください。


 

最後に


 その他、いろんな意見が寄せられました。ここで言及するまでもない個人攻撃もあれば、しばらく答えに窮した非常にクリティカルな指摘もありました。どれだけの方に僕の言葉が響いたのかはわかりませんが、1つだけ言えるのは、僕は真摯にあのnoteを書いたということです。内容は徹頭徹尾批判ですが、徹頭徹尾真摯に書き上げたつもりです。そもそも真摯でなければ、こんないたずらに敵を増やすようなnoteなんて公開しないです。正直けっこう疲弊したので、当分こういう火種になる論はやるまいと思いますが、あなたが僕の発信を真摯に受け止めてくれる限り、僕は全身全霊をもって真摯に応えたいとも決意しています。こんなに真摯を連呼する人間が作る大会がなんでアレなんだ、という批判は甘んじて受けるとして、これからもどうぞよろしくお願いできればと思います。とりあえず、来たる11月24日のWidowMaker 2024(横浜・鶴見公会堂)でまた会いましょう。今回で僕のことをちょっと嫌いになった人も、僕の大会で楽しませることができたら、それが最も素晴らしいことです。

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