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辻潤のひびき「訳詩」

辻潤のひびき辻潤の作品>13.訳詩

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ヴィヨンの詩より

わかる物とわからない物

I
ミルクの中の蝿を俺はよく知っている。
俺には其奴等の着ている衣物で人間がよくわかる。
クルミは皮でよくわかる。
汚ない空と奇麗な空の区別もつく。
梨の樹は梨でわかる。
稼ぎ人となまけ者の区別もつく。
上等な麦をハグサから択りわけられもする。
だが、どうしてもわからないのは俺自身だけだ。
II
チャンチャンはその獣皮でわかる。
坊主は着ている衣でわかる。
殿様はその尻にくっついている小姓でわかる。
尼はかの女らの髪を隠しているベールでわかる。
驕児(かたり)と彼のヤリ口も俺はチャント心得ている。
御馳走でブクプク肥っている阿呆の見わけもつく。
酒は酒樽でスグわかる。
だが、どうしてもわからないのは俺自身だけだ。
III
俺には馬と驢馬の区別もつく。
各自(めいめい)が背負っている重荷も見当がつく。
俺はベアトリスもベルも両方とも知っている。
俺は災難がおかしく並んでやって来ることをよく知っている。
俺は空中の幻も知っている。
ペイタア帝の王位の権力も知っている。
ボヘミアンがどんな風に桁を外すかもよく知っている。
だが、どうしてもわからないのは俺自身だけだ。
Envoi(あんぼぁ)
わが君よ、俺はなんでも知っている。
肥ったのも、瘠せたのも。
赤いのも、蒼いのもみんな知っている。
俺達のイザコザに止めを刺してくれるのは死神ばかりだということも心得ている。
だが、どうしてもわからないのは俺自身だけだ。

即興

I
春がもうじきにやってくるというのに
俺は飢えて死にそうだ
身体(からだ)が火のように熱いくせに、俺の歯の根は寒さでガタガタ慄えている。
自分の町にいるくせに、俺はまるで外国にでもいるようだ。
ポオボオ燃えるストーヴの傍にいて俺は震えている。
王様のように衣膨れていながら、蛇のように裸だ。
俺は涙の中から笑っている、希望のないくせに期待している。
絶望の中で慰められている。
日の下になんにも嬉しいことのありもしないのに俺は喜んでいる。
俺は強くッて、しかも空気のように弱い。
みんなから嫌われていながら、頗る優待されている。
II
俺のわかっている物以外はみんなハッキリしている。
不確な物程、俺には捉みやすい。
俺は誰も疑わない事実ばかりを疑っている。
俺はフト気紛れに賢くなるだけだ。
「では、さようなら、おやすみなさい!」
といいながら、俺は起きている。
足を延ばして長々と寝ているくせに、落ちやあしないかと心配している。
色々な品物を沢山持っているくせに、遣う金は一文もない。
相続者でもないくせに、遺産を覗っている。
みんなから嫌われていながら、頗る優待されている。
III
俺は一切無頓着なくせに、一生、計画をやり通しだ。
賭ける物がなんにもないくせに獲物はかなりある。
俺を呪っている人間が、俺のことを一番立派だという。
俺のことを一番嘲っている人間が俺のことを一番真実だという。
真黒な大鴉(レエヴェン)を白鳥にまちがわせ、汚いものを美しいものと思わせるのが俺の友達だ。
俺を傷つける人間を、俺はお人よしだと思っている。
真実(まこと)と虚偽(いつわり)の差異(けじめ)は俺にはわからない。
俺はなんにも腹に思っていないくせに、
なんでも心に貯えて置く。
みんなから嫌われていながら、頗る優待されている。

どこでもいいからこの世のほかへ
  ――ボオドレエル――

 人生は病院。その中で、患者はみんないつでも寝床をとりかえたいという思いで一杯だ。なるべく、火の近くに行きたいと思っている奴もあれば、窓の側へ行ったら、病気が癒えるだろうと考えている奴もある。
 ところで、俺はどうかというに、どこか他へ行きさえしたら幸福になるだろうと始終考えている。それで住居を変えるという問題がたえず俺の霊魂(たましい)との話題になっている。
「時にどうだね、僕の霊魂君、哀れな冷たい霊魂君、リスボンに行って生活しようと思うのだが、君の意見はどうかね? あすこはキット暖かに相違ないよ。あすこへ行けば君は蜥蜴のように日なたポッコが出来るぜ。リスボンは海のそばだ。人の噂によると町が大理石で出来ているという話だ。それから、その町に住んでいる人達は植物を非常に恐ろしがって、樹や草をみんなひっこ抜いてしまうのだそうだ。どうだ、如何にも君自身の霊魂にお挑え向きの国じゃないか。光と鉱物と、それを反射させる液体から出来あがっている国だ。」
 俺の霊魂はウントも、スントも返事をしない。
「君は休息が好きで、動いている外、物を見ることが好きだから、どうだ、それなら、あの天国のような和蘭陀へ行って一ツ住んでみる気はないかね? 恐らく君は君が絵で見て非常に賛嘆した国だから、キット幸福を感じるよ。どうだ、ロッテルダム、あすこではそら君の好きなマストの森や、家々の入口に無数の船が碇泊している光影が眺められるのだ。」
 俺の霊魂は依然として黙っている。
「それなら、そうだ、ジャワはキットそれ以上に君を牽きつけるに相違ない。あすこへ行けば我々は熱帯の美と結婚した欧羅巴の精神が見られるわけだ。」
 まだ一言も返事をしない。全体、俺の霊魂は死んでしまったのだろうか?
「どうしたんだ、おまえは、自分の苦痛ばかりがおまえに快楽を与えるような深い無感の状態に沈んでしまったのか? もしそうとすれば、死に形どって造られた国へ出かけようじゃないか。可哀想な霊魂よ、俺はチャント我々に適当な場所を知っているのだ。では早速、トルネオ行きの切符を買おう。それから、さらに進んで、バルチックの最端まで出かけよう。もし出来れば、この人生から離れたところまで行ってみよう。僕らの住居を極北に定めてもいい。そこでは太陽が辛うじて地上を這っている。そして、変化といえば光と闇がのろくさくかわるばかりだ、そして、虚無の片割れの単調ばかりが残っている。僕らはそこで闇の大浴場に浸かることが出来る。そして、時々我々を慰さめるために、オウロラ・ボレヤリスが地獄の花火の反射のように中空に、その曙の薔薇色の輪をまき散らすだろう!」
 とうとう俺の霊魂が口を開いて、賢くも、俺に向かって、「どこでも、どこでもいいから、この世のほかへ」と叫んだことだ。

巻き毛の半球

 おまえの毛髪の匂いを長く長く私に嗅がせてくれ、ちょうど、咽喉を渇かしている人問が泉の中へ首を実ッこむように、おまえの髪の深みの中へ私の顔を一杯突ッこませておくれ。それから、香水に浸されたハンケチのようにおまえの毛髪を弄んで、空中に色々な記憶をふりまかせておくれ。
 おまえに私が見たり、感じたりすることがみんなわかってくれたならば! おまえの頭の髪の中で、私が解ることがみんなわかってくれたならば! 私の霊魂は音楽の中を漂って歩く霊魂のように、おまえの髪の匂いの中を彷徨い歩くのだ。
 おまえの毛髪の網目からは帆や、マストで一杯になっている夢がこぼれ落ちてくるのだ。おまえの毛髪の大海に漂いながら、その上を吹いている半年風(モンスーン)に送られて、私は楽しい風土に到着する。そこでは空が碧く深い。そして、大気は果実(くだもの)や、樹葉や、人間の皮膚の香いに充ちている。
 おまえの毛髪の大洋の中に、私は憂愁の調べを口吟んでいる港を見る。そこには各国の強健な人間や、さまざまの形をした船が、無限の空に複雑微妙な建築を彫みつけている。空中には永遠の暑さが舌をだらりと吐いている。
 おまえの毛髪の愛撫の中に、私はまた立派な船のキャビンの中の長椅子の上で、港の気のつかない動揺にあやされ、花の鉢や、さッぱりする水瓶の間に長時間横たわっている倦怠を発見するのだ。
 おまえの毛髪の暖かい炉辺で、私は阿片や、砂糖の混じった煙草の臭いを嗅ぐ。おまえの毛髪の闇の中に私は熱帯の夜天の無限な輝きを見るのだ。おまえの毛髪の柔らかな堤の上で、私はタールと麝香と、ココアの油の混じった香(にお)いで酔っ払うのだ。
 おまえの長い厚い黒い毛髪を私に噛ませておくれ、おまえのピリピリする、反逆的な毛髪を噛んでいる時に、私は自分の記憶を食べているような気持ちがするのだ。

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